重労働で人手不足が恒常化している農業において、人手不足とは無縁の農業法人が高知県にある。そこでは、農作業のない真夏でも基本給20万円を受け取れ、なおかつ図書館などで独立に向けた勉強もできるという。ジャーナリストの山口亮子さんが取材した――。

■同業者の2倍近い従業員を雇うキュウリ農家

収穫などの作業を機械化しにくい野菜の生産現場では、人手不足を外国人で補う産地が多い。そんな中、過疎高齢化が進む高知県に地元の若者が集まる農業法人がある。約1ヘクタールでキュウリを栽培する下村青果商会(南国市)だ。M&Aを経て近く規模を3倍に広げる見込みだ。データを駆使した効率的な栽培で全国トップクラスの高い収量をたたき出すこと、独立に向けたノウハウを吸収できることなどが若者を引きつける。

1ヘクタールのキュウリを栽培するのに雇う従業員は20人。

「面積当たりで同業者の1.5〜2倍くらい雇っている。人が多過ぎるんですけど、それでも給料が払える経営をしているので」

こう話すのは、下村青果商会取締役の下村晃廣さん(40)。人を雇い過ぎていると聞くと経営にルーズなのかと勘違いしそうだが、そうではない。再生産を可能にするため、収量の向上や取引価格の安定、設備投資のコストカットに心血を注ぐ。

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下村青果商会取締役の下村晃廣さん - 筆者撮影

■単位当たりの売上額は全国トップクラス

10アール当たりの年間収量は35トン。暑い夏場に栽培しないことを勘案すると、「全国トップクラス」(下村さん)だ。10アール当たりの売上額は1300万円超で、こちらもトップクラスという。

実家が農家ではない下村さんは「起業のツールとして農業に魅力を感じ」2008年に25歳で新規就農した。農家の平均年齢が高く将来は減っていくことから、ジリ貧扱いされる農業が規模拡大を目指す人間にとって競合相手の少ない「ブルーオーシャン」になり得ると確信していた。以来「もうかる農業」を実践している。

「技術の研鑽をどうやったかというと、ここから車で5分とかからないところに高知県農業技術センターがあるんです。いかにデータを取りながら環境を制御して栽培するか研究し、高い収量を出していました。その先端技術を学んでまねしたことが今の栽培技術の基礎になっています」

■徹底したデータ農業で効率を極め、無駄を省く

県農業技術センターは高知県の農業関連のさまざまな試験場を統合して作られた。農業に関連する試験、研究や品種の育成などを担う。高知県はデータを取得、活用する「データ農業」の普及が全国で最も進んでいる。同センターはその一翼を担ってきた。

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取得データを確認するPC - 筆者撮影

下村青果商会の販売方法は、一般的な卸売市場を経由した流通に乗せず、量販店や加工業者向けに全量を契約栽培している。キュウリは豊凶の差が出やすく貯蔵できないので、相場が大きく変動する。その乱高下に巻き込まれていては再生産がおぼつかないと、自分で値決めできる契約栽培を選んだ。

設備投資に関してはコストカットを徹底する。ハウスを新設した際は、必要最小限の仕様にすべくクギ一本に至るまで下村さん自ら指定した。設備も最低限にして費用を抑える一方、ハウスに多くの光を取り込んで作物の光合成を促進することは「給料が増えるのと同じ」(下村さん)だと強くこだわる。

ハウスには光が均一に入りやすいフィルムを使い、影を少しでも減らすため骨材の間隔を通常より空けている。地面を覆うマルチシートを白色にし、反射光も光合成に生かす。秋から冬は日射量が減るため、11月になるとフィルムの汚れを洗浄して少しでも光が入るようにする。

同社の技術力と収益性の高さは有名で、視察や同業者からのコンサルティングの依頼が多い。

■夏の3カ月は給料をもらいながら勉強ができる

だが、雇用となるとにわかに鷹揚(おうよう)になる。高知では夏の3カ月間、暑いうえに相場が下がるためキュウリを栽培しない。

従業員にとって夏の3カ月は「会社から給料をもらって勉強する」(下村さん)期間だ。作業がなくても毎日出社してもらう。

「よくやってもらうのは、近くにある高知大学の図書館の本を読んでレポートを書くということ。独立を希望している従業員も多いので、農業に限らず簿記や経営などの内容でも構いません。これは勤務としてやってもらっています」

YouTubeで栽培技術の参考になるような農業系の動画を見て勉強してもらうこともある。それだけ手の空く期間があるなら季節雇用にする手もありそうだが、下村さんは全員の周年雇用にこだわる。理由は「高知県は農業以外にこれといった産業がなく」、自らが農業を営む理由を「雇用をつくるため」だと考えているから。

「高い給料を夏も含めて払える程度に利益を確保しているという言い方もできますね」

面積当たりの従業員数が多いのは、周年雇用だけが理由ではない。「将来、独立して農業をしたい人を積極的に雇用し、技術や販売などの面でサポートしている」からでもある。

■ライバルが増える独立支援も積極的に行う

従業員のうち4人が独立志望者。うち1人はすぐ近くの空いたハウスに居抜きで入り8月に独立する。

「栽培技術はうちで学んだことを継承してもらって、販路については同じ契約栽培のグループに入ってもらう見込み」

人材育成をして独立させることは、従業員と同社の双方にメリットがある。従業員にとっては給料をもらいながら独立の準備ができ、独立後に売り先に困る心配がなくなる。同社にとっては後進の育成になると同時に、取引先と契約できる量を安定して確保できるようになる。

「独立就農はある意味ライバルが増えることになるので、そうさせたくない、自社で人材を囲っておきたいという考え方もあるでしょう。それでは視野が狭いと思いますね」

こう語る下村さんはどこまでも攻めの姿勢を貫く。

■最低賃金853円の高知にとって基本給20万円は「破格の待遇」

給料の設定も攻めている。「農業法人としては、給料の平均がおそらく高知県一」なのだ。

直近で募集した幹部候補生の基本給は20万円だった。農業法人の従業員の給与の全国平均は年間151万4000円、月にならすと12万6167円(農林水産省「令和3年営農類型別経営統計」による)なので、待遇はいい。

なお、南国市職員の初任給は高卒で14万600円、大卒で16万2100円である(いずれも2022年4月時点)。賞与もあるので単純に比較できないが、いずれにしても22年度の最低賃金が全国33位の853円である高知県にあって、同社の待遇がいいと分かる。

「必然的に人が集まってきやすいですよね」

待遇の良さもあってか「独立志望者以外は基本的に辞めない」。従業員の独立就農に伴って求人を出すとすぐ応募があるので人手不足とは無縁だ。

下村さんは今年、大きな決断をした。県外の異業種企業に対し、M&Aによる株式譲渡をしたのだ。新規就農した当初から「日本一のキュウリの生産企業になる」と決めていた。就農時と比べてすでに5倍の面積まで拡大したものの、さらなる拡張に難しさも感じるようになっていた。

「自己資本だけで規模を大きくしていくのは限界がある。信用力や資本力が大きい資本の傘下に入れば、すぐさま事業の規模を2、3倍に拡大することができる。将来的に10倍といった桁違いのスケールの事業ができるのが、魅力ですね」

従業員の雇用を維持、拡大するという自らに課した責任を果たすためにもM&Aが必要だと判断した。

M&Aに伴って代表の立場からは退いたが、同社は引き続き下村さんが確立したビジネスモデルの下で経営を行う。下村さんと新代表は生産量や売り上げを引き続き伸ばすことで一致している。

■「戦略的M&A」で規模拡大を狙う

資本提携した相手は、岡山県内で焼却・水処理施設の維持管理や修繕工事を営む西日本設備管理株式会社(岡山市)だ。同社は事業拡大のなかで農業に参入しており、シナジー(相乗)効果に期待して下村青果商会との提携を決めた。

「近く高知県内で栽培面積を2ヘクタール増やして既存のハウスと合わせて3ヘクタールにする計画があります。ゆくゆくは県外での横展開に期待しています」(下村さん)

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クギ1本にまでこだわったハウスと下村さん - 筆者撮影

農業は異業種と比べM&Aが活発ではない。あっても、経営不振の企業に資本参加して経営の救済を目指す「救済型M&A」が多かった。

下村さんは「M&Aの仲介を依頼したコンサルタントから『農業のM&Aは引退するから、あるいは倒産しそうだから吸収してほしいというパターンがほとんど。こんなに戦略的に成長を目指したM&Aは日本で初めてじゃないか』と言われた」と話す。

■技能実習制度の廃止で人手不足に拍車がかかる

高知県という労働力を確保するうえで恵まれているとは言えない立地にありながら、若者を惹きつける。そんな下村青果商会のビジネスモデルは、日本の野菜生産を持続可能にするうえで参考になる。

全国的に野菜の生産現場における人手不足は深刻だ。その解決のために外国から労働力を受け入れており、2022年には4万3562人に達している。農業関係で外国人技能実習生の受け入れがとくに多いのは茨城、熊本、北海道、千葉といった野菜の大産地である。

外国人技能実習制度は農業に従事する外国人労働者の実に7割を集める。ところが今年5月、政府の有識者会議が廃止を求める中間報告書を法務大臣に提出した。同制度が廃止されれば、産地は今まで以上の人手不足に陥りかねない。

■「保護農政」では日本の農業は発展しない

不足を補うもう一つの手段として期待が集まるのが、ロボット。国内では複数のスタートアップがキュウリの収穫ロボットを開発中だ。ただし社会実装されるにはまだ時間がかかる。

要するに、現時点で労働力不足を解決する特効薬はない。従業員の待遇を改善し、魅力的な職場を作る。農業でバリバリ稼ぐ姿を見せて「自分も」と思う若者を増やす。そんな下村さんの戦略こそが長い目で見て最も有力な解決策なのだ。

従業員に高い給料を払う。そのために利益を確保する。利益を確保するには、栽培の生産性を高めると同時に再生産可能な販売単価を実現する――。下村さんはこんなふうに逆算し、ビジネスモデルを築いてきた。

日本の農家はこの逆をやってしまいがちだ。販売単価が安いので利益が確保できず、給料が安くなって働き手がいなくなるという悪循環に陥る。

原因をたどっていくと、国による「保護農政」に行きつく。保護農政は、補助金や高い関税、あるいは農産物の価格を意図的に高止まりさせる「価格支持」により農業を保護する政治をいう。

日本は商工業が栄えた分、生産性の低い農業を財政的に支える余裕があった。消費者は長年、農産物を高く買うことで農家の生産費を支える価格支持への協力を強いられてきた。知らぬ間に「消費者負担型農政」に巻き込まれていたと言える。

ところが低所得者層が増え、岸田首相は昨年9月、「食品へのアクセスが困難な社会的弱者への対応の充実・強化を図る」よう指示を出した。消費者負担型農政が限界に近付きつつある。財政面でも、財務省が農水省の一部予算に持続可能性がないと公然と批判している。保護農政の継続が危ぶまれており、農業を産業として自立させることが避けがたい流れになっている。

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山口 亮子(やまぐち・りょうこ)
ジャーナリスト
京都大学文学部卒、中国・北京大学修士課程(歴史学)修了。雑誌や広告などの企画編集やコンサルティングを手掛ける株式会社ウロ代表取締役。著書に『人口減少時代の農業と食』(ちくま新書)、『誰が農業を殺すのか』(新潮新書)などがある。
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(ジャーナリスト 山口 亮子)