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オーナーが指定したシャシーやボディ

英国の弁護士でレーシングドライバーだった、ウィリアム・ジェフリー・バーロウ氏も、ベントレー3リッター・スーパースポーツをオーダーした1人。シャシー番号1174の、初代オーナーだ。

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彼はベントレー・マニアで、シャシー番号22の3リッターも所有していた。そのクルマに乗り、ブルックランズ・サーキットを154km/hで走行している。


ベントレー・3リッター・スーパースポーツ(1925〜1927年/英国仕様)

1892年にグレートブリテン島の中西部、チェシャー州で生まれたバーロウは、第一次世界大戦時に英国陸軍航空隊へ入隊。ロイヤル・エアクラフト・ファクトリーFE2という複葉機で、任務に加わっている。

より速いベントレーを探していた彼は、1925年にグロブナー・ガレージ社を通じて、スーパースポーツを購入したようだ。ボディの製作を請け負ったのは、南部のウィンチェスターという街にあったコーチビルダー、ウィル・ショート社だった。

安くないモデルだったが、スーパースポーツは1925年に11台が売れている。バーロウの注文は9番目だったという。ステアリングコラムは低い位置へ変更され、アクセルペダルは伸ばされた。リアのリーフスプリングは、標準の7枚から8枚へ強化されていた。

彼は、ボディのデザインへ細かく希望を出している。シートは左右で位置が僅かにずらされ、フレアウイングを装備。バッテリーボックスを下に固定できる、高い位置のランニングボードも指定された。テールはカーブを描き、後端へスペアタイヤが積まれた。

維持されてきたオリジナル・エンジン

ボディカラーには、記録がない。フロントガラスが取り外され、ラジエーターだけがメッキされた当時の写真を眺めると、アグレッシブな見た目だったことは間違いない。

TR 829のナンバーを得たスーパースポーツは、バーロウの自宅があった南部のキングスリー・グリーンに保管され、ロンドンの裁判所へ定期的に高速で走ったことだろう。


ベントレー・3リッター・スーパースポーツ(1925〜1927年/英国仕様)

スーパースポーツを3年間楽しんだバーロウは、当時27歳だったローランド・スワード氏へ売却。彼は、スーパーマリンス・ピットファイア戦闘機の生産を請け負った工場の創業者だった。

クルマは第二次大戦の戦火を生き延び、1956年にベントレー・ドライバーズ・クラブのメンバーだったジュディ・ジェームズ氏の娘、ジュディ・コーツ氏がオーナーに。その時点での走行距離は6万6000kmほどだったようだ。

1993年までコーツが維持した後は、ベントレー・コレクターのビル・レイク氏が購入。オリジナルのエンジンやシャシーに感動した彼は、以降の約30年間も状態を保った。

2年前のボナムズ・オークションへ出品されると、シャシー番号1174のスーパースポーツは、自身の名を冠したクラシックカー・ディーラーを営むウィリアム・メドカーフ氏が購入。ベントレーの専門家、クレア・ヘイ氏を招聘し、メカニズムの調査が実施された。

そこで確認されたのは、コンポーネントに刻印された番号の多くが、オリジナルと一致すること。「驚くほど保存状態の良い、走行距離の短いスーパースポーツを手にした時は興奮しました」。とメドカーフが話す。

97年前の写真をもとに当時の姿を復元

「18台製造された3リッター・スーパースポーツで、唯一のレストアされていない1台です。しかも、オリジナルのボディを残す4台の1台でもあります」

専門家による調査を終えると、メドカーフと彼のスタッフはエンジンとシャシーをリビルド。見た目のリフレッシュも進められた。新車として購入したバーロウから受け継いだ、当時の1枚の写真をもとに、ボディとフェンダーに修正が加えられた。


ベントレー・3リッター・スーパースポーツ(1925〜1927年/英国仕様)

「ボディ両サイドのランニングボードが低すぎたので、約50mm高くしています。クロームメッキされた部品も取り外しました」

メドカーフは、97年前の写真の通り、ボディをブラック・アウトするべきだと判断。ライトやフロントガラス・フレーム、ホイールのスピナーなどが、丁寧に塗られた。そのディティールが、クラシックカーとしての独自性を高めている。

レザーの内装は補修を受け、バッテリーボックスがランニングボードの下側に追加された。クラシカルなブロックリー社のタイヤが組まれ、3リッター・スーパースポーツは見事に仕上がった。

完成後のテスト走行を済ませると、メドカーフはラリーイベントへ参加。グレートブリテン島の中西部、湖水地方やノースペニンズ自然公園などを彼の妻と巡った3日間は、素晴らしい体験だったと振り返る。

「スーパースポーツは峠道を見事にこなしました。妻のケイトの運転も素晴らしかった。9フィート(約2743mm)のホイールベースで、ゴーカートのようにコーナーへ食らいつきます。夢のようなハンドリングです」

ビンテージ・ベントレーのフーリガン仕様

「発進してしまえば、ダイレクトなステアリングホイールの重さも改善されます。フライホイールが軽いので、エンジンのレスポンスも鋭い。ビンテージ・ベントレーのフーリガン仕様といったところですね。通常の3リッターとの違いは明らかです」

ベントレー・マニアの1人として、メドカーフも3リッター・スーパースポーツの存在は以前から知っていた。しかし、過去のシャシー番号1046の発見をきっかけに、特別なモデルだという理解を深めたという。


ベントレー・3リッター・スーパースポーツ(1925〜1927年/英国仕様)

「何年も乗られていないクルマでしたが、エンジンはなんとか始動できました。近所でしたから、3000rpm以下に保って自宅まで走行も可能でした。住宅ローンを選ぶか、レストアを選ぶか、という究極の二択のような選択でしたが」

「完成したクルマでヒルクライム・レースに出場し、それぞれが特別な3リッターだと実感したんです。それ以来、ほかのスーパースポーツの捜索を始めたんですよ」

これまでにメドカーフは、シャシー番号1174も含めて、18台のうちの8台をレストアした。さらにオリジナル部品を用いて、5台分のショート・シャシーも制作している。

202psを発揮するWO.ベントレーの3.0L 4気筒エンジンが、1450kgの車体を駆る3リッター・スーパースポーツは、今も清々しいほど速い。2010年の北京・パリ・モーターチャレンジにも夫妻は別のクルマで参戦しており、クラス2位の成績を残している。

「スーパースポーツは、わたしたちのビジネスを一変しました。これがどんな走りをするのか、多くの人へ披露することは大きな喜びです」

協力:ウィリアム・メドカーフ社、クレア・ヘイ氏