猛烈に売れたくて頑張った先にあったものとは(写真:青木さん提供)

最近は文筆家としても評価の高い青木さやかさん。かつては「有名になりたい!」と猛烈に思っていたのに、ようやく有名になった時に感じた「独特の感覚」。売れたくて、人気者になりたくて必死に頑張った青木さんが、頂点に立ってわかったことを、青木さんの新著『厄介なオンナ』から抜粋してお伝えします。

わたしは確かに有名になりたいと願っていた

わたしはとても有名だった時期がある。表参道の靴屋さんにいたら、外に人だかりができていて、何があるんだろう? と思ったら、わたしを見に集まった人たちだと知って驚いた。じろじろとみられて、ぞろぞろとついてきて、怖かった。

その3カ月前まで、わたしは確かに有名になりたいと願っていた。そうすれば知り合いが増えて、みんながわたしを知ることになるから、きっとわたしが抱えているこの孤独は埋まるのだろうと考えていた。

しかし、どうだろう。そのとき、わたしは都会の真ん中で知らない人に囲まれてこう叫びたい気持ちでいっぱいだった。

「世の中全員、わたしを忘れてください」

有名になることが孤独を埋めることではなかった。むしろ知らない人がわたしに対していろんな感情をもっているのは恐怖に近かったし、いつも見られながら生活するのは落ち着かなかった。一歩外に出るといつも誰かに見られていると感じながら暮らした。

実際、何度か週刊誌の人に待ち伏せされたり、追ってこられたりしたことがあり、外に出たり歩くときは、後ろを振り返る癖がついた。これが有名になるということ、これがなくなったらそれはそれで寂しいよ、と言う人がいた。いまはそれはなくなったが、まったく寂しくない!

後に、ジャスティン・ビーバーが歌っている「ロンリー」という歌を聴いて、気持ちがわかりすぎて泣けた。ジャスティン・ビーバーとは格が違いすぎるだろうというのは言いっこなしだ。泣けた。

いまさら、仕事が辛かったとか、あれが嫌だった、とか言いたくはないし、そうだったわけではない。

なにをしていても、辛いときがある

そりゃ慣れないⅯⅭの仕事や、休みなく次から次へと入ってくる仕事に爪痕を残し続けること、明らかに残せなかった日の帰り道、それでも行かなくてはならない翌日の仕事、弱音をはくことができないこと、その1つひとつは、きつかった。だけど、それが仕事ってもんだろう。努力し、汗をかいて、全力でやることが仕事ってもんだろう。

だから、わたしは、仕事が嫌だったわけではないと思う。
わたしは、なにをしていたって、きっと辛かった。

きっとあのとき、
バイトしてたって、
大富豪と結婚してたって、
もっと仕事で評価されてたって、
宝くじに当たってたって、
大好きな人から大好きだって言われ続けたって、
きっと辛かった。

それが、あの時のわたしだったのだ。

何をしている時が楽しいか?もしかしたら楽しい人は何をしていたって楽しいんだと思う。わたしは、何をしていたって楽しいことなんてひとつもなかった。

「ゴリさん、楽しいことがないよ、わたしは」
わたしの親友ゴリけん。
「あるだろう」
「ないよ、ないないなーい」
「俺は仕事がないよ」
「ゴリさんは仕事がなーい」
「おい!」
「ははははは」

「笑っとるやん」
「笑ってるね」
「楽しいことあったやないか」
「なにが」
「青木さん、いま笑ってただろう」
「いま、笑ってたことも忘れてしまうほど、わたしは限界である」
「まあ、ビールでも飲んで」
「どこまでいくんだろう」
「は?」
「いつまでわたしは忙しいのだろうか」
「しらん」

カメラの前で、笑っていくしかない

「倒れてしまいそうだよ、だけど明日になればまた、強いチカラでカメラの前に立つのだ」
「よいしょ!」
「よいしょってなに」
「かけ声よ」


「ああ、明日はロケだよ、わたしはきっと」
「きっと」
「みんなを作り笑顔でだますのだ」
「よいしょ!」

「笑顔はすごいよ、自分もだませる。どんなに疲れていたとしても、泣きそうだったとしても、無理矢理の笑顔は気分をあげてくれるのだ」
「そうだな」
「笑顔のチカラはすごいから」
「そうだな、写真とろう」
「写真にうつるのはうまいよ、わたしは」
「そうだな」
「いつか本当に笑えるのかね、わたしは」
「よいしょ!」

(青木 さやか : タレント)