さまざまな変化が見えてきた令和の小学校教育。海外ではどうなっているのでしょうか? アメリカ・シアトルに住んで20年、子育てに奮闘するライターのNorikoさんに、「アメリカの小学校の教育事情」について教えてもらいました。

多様化が前提のアメリカの小学校

わが家では、アメリカ生まれの息子が日本語に親しめるようにと、1歳になる頃から日本の知育教材を取り寄せていました。

ある島を舞台に、いろんな動物キャラクターの家族が登場し、両親と兄妹で暮らす子、ひとりっ子、祖父母と同居する大家族の子…といるなか、そこに見慣れないキャラクターが加わりました。おばあちゃん、働くお母さん、お兄ちゃんがいる子。お父さんは出て来ず、現在は島にいないこと以外の詳しい設定は明かされていません。なるほど、日本でも家庭の多様化への配慮が少しずつ進んでいるのだなぁ、と感じた瞬間でした。

日本では小学校でも2024年度から使われる教科書で、ジェンダー平等、LGBTQなどの多様性について、より配慮されるそうです。また、最近になって、男女の区別をなくす取り組みが始まっていると聞きました。

たしかに、なぜか日本の小学校では長い間、男女別に出席をとったり整列したり、ランドセルの色や体操着のデザインが分かれていた一方で、男女一緒に同じ教室で着替えをしたり、区別して欲しいところでは区別しない謎も…。

●シアトルの小学校が行っていること

ここシアトルを始め、アメリカの公立小学校では近年、「DEI(ダイバーシティ・エクイティ・アンド・インクルージョン)」が徹底されています。これは、多様な人がいる中で個々に応じた支援を行い、公平になる環境を整えよう」というものです。男女を区別しないことはもちろん、すべての面で公平に。

アメリカの家庭は、人種も宗教もさまざまで、経済格差が大きいことで知られています。ただ、日本と違って男女の縛りがあまりないように感じます。親は共働きも専業主婦も専業主夫もいて、シングルも多いし、お迎えに来るのも、そもそも親とは限らず、シッターかもしれないし、親戚かもしれない。

また、離婚率が高く、妊活や子を持つ手段にしてもいろいろあるアメリカでは、再婚でもそうでなくても子と血がつながっているとは限らないし、「お母さん」になっている男性やその逆もいる。公立小学校はアメリカの多様化社会そのものです。

トイレこそ男女で分かれていますが、子どもも小学校で男女の区別を感じる機会はほぼないと言います。服装も通学バッグも個々の好みやスタイル次第、体育は普段着でよく学校にプールはないため、そもそも着替えすらしません。

親にしても、ボランティア活動で男女の役割に偏りは見られず、だれかができることをするというスタンス。もともと家庭内の家事分担がそんな感じなので、子育ても同様なのですね。それが当たり前のアメリカ社会に身を置いていると、日本はまだまだPTA活動など「子育ては母親」のイメージが強いようにも見えます。

●いろんな人々の権利を認める社会って?

4月から新年度が始まる日本と異なり、アメリカの小学校のほとんどは9月に新学年を迎えます。シアトル学区も同様ですが、今年度はいつも通りに学校が始まりませんでした。ストライキが長引き、新年度早々、小学校が1週間休みとなったのです。これぞ、アメリカ。いつになったら学校が始まるのか、働く親はやきもきしながら学童やシッターを手配しなければならない状況に。日本では、ちょっと考えられないですよね。

ちなみに教員のストライキだけでなく、スクールバスのドライバーのストライキも頻繁に起こります。そうなると、親は送迎を自分でアレンジしなくてはならず、振り回されるばかりです。でも、子どもが教育を受ける権利も大切だけれど、ストライキをする権利もあるのだから仕方ない。皆さん慣れたもので、ストライキには寛容な様子です。

子どもが教育を受ける権利と言えば、アメリカでは、幼稚園年長が通うキンダーガーテンが小学校に組み込まれており、6年生からは3年間をミドルスクール(中学)、9年生からは4年間をハイスクール(高校)で過ごしますが、公立ならすべて無償。

受験がないので、そのための塾通いもなし。また、低所得家庭は公的補助が受けられ、子どものための給食にも学童にもお金を払う必要がありません。家庭で教育を受けられるホームスクールも一般的で、家庭の教育方針を貫きたい親や不登校の子どもの受け皿にもなっています。

そして、「ギフテッド」と言われるような、より深く勉強をしたい子向けには専用の公立学校、または専用クラスが設けられています。高いお金を出して私立に行かなくても、そこでレベルの高い授業を受けられ、いわゆる「エリート」が育つ土壌に。

飛び級も、逆に1年遅らせての入学もあり。日本のなんでもみんなと同じをよしとする「平等」ではなく、アメリカでは個々の状況に応じた教育の権利を保障する「平等」というのが、大きな違い。まさに前述の「DEI(ダイバーシティ・エクイティ・アンド・インクルージョン)」の考え方が、ここにはあります。

●人権について考える授業やアクティビティーも

2021年、アメリカの祝日として「奴隷解放記念日」である6月19日が新たに加わりました。昨今、分断が進む中で、アメリカでは負の歴史から学び取ろうとする強い意思が感じられます。

2020年、警察官による黒人への暴力に端を発し、アメリカ全土で巻き起こったBLM(ブラックライブズマター)運動の際には、わが子の通う小学校でも、子どもたちが動画や絵本、アートなどを通じて黒人差別問題と向き合いました。子どもたちは毎年、1月第3月曜日の「マーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師の日」と、2月の「黒人歴史月間」にも黒人の歴史を繰り返し学んでいます。ただ、このBLM運動によって警察の力がそがれたことで、治安がどんどん悪化している側面も。

根深い黒人差別が残る社会構造もそうですが、コロナ禍で始まったアジア人差別もまだなくなったとは言えず、アメリカの人種問題は、先祖代々、日本で育った人間にはなかなか想像が及ばない複雑さを抱えています。

最近、わが子の通うシアトルの小学校で、校庭や校舎の周りの歩道でチョークアートのプロジェクトを行いました。子どもたちはそれぞれグループに分かれ、多様性や差別、人権に関する大切なキーワードを選んで、チョークアート作品に仕上げます。

そこには、Black Lives Matter/BLM(黒人の命は大切)、Social Change(社会の変革)、No More Racism(人種差別をなくそう)、Human Rights(人権)、Movement(ムーブメント)、Culture(カルチャー)、Our Identity(わたしたちのアイデンティティー)、Empowerment(エンパワーメント)、Equity(公正)、Bias(バイアス)、Value(価値)、Freedom(自由)などと書かれ、大人もドキッとさせられます。日本人からすると、ちょっとビックリしますが、シアトルは人権運動が盛んな土地柄だということも背景にあるのかもしれません。

日本では「道徳」の授業があったのを思い出します。清く正しく、みんな同じがいいね、という「日本人として」のルール。もちろん、そうしたマナーや秩序で成り立っている現在の日本の社会もすばらしいですが、これから多様化教育を受ける令和生まれの子どもたちは、どんな新しい社会を築いていけるでしょうか。

教育に違いはあれ、子どもたちが、多様化に寛容な未来について自ら考えられる力を身につけられたらいいですね。