男が感じている育児のモヤモヤってなんだ!?これからの時代の″親″像をめぐって 常見陽平×本人 対談 - BLOGOS編集部

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※この記事は2019年10月08日にBLOGOSで公開されたものです

ネットにあふれる子育て応援系コンテンツ。でも、男性目線のものはやっぱり少数になりがちだ。そんな折、現状に待ったをかける男の育児エッセイ本が同時期に2冊発売された。一冊はBLOGOSブロガーとしてもおなじみ、千葉商科大学専任講師・常見陽平氏の『僕たちは育児のモヤモヤをもっと語っていいと思う 』(自由国民社)。そしてもう一冊がインターネットユーザー・本人氏がコンテンツ配信サイト・cakesでおこなっていた人気連載に加筆した『こうしておれは父になる(のか) 』(イースト・プレス)だ。

今回はご両人に登場いただき、男たちが感じる「育児のモヤモヤ」について語り合ってもらった。なお、本人氏は顔出しNGのため、書影で顔を隠しての登場となっている。【構成:村上隆則】

左:本人氏、右:常見陽平氏

育児について、男同士でちゃんと語らなければ!

常見陽平(以下、常見):育児について、男同士でちゃんと語らなければ、戸惑いを共有しなくてはダメだなと思い、『僕たちは育児のモヤモヤをもっと語っていいと思う』を書きました。育児についてモヤモヤしているのに、何も言えなくてストレスが溜まってるパパっていっぱいいるはずなんですよ。本人さんの『こうして俺は父になる(のか)』はさすがだなと。このあたり、見事に描いているなと。

本人:ありがとうございます。いまうちの子は1歳と4カ月くらい。ちょうど歩きだして、いろんなところに行きたがるので大変、そんな感じです。

常見:うちはちょうど2歳2カ月になったばかりですね。よく話すようになり、いろいろ主張するようになってきました。イヤイヤ期で、「いやだ」ということを明確に言うようになったり。私や妻がトイレに行くと、なぜか水を流したがったり。

本人:やり遂げたい欲求みたいな。

常見:それはありますね。情熱的な娘だなあと思いつつ。若干、親バカ入ってますけども。

「父親らしさ」より「親らしさ」が大事?

-- 今回、お二人の父親目線の育児本というのが同時期に出たわけですが、お2人は「父親らしさ」みたいなものについてどうお考えですか

常見:ちょっと自分語りになってしまうのですが、僕の父親は、僕が生まれる前から脳腫瘍を患っており、体が不自由でした。障害者手帳も持っていました。僕が生まれてしばらくした頃には杖がないと歩行ができず、小学校に入る頃にはもう寝たきりでした。入院している期間も長く。私が11歳になった頃に亡くなりました。一緒にいる期間が短かったのです。

だから、父とは一緒に過ごしたのですけど、あまり覚えてないんです。いつも家にいて、会社に通勤する父ではなかったですし。以来、父とはなんだろうという模索がずっと続いてて、いまだにわからない。もっと言うと、そもそも「父親らしさ」ということに僕はまったくこだわってなくて。「親らしさかな?」みたいなね。

-- 「父親らしさ」ではなく、「親らしさ」

常見:「親らしさ」ということだと、親としてちゃんと収入を得るとか。僕は一日6時間、家事育児をやっていて、知人からは「やりすぎだ」って声もあるんだけど(笑)。嫌じゃないのと、一方で僕がやらなきゃとか、いろんな思いがあってやっていて。

「父親らしさ」よりも「親らしさ」にこだわってますね。ただし、本人さんの主張とも重なると思うんだけど、「カッコいい男でいたい」という思いはあるんです。そのカッコよさって、『BRUTUS』『Pen』的なおしゃれさ。この2誌を読むのをやめたり、この手の雑誌的世界を目指すのをやめたら男として終わりだと思っています。いや、すでにこの時点で痛い中年なんですけど。

本人:今回、「父になる」と本には書きましたけど、考えとしては常見さんと今聞いて似てるなと思ったんですよ。父親、というよりも、どちらかというと親というか。子どもの保護者に近いのかな。経済だったり世話というか、一緒に育ってくところで、親らしくは多少なれたのかなとは思ってるし、そういうものになったなと思うんですけど。

「父」という言葉に関して言うと、やっぱり家長とか大黒柱とか、威厳のある存在だと最初は思ってたんですよ。だから、子どもが生まれるということは、そういうふうに家をレペゼンして、かつ、子どもにも全力で向かい合い、行動すべてお手本になって……と思ってたんですけど、今年もフジロックには行きましたし、独身時代、妻と結婚する前の自分たちがやってたデートみたいなことを子どもと一緒に、ということもやってるし。親らしさ、父親らしさ、と考えると父親らしさってどうなんでしょうねという。

常見:僕はもちろん娘が最優先ではあるんだけど、自分が大好きでしょうがないというのがあって。自分が好きでいられる人間でいたい。ただ、いわゆる「父親らしさ」の威厳とかまるで捨ててて。家ではお手伝い猫型ロボットのという設定なんです。人間リモコン、人間スマートスピーカー状態です。料理つくるし。仲居さんみたいにふるまっています。ちょっとでもミスがあったらいちいち傷つくし。何かあったら「すいませんすいません」って謝るし。「父親らしさ」なんて、そこにはありません。


子育ての話になると男対女になってしまうナゾ

これ、今回の対談の大事なメッセージだと思うんですが、子育てになると、男対女の話になり、男が悪いということに回収されるというのが不思議でならなくて。やっぱり、「人間じゃん、親じゃん」ということだと思うんです。親という威厳はなくて、パートナーみたいな感じ。この人が生存するためのパートナーというか仲間、そういう感じなんでね。

本人:本当にそうですね。結婚して子どもが生まれてという生活をやってみて思ったんですが、妻はもちろんだし、子どもも意外と対等なところあるんだなと思って。

常見:それそれ。

本人:一緒に歩いてる感がすごくあった。

常見:昔の人からは「だらしない」とか言われそうだけど、僕もパートナーだなあって感じがして。一応大学教員なんですけど、教育者は日々、「教え子から教えられる」ことがあるんですよ。もちろんプロとして僕の方が圧倒的に知識がないとダメだし、指導力も身につけてるつもりですが、たとえば教え子のちょっとした素直な気づきや、足で集めたデータにはもちろん教えられる。

もっと言うと、会社だって部下から教えられてる上司はいっぱいいると思うんです。今どきの部下には「上司をマネジメントする力」すら必要ですし。お客さんから教えられることも昔からいっぱいあるわけだから。責任は果たさなきゃいけないとは思うけど、別に「上だ、下だ」じゃなくて「対等だ」という感覚は大事にしてます。

本人:うちの子、最近離乳食からちょっとずつまともなものを食べるようになってきたんですけど、僕が食べられないトマトとかガンガン食べるようになって。食に関して言えば、むしろこいつのほうが一歩先行ってるなって(笑)。

常見:チャレンジして食べるしね。あとは音楽に引きつけて言うと、うちは料理を99%僕がつくるんですね。料理をやってると「これはDJだな」って感じがして。クラブでオールナイトで踊っているときに、Underworldの『Born Slippy』が流れて超盛り上がる的な。20年くらい前のクラブみたいな感じで「きたー!」みたいな感じで盛り上がると嬉しいですね。「この子にこの食材は馬鹿ウケなんだ」なんて気づいたり。

-- 子どもから教えられることもたくさんある

常見:そうなんです。日々教えていただいているくらいに思ってます。

本人:むき出しの感受性みたいな生き物がドーンと来るから。どっちかというとそんなに人付き合い好きじゃなかった自分にとってみたら、「こんな至近距離でダイレクトに来てくれる人間、久しぶりだな」みたいな感じで。

常見:そうですよね。保育園に迎えに行ったとき、バーッて全力で走ってくるとか。

本人:あれすごかったです。最初見たときびっくりしました。

常見:やっぱり素直に面白いものと面白くないものを表現しますよね。たとえばYouTubeとかって見てます?

本人:見てます。

常見:何にハマってます?

本人:歌モノですね。YouTubeで見られるものも含めて、最近はEテレ的なものに反応しだして、『パプリカ』とか流すと踊ってます。

常見:僕と本人さんが微妙に違うのは、本人さんは小学校のときにギリギリ、アニメでアンパンマン見たと思うんですよ。

本人:そうですね。

常見:アンパンマンはアニメが始まったのが、たしか1988年なんですよ。僕はやなせたかし先生の絵本は見たような気がするんだけど、アニメのアンパンマンは見てなくて。バンダイにいたからわかっていたつもりなんですけど、アンパンマンというコンテンツがいかに強いかを日々思い知らされたりとかね。全部「マン」とか「ちゃん」つければキャラクターができることにも衝撃を受けましたけど。あかちゃんマンにはびっくりしましたよ。

本人:(笑)

常見:本当、素の感性に日々教えられるんですよ。


「いざ生まれてみましたとなったら、至らないところばっかり」(本人)

-- お二人は、お子さんが生まれてから「いざ子育てしよう」とか「育児に参加しよう」とか身構えることはありましたか

常見:身構えることはなかったです。やっぱり待望の子どもだから。子供が欲しいと思ってから5年かかったし、「ああ、この子はパパがいるんだ」という。最初に自分が育った家庭の話をしましたけど、帰ってきて当たり前に健康な両親がいる家庭というのが初めてで。両親いるんだ、病人が一人もいないんだ、というのも含めてね。いや、生まれ育った家庭を誇りに思っているし、親には感謝しかありませんが。でも、家庭像は常に移り変わりますけれど、私が幼い頃に思い描いていた普通の家庭はこういうものなんだと噛み締めたり。やりながら戸惑う部分というのは色々とありましたが。

本人:自分の場合は、両親が健在でそこから育ってきた二人だったんですが、育児に関してはじいじ・ばあばに頼れないとなる。東京で夫婦二人で一人の子どもを見るフォーメーションでいくことが決まってたので、やっぱりそつなくというか、ちゃんと育てられるようになれたらなと思ってたんですよ。でも、インターネットとかTwitterを見てると、やっぱりパパという存在は、育児をわかってないディスられの筆頭として大活躍してて(笑)。そういう失敗事例はたくさん出ていると。自分はそういうルートは絶対たどらない、ちゃんとやれるぞと思ってたんです。それを失敗しないように心がけてやってきて、いざ生まれてみましたとなったら、至らないところばっかりという感じでした。それで、ちゃんと自分たちでうまく育てられるように頑張ろうみたいな。

常見:そうか、なるほど。僕はそこで言うととにかく家庭の中で一番格下でいようと思ったんですね。とにかく日々勉強しつつ、失敗してもすぐに反省して直して、妻と娘にストレスをかけない生き方をしようということは常に心がけてますね。それはあるかなあ。

「ちゃんと」やることの難しさがストレスを生む?

-- 今本人さんがおっしゃった、「ちゃんと」というのが、なかなか難しいんですよね

常見:ちゃんと、ね。これ、育児に関わらず今の社会全体で、ちょっとしたことで批判があったり、さまざまな点で社会の分断ということがキーワードになったり、課題も多様で。「ちゃんと」ということ自体がけっこう難しいんじゃないのかなと思っている。一方で、僕も結局ちゃんとやろうとしてるんですよね。

そのことでストレスが生まれるのだと思います。結局、社会に迷惑をかけないことと、何より娘の健康などに害がないことが大事なのですが、ミスしないこと、叩かれないことが前に来すぎている感じ。結果として合格点を上げていて、みんな苦しんでるんじゃないかなという気はしますね。

本人:最初のお話にあった「父親らしさ」も、自分の中でもともと抱いていたイメージがあって、それに少しでも自分が当てはまるように頑張ろうというところがあったかなあと思います。だから、育て方についても父としてだけじゃなくて、家族を仲良くという中で、子どもも元気にはつらつと育つ、といういろんな理想があって、そこから外れないようにというのがあったのかもしれない。最終的には「死ななきゃいい」「腹減りすぎなきゃいい」というところに落ち着きましたけど。そこまで1年かかりました。

常見:そうそう。仕事はサボっても死なないから。たまに致命的なミスってあるけど、それも大体死なないんですよ。でも育児ってサボると子供が死ぬし、死ななくても心身に障害を抱える可能性はあるじゃないですか。普通に考えるとどうせ早く死ぬのは僕の方です。僕みたいな中年よりも、この子のほうが未来がありそうだなと思ってね。だから、自分が主人公じゃなくて応援団なのだと。今は娘にいい人生というか、娘がやりたいと思ったことに全部チャレンジできる人生にしたいですし、母に幸せに暮らしてもらいたいなと思っており。その応援団でいたいです。いざ留学したい、お金のかかる大学や学部に行きたいと言い出したときにどうするかは考えてはいますね。

「ワークライフバランスといいつつ、正直、アンバランスです」(常見)

-- その一方で、お二人とも仕事もバリバリとやっていらっしゃるわけですよね。仕事と家庭のバランスはどうやって取っていますか

常見:本人さんはふだん会社員なんですよね。

本人:そうです。今日半休を取ってやってきました。いわゆるIT業界の人間で、エンジニア企業なので格好はこんなふうにラフでもいいんですが、フレックスで働いてて、仕事終わったら保育園でピックアップして、そんな生活を送ってます。

常見:僕はよく自由人と見られてるんだけど、一応大学の教員なんですね。大学の教員は会社員ほどガチガチに予定が決まっているわけではないですが、微妙に予定が入っていくのです。まず絶対に講義をやらなくてはならないです。昔の大学のように休講だらけなんてことはありえないわけで。他にもオープンキャンパスや入試、委員会活動などもあり。比較的自由ではありますが、それなりに忙しいです。

ワークライフバランスといいつつ、正直、アンバランスです。家庭第一です。申し訳ないですが、僕は子供が生まれてからこの2年間は昔のペースでは全然働いてないです。ずっと悶々としてます。アウトプットのクオリティ下がってんなとか、上げられないなとか。娘や教え子の前でイライラしないためにも、疲れをとるためにも必ず6時間寝ていますし。

完全に弱音にしか聞こえないと思いますが、もっと集中して研究したいなとか、調査したいなとか、原稿も一字一句ていねいに書きたいなと思いますけど、全然回りません。この2年間よく食えてるなと思うくらい、昔に比べると働いてないんですよ。それについては、正直、めちゃくちゃ焦りがあるというのが正直なところです。いつまでここに残れるのかなと不安に思いつつ、仕事はともかく、なんだかんだ言ってがむしゃらに生きてはいます。でも、僕は人生の座右の銘が「中空飛行」だから、偉くなるのはやめようと思ったんです。

芸術監督やってくれみたいな話はおかげさまで来ないのですが(笑)。同世代の書き手はヒット作があったり、ラジオパーソナリティーなんかをやっていて凄いなあと羨ましがりつつ。論者なので、叩かれてナンボの世界ですけど、一方で今以上に疲れたくないので。日々、悶々としていますよ。まあ、芸術監督はともかく、ラジオパーソナリティーは来年か再来年くらいにはできたらいいなと思ってますけどね。


生まれる前の過ごし方はできないと痛感・・・

-- 本人さんはお仕事で悶々としたりすることはありますか

本人:自分自身で言えば、24時間という時間が子どもが生まれたことによって、生まれる前の過ごし方は絶対にできないんだなというのをしみじみ痛感しています。仕事というよりかは、趣味の範囲だったりするんですけど、突発的にライブ行きたいなあというのも絶対無理だし。あとはカラオケ2時間くらい歌ってから帰るもまずできないので。こういうところが、すごく変わってきた。今までライブに足を運ぶとか、イベントごとに身を投じることで、自分の楽しみや何かをアウトプットするのを糧にしてたから、そこがえぐられたなというのは感じました。

常見さんの本でも、子どもが生まれる前は7冊出していたのが今は1冊でペース落ちたって話をされていましたね。それでも、育児を料理とか含めてやってらっしゃる上で教鞭にも立ち、かつブログでは旬の話題を即キャッチアップして書いている。すごいバイタリティだ、尊敬だわっていう。

常見:そう言ってくれるとうれしいんですが、なんかバイタリティ落ちてないかって不安になる瞬間がありますよね。昔はもっとアクティブだったなみたいな。気持ちの切り替えはすごく難しいなと思ってて。知識人として、様々な問題について怒りの炎を燃やしつつ、社会に警鐘を乱打しなければと思って荒ぶっているときに娘のアンパンマンやパプリカダンスに付き合わないといけない。僕、硬派な左派論客なんだけどな・・・。

そうそう、あいちトリエンナーレに娘と一緒に行ったんですよ。表現の不自由展が終わった後だったんだけど、作品を見たり、一連の問題についていろいろ考えてるときに、娘は無邪気にカラフルなものに反応してキャーとやってる様子を見て。とはいえ、意味がわからなくても、一緒に行った体験は大切にしたくて。自分自身も見たかったし。娘を連れ回すことによって、バランスをとっています。

仕事のモヤモヤは「働く女性がずっと感じていたこと」

常見:僕、身を粉にして働く社会はおかしいと思っていて。自分で実験してるんですよね。一生懸命頑張らないとどうなるかということをね。

これは働く女性がずっと感じていたことなんですよね。リクルートみたいな会社にいたときがそうだったけど、バリバリ深夜まで仕事をしたりとか、週末はやれパーティーだ、夏休みは海外旅行だとか言ってた人が、子どもが生まれて時短で16時に帰るという。今までみたいに働けないことに戸惑っている同期や後輩をけっこう見てきたから。それは自分の上司にも部下でも、会社員時代そういう人たちがいたから。これを男性も味わう時代になったんだなということですね。

本人:うちは共働きなんですが、妻が一番しんどくなったり悲しんでたのは、育休中ずっと家にいなきゃいけないことから来る、社会から切り離されているという疎外感。あと言葉もうまく出てこないというのは言ってて。自分は1カ月ちょっと育休取ったんですけど、そんなわずかな期間ですら社会と全然切り離されちゃってんなと思いましたからね。あと、育児って、7時から9時まではパパですママですと切り分けできない。常に頭にあるし、考えなきゃだしで大変だなと(笑)。

常見:やっぱりそうなんですよね。ITが発達して、やれ働き方改革だって言ってても育児が大変なのは明らかだし、それを昔は女性が中心にやってきた。専業主婦モデルがあったりとか、妻は非正規というモデルが今も多かったりする。

ワンオペ育児は反対で、これからはシェアオペ育児。二人でやるとか、あるいは祖父母や親戚、社会とシェアする。僕はあんまり保育サービスを使わない人なんだけど、いまはそういうもの活用しないと難しい。

-- なにがしか社会の手を借りないと、八方塞がりになってしまう場面はでてきますよね

常見:いろんなデスマーチがありますよね。やっぱり共働き前提の社会になってきたから。そういった意味で、メディアもみんながそれぞれ模索してるということをもっと伝えるべきなんじゃないかな。礼賛されるよくできたイクメン像とか、あるいは子供がいてもバリバリと働いていますという女性像じゃなくて、なんとかもがきながら模索してるんだよということ。なんでみんな100点を求めたりとか、足引っ張るのかなと思いますよね。

本人:やっぱり子どもを育てる前とかは、キッズラインとかファミサポさん、ベビーシッターサービス、ともすればそういうことに頼むことすら、NGとまではいわないけど愛情とはと問われかねない空気感があったんじゃないかな。お金かけて便利にしていくこととか。言われるんじゃないかという懸念が最初あったんですが、蓋を開けてみれば、そういうのに頼らないとやっていけないので。


育児には「今しか見ることのできない世界」がある

常見:そっか。僕ももっと頼ればいいんだな。あんまり頼ってないというか、そこで引き継ぎをするのが面倒くさいみたいなね。

以前、宇多田ヒカルが「人間活動」と言っていた意味が最近よくわかって。人生で最高に今、人間活動してるなという感じがしてて。娘を迎えに行ったら、そのまま僕と一緒に買い出しに行ったりして、日常的にスーパーに行くわけです。「旬の野菜が変わってきたな」みたいなことを感じたり、お出かけして秋っぽくなってきたなあみたいなことを感じたり。今まで仕事に没頭していた頃とは違う景色が見えてきた感じがします。

本人:本にもまさにそれが書いてあって、めちゃくちゃ感銘を受けたんです。今しか見ることのできない世界。

常見:それそれ!

本人:これですよね。このフレーズ、まさにそのとおりだなと思って。

常見:とんでもない。

本人:まさに自分もそうだなと思うんですけど、子どもと歩けるようになったことで見えたものというか、子どもという人間を至近距離で見ることによって、人間活動なのかコミュニケーションというものが取れるようになったのってすごい発見だなと思って。それって今まで自分が見たいものを見に行く生活をしていたところと、もしかすれば対象が違うだけでやってること変わらないのかなみたいな。

常見:そうですね。あと、世の中にはいろんな人がいるということに今まで無頓着すぎたと思うんですよね。まさに今、多様性の時代だと言われていて。LGBT、外国人、障害者、さらにはさまざまな思想信条の違いもあるわけで、そのことに対して無頓着だったな。論者として向き合っていたつもりが、無頓着だったということに気づいたり、社会の変化を肌で感じている。

娘がいることで見える世界が変わったこともあり。たとえば、『BRUTUS』『Pen』っぽいおしゃれな部屋がいかに娘に危険か、と。けっこう奮発して買ったBoConceptのコーヒーテーブルに緩衝材をつけた瞬間、どうでもよくなりましたね。その瞬間、見えるものが変わる。

満点を目指さなくても、自分らしい親像を考えることが大事

-- これから父親になる人も世の中にたくさんいると思います。そういう人たちにアドバイスはありますか

常見:自分の反省も含めて言うと、「子どもが生まれることにもっと詳しくなってください」ということは一つ言えるかな。

日本の性教育、AVって相当ダメだと思うんです。最近はあんまり性のことって雑誌に載らないように思うのだけど、「いかに妊娠しないか」「性病にかからないか」ということに対しての知識は結構あるのに、「いかに授かるか」という知識は男女ともないと思うんですよね。僕は猛反省しました。全然授からない。

いざ、子供を授かる際の知識もそうです。いま、メディアで話題になる出生前診断や無痛分娩なども、自分ごとだと思って知ってほしい。その手の情報ってどんどん届けるべきだと思う。

極論かもしれないけど、そういうことを意識するためにも、少なくとも大人の健康診断には精子チェックを、人間ドックなどのオプションで入れられるようにしてもいいかもしれない。本当に少子化に歯止めをかけるんだったら、まずそういったことに詳しくならないと。

あと、やっぱり不毛な対立はやめようってことですよね。「誰かが悪い」という話をすることが、いかに世の中を萎縮させて不愉快にしてるのか分かって欲しい。男性や企業を仮想敵にした取り組みとか、あるいは、逆に言うとイクメン企業だと手放しで礼賛するのもダメで。すべてのことは模索中だと思うのです。満点目指さなくてもいいよと思うし。自分らしい親像を考えることが大事なんじゃないかな。男性の育休義務化などが議論されていますが、まず気持ちよく育てられる権利をもっと主張させてくれよって思います。


「よくできたイクメンじゃなくてもいいんじゃないの?」

-- 本人さんはどうですか

本人:知識のところに関しては、本当にそのとおりだなと思って。自分は妊娠期間中や育児についてとにかくネットで掘りまくって痛い目を見た人間だったんですけど。体系的にとかクリティカルな知識、実践的なものはもっとカジュアルなところに置かれてしかるべきだと思いました。それはマニュアルだけじゃなくて心構え的なところもそうで、そういうところに対して情報提供というか、一事例として自分はエッセイを書いたというのがあったんですが、同じ時期にもっと実践的なものを常見さんが書いてて。

常見:ありがとうございます。そう言っていただいて。

本人:なんか、妊娠がわかったときに自分が読んで役に立ったと思える本を出したいくらいに考えてたんだけど、こっちがもし手元にあったら、すごく安心しただろうなという。

常見:そう言っていただけるとうれしい。大事な模索だしね。もっと男は育児のことを語っていいはずなんです。さまざまな知識も教育のあり方もあると思うんだけど、でもこういう記録って残していくべきだと思っていて。みんな模索してるんだよと。ある意味、僕らの男性模索本が同じタイミングで出たのは、「よくできたイクメンじゃなくてもいいんじゃないの?」ということかもしれないし。完璧を目指して足の引っ張り合いをする社会はやめようよと思うんですよね。

本人さんはお子さんとロックフェス行ってるじゃないですか。僕まだロックフェス連れてってないんだけど、そういうのにどんどん行くとか、新しい父親像が沢山あればいいんじゃないかなというふうに思いますよね。

本人:フジロックは、年々キッズエリアを広げていますからね。

常見:来年僕もフジロックに実に久々に行こうかな、と。フジロックの時期がお盆明けになって。その時期にやっているサマソニが来年はお休みなんですよね。

-- では次回はフジロックで再会というのを楽しみに

本人:なにとぞ(笑)。

常見:いきましょう。

プロフィール
常見陽平(つねみ・ようへい):
身長175センチ、体重80キロ。千葉商科大学国際教養学部専任講師/働き方評論家/いしかわUIターン応援団長 北海道札幌市出身。一橋大学商学部卒業、同大学大学院社会学研究科修士課程修了(社会学修士)。リクルート、バンダイ、ベンチャー企業、フリーランス活動を経て2015年4月より千葉商科大学国際教養学部専任講師。専攻は労働社会学。大学生の就職活動、労使関係、労働問題、キャリア論、若者論を中心に、執筆・講演など幅広く活動中。平成29年参議院国民生活・経済に関する調査会参考人、平成30年参議院経済産業委員会参考人、厚生労働省「多様な選考・採用機会の拡大に向けた検討会」参考人、「今後の若年者雇用に関する研究会」委員、第56回関西財界セミナー問題提起者などを務め、政策に関する提言も行っている。ラジオ番組bayfm「POWER BAY MORNING」レギュラーコメンテーター。

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本人(ほんにん):都内在住の30代男性。家族構成は妻、子、猫。一般企業のWeb担当、ニュースサイト編集記者などを経て、現在は平日にサラリーマンをしつつ、さまざまなライブやフェスに足を運んで記録するインターネットユーザーとしても活動している。

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