大手銀行に勤務する男が受けたすさまじいパワハラ、そして数年後――(写真:Mills/PIXTA)

Twitterにツリー形式で書かれた小説は「タワマン文学」や「Twitter文学」と呼ばれ、麻布競馬場さんや窓際三等兵さんといったベストセラー作家を輩出したことから、いま大きな注目を集めています。

そんな「Twitter文学」の中から傑作を集めたショートショート集『本当に欲しかったものは、もう――Twitter文学アンソロジー』が発売されました。麻布さんや窓際さんはもちろん、プロの小説家までもが参加しています。今回、発行元の集英社とのコラボにより、書籍に収録されている「知ってるやり方でしか仕事ができない」(豊洲銀行 網走支店・作)という短編を、全文公開します。

大手銀行に勤務する男が受けた、すさまじいパワハラ。その経験は彼に何をもたらしたのか……。

第1回:人生順調だった3人兄弟が滑り落ちてつかんだ事(4月5日配信)

【知ってるやり方でしか仕事ができない】

「甘やかすこともできるんだよ? 偉いでちゅね〜、よくできまちたね〜って。それでおまえは成長できると思うか? なあ? 恥ずかしくないんでちゅか〜?」。応接室には二人しかいなかった。誰も彼を止められない。きっと私の自尊心が溶けてなくなるまで強酸性の言葉を浴びせ続けるのだろう――。

入社1年目の夏だった。窓口業務を少し経験した後、基本を知らぬまま融資業務についた。マニュアルを読んでも言葉と知識がつながらない。私の教育係は、一人でほとんどの主要取引先を担当していて外出が多く、次長が実質の教育担当だった。

「おまえの仕事は砂上の楼閣だな。このままだといつか人間としての信用も足元から崩れるよ?」

本店審査部から来た次長。行列をなすアリを一匹ずつ指で丁寧に潰すように、私のミスを一つひとつ指摘した。そして心を抉るための言葉を吟味し、時間をかけてこき下ろすのが彼のスタイルだった。業務時間だけでは終わらない。仕事が終われば居酒屋で私の品評会が開かれた。

「おまえさあ、当然のことを正面から言うだけじゃつまらないんだよ。お笑い芸人を見て勉強しろ、なあ? プライドが高いんだよ。もっとバカになってみんなを楽しませてみろよ?」。うんうんと頷く者、笑いながら聞く者。周囲も同調した。男子校の部活みたいなノリが欲しかったのだろう。

そのうち頭痛がするような気がしたり、熱っぽい気がしたり、風邪をひいたような気がして毎朝体温を測るようになった。いつも平熱だった。眠る時は翌朝に発作が起きてベッドから起き上がれなくなることを祈った。休む口実を探しているのは自覚していた。それでも毎日、始業の1時間前には出社した。

ついに、次長の小言に逆上

半年ほどは耐えたが前頭葉が疲弊して抑えが利かなくなっていたのかもしれない。ついに次長の小言に逆上してしまった。「ミスが多くて申し訳ありません! でも私の人間性を揶揄するのはやめてください!」「一丁前に口答えか? いいよ、聞いてやるよ。ちょっと来い」。私は応接室に連れて行かれた。

「オレも長年部下を見てきてるからさ、いくらでも演技してやるよ。優しい次長さんになってやろうか?」「そういうことじゃないんです! 私の人間性にケチをつけるのをやめてほしいと言ってるんです!」「まあ遠慮するなって」。全く意に介さない次長に私は苛立ちを隠せなくなっていた。

意地の悪い笑いがそのままシワになって刻まれたクシャクシャの顔。不気味で不愉快だった。どうすれば彼に一矢報いることが出来るのかわからなかった。目に涙が溜まり視界が歪む。早々に涙声になり心が折れかけている私を楽しそうに追い詰める次長。口撃を緩めることはなかった。

「甘やかすこともできるんだよ? 偉いでちゅね〜、よくできまちたね〜って。それでおまえは成長できると思うか? なあ? 恥ずかしくないんでちゅか〜?」。別の担当者に私の面倒を見させる。おそらくかなり早い段階で用意していたであろうこの結論を彼が持ち出すまで半日かかった。

夜には居酒屋で午前中の続きが待っていた。「人間性を揶揄するのはやめてくだちゃ〜い。はずかちくて泣いちゃいまちゅ〜」。悪意に満ちたデフォルメを加えて私のモノマネを披露する次長。大爆笑する私以外のチーム一同。愛想笑いではなかった。解放された頃には日付が変わり土曜になっていた。

午後に起きてシャワーを浴び、私は出かけた。ホームセンターで練炭、七輪、チャッカマンと養生テープを買った。薬局で睡眠剤も手に入れた。寮に戻るといつものように同期とニコ動を見て笑い、夕食をとると部屋に戻った。

ドアの隙間に養生テープを貼っていると涙が流れてきた。ベッドに座り睡眠剤を1箱分全て飲み、七輪の練炭に火をつける。少しずつ眠気が迫る。そのうち意識が飛びそうになる感覚が波のように押し寄せた。そろそろ頃合いかな、目を瞑る覚悟を決めたところでノックの音と聞き慣れた声が響いた。

目張りが甘かったせいで外に煙が流れていた。通りかかった同期が不審な匂いに気づき、心配してドアを叩いたのだ。やはり死ぬのは怖かった。私はドアを開けた。同期に部屋の中を見られると急に恥ずかしくなった――。

数年後、私が後輩を持ったとき――


数ヶ月後には私の関連会社への出向が決まった。送別会のスピーチの最中、次長はずっと会場全体に響き渡る声でヤジを飛ばし、茶々を入れてきた。周りには私が感極まっているように見えただろうが、悔し涙をこらえるのに必死だった。次長の顛末は誰も連絡してこなかった。私も敢えて聞かなかった。

不思議なもので、数年後には私も仕事がおぼつかない後輩を会議室に閉じ込め、罵倒し、退職に追い込んだ。基礎を教えず、なにごとも見て盗めと言うだけの自分を棚に上げていた。結局、人間は自分の知っているやり方でしか仕事ができないようだ。私は次長のやり方しか知らなかったのだ。

(豊洲銀行 網走支店)