「なんでこんな下手な選手がユニホーム着ているのに・・・」荒木大輔氏×橋上秀樹氏対談 4年のリハビリと復帰登板を振り返る

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 プロ野球界の一流指導者たちが出演し、野球ファンの間で話題になっている、プロ野球東京ヤクルトスワローズなどで活躍し、引退後は楽天、巨人などでコーチを務めた現・新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ監督の橋上秀樹氏のYouTubeチャンネル「橋上秀樹アナライズTV」。

チャンネル4人目のゲストとして、現役時代ヤクルトで活躍し、引退後は西武、ヤクルト、日本ハムでコーチを務めた荒木大輔氏が登場。

今回は自身が現役時代に体験した壮絶なリハビリ時代の話、そしてそこから復帰した92年の復帰登板についてのエピソードが語られた。

【動画】荒木大輔氏が語る92年の復帰登板。古田も感じたヤクルトの生まれ変わった瞬間とは?
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「復帰が厳しいとは全然思わなかった」


エースとしてチームを支えていたヤクルト 時代。荒木氏は右肘の痛みによりトミー・ジョン手術を受けた。

そこからのリハビリ期間は実に4年。当時のリハビリ期間について荒木氏はこのように振り返る。

「当時、(ファーム施設のある)戸田でずっと走らされていましたね。それしかやることがなかったので。グラウンドにも入れてくれない時期もありました。あれはたまんなかったですね。あの頃は今みたいにリハビリ担当がいるわけでもなく、1人だったので大変でしたね」

4年の月日の間には、続々と若手の台頭もあった。そんな中で荒木氏は自身の復帰について、どのように考えていたのだろうか。

「復帰が厳しいとは全然思わなかったですね。戸田で周りでやっていたヤクルトのユニホームをきてる選手が、下手だったんですよ、どう見ても。なんでこんな下手な選手たちがプロ野球のユニホームをきてやっているのに、俺はこんなことをやっているんだろうと思っていましたね。だから、ちょっと投げられるようになったら、絶対いけると思ってやっていました」


長いリハビリの末、ようやく復帰登板となる1軍のマウンドに上がったのが、92年9月24日、本拠地神宮で行われた広島戦だった。

その復帰登板をチームメイトとしてライトの守備位置から見守った橋上氏は、当時のことをこのように振り返る。

「あの時荒木さんが抑えて、僕はライトで1人涙を流しました。良かったと思って。荒木さんが呼ばれて出て行った時、もうその時から神宮が異様な雰囲気になっていて、僕も守っていてバクバクしていましたよ。大丈夫かなと思いながら最後空振り三振でうちとって、自分のこと以上に涙を流して喜びましたね」

ちょうどチームは優勝争いの佳境にあった。あの古田敦也氏も「あの時からヤクルトの潮目が変わった」と証言する荒木氏の復帰登板。

実際にこの年のスワローズは14年ぶりのリーグ制覇に輝くと、翌年にリーグ連覇、日本シリーズでは西武を下し、悲願の日本一を達成と常勝軍団へと変貌を遂げていく。

動画内ではこのほか、「大ちゃんフィーバー」を起こした荒木氏の早実時代、当時安田学園高等学校に所属していた橋上氏が抱いていた「ある思い」についても語られている。

[文/構成:ココカラネクスト編集部]