「おひとり様」のアラサー、アラフォーは、いまどんなことを考え、どんな日々を過ごしているのか? 38歳、男性、独身、コラムニストのウイ氏は、「大切な人を失って、自分はいったいいつまで生きるつもりで生きているのだろう、と考えるようになった」という――。

※本稿は、ウイ著、『38歳、男性、独身 淡々と生きているようで、実はそうでもない日常。』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。

写真=iStock.com/sevendeman
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/sevendeman

■沖縄のオジイが亡くなった

2020年12月上旬。その年一番の悲しみに暮れていました。

沖縄のオジイが死んでしまったのです。

沖縄のオジイとは、本当の祖父ではなく、沖縄旅行中に友達になったおじいちゃんです。本人にも愛を込めて「オジイ」(沖縄の方言でおじいちゃん)と呼んでいました。

昔、当時付き合っていた恋人と沖縄旅行に行きました。恋人は仕事との兼ね合いで2泊で東京に戻り、僕だけが一人で3泊沖縄に残ったような旅行でした。空港まで恋人を送り、その足で適当に車を走らせてたどり着いた海で出会ったのがオジイです。なぜ友達になったのか鮮明には覚えていません。オジイが連れていた水牛の大きさに驚き、僕が声をかけ、海を見ながら近くで買ったビールを飲んで喋ったのは覚えています。

出会ったその日、オジイが娘夫婦と暮らす家に泊まりに行きました。

「オジイ、また観光客の人家に無理やり連れてきて! ごめんなさいね! 迷惑だったでしょ」オジイの娘さんが僕に言います。

「いえ。こちらこそ急にすいません。よくあるんですか」
「たまにあるのよ」

慣れっこのようです。

■初対面で三日三晩お世話になる

「酒、飲むか」

オジイはラベルの貼られていない一升瓶に入った酒を飲み始めました。食卓には肉じゃがや山菜の煮物が並びます。

「肉じゃが! 沖縄の人って肉じゃが普通に食べるんですね。チャンプルー的なものばかりかと」思わず言ってしまいました。

「明日は沖縄っぽいものにするわね」
「明日?」

という流れで、図々しくも3日間お世話になってしまいました。

飲んだことのないお酒、食べたことのない料理、聴いたことのない音楽。目が覚めるような美しい海まで徒歩3分の沖縄の民家で過ごした3日間は『田舎に泊まろう!』よりは『世界ウルルン滞在記』寄りの3日間となりました。

写真=iStock.com/O_P_C
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/O_P_C

そして、なんとオジイの孫の一人が僕が当時住んでいた名古屋にいたこともあって、僕が名古屋に帰ってきてからも色々と家族ぐるみでお付き合いが続きました。オジイが名古屋に来た時は娘夫婦に内緒でキャバクラにも行きましたし、酔いつぶれたオジイをおんぶして夜の繁華街も歩きました。

■「今日も生きていること」を嬉しがったオジイ

そんなオジイが体調不良になったのは2020年の年始。

お見舞いに行く約束をしました。3月に沖縄行きのチケットをとったのですが、コロナで流れ、夏に取り直すもそれもコロナで流れました。12月、オジイは亡くなり、結局僕は会えずじまいでした。

しょうがないのでしょうか。

しょうがなくないのです。だってコロナが落ち着いて、沖縄に行けるタイミングはあったのです。その時、僕は行動していなかったのです。オジイの体調がどんどん悪くなっているのは知っていたのですが、2回も流れているし、どうせ3回目も流れるからもう少し落ち着いたら、と思い、なんとなく延期にしていたのです。

僕は時々、自身のこういった怠慢に嫌気が差します。いつまでも電気代を引き落としにしないことも、作りすぎたクレジットカードを見直さないことも、マイナンバーカードを作らないことも全部一緒。一事が万事なのです。その時しかやれないこと、絶対にやったほうがいいことを、いつも先延ばしにして、後悔してしまうのです。

オジイは余命宣告をされてからは毎日、手足が動く、話せる、目が見える、耳が聞こえることに感謝して生きていたそうです。健康じゃないけど、「今日も生きている」という事実がうれしくてたまらなかったそうです。

その話を聞いてからの僕は、果たして自分はいつまで生きられるつもりで生きているんだろう、という自問自答の繰り返しです。そして、いつまで自分の周囲の人が存在するつもりで生きているんだろうということも考えます。

その答えはもちろん存在せず、ただ向き合うことに意味があるとしても、それでも自分の能天気で楽天的な部分に時々たまらなく辟易してしまいます。

■「去年はどんな年でしたか」

「人間はいつか死ぬ」ということを意識するのは不可能です。

ウイ『38歳、男性、独身 淡々と生きているようで、実はそうでもない日常。』(KADOKAWA)

40歳が見え隠れすると、同年代で大病を患う人も出てくるし、親も高齢になります。自分や周囲の死に対して見て見ぬふりができなくなります。

それでも常日頃から「今、自分や、大切な人が死んでも後悔しないか」という強すぎるメッセージは意識し続けることはできないし、誰かの死も背負えない。そういうふうにできているようです。

でも、それじゃああまりにも悲しいなと思っていたのですが、オジイから届いていた年賀状に必ず毎年書いてあった言葉に救われました。

「去年はどんな年でしたか」という問いかけです。

「今年はどんな年にしますか」ではなく「去年はどんな年でしたか」なのです。

去年は、どんな年だったのか。2年前は、5年前は、10年前はどんな年だったのか。

僕は、毎年「今年はこれをやったな」という、いつでも思い出せるハイライトを積み重ねようと思います。

10年先、20年先に「2021年はこれやったな」と鮮明に思い出すことができるハイライトを、たった一つだけ。

それを、毎年積み重ねる。

それが一所懸命生きるということであり、悔いのない人生につながるという結論に至りました。忘れませんように。

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ウイ(うい)
ライター、コラムニスト
本名、ウイケンタ。1982年7月23日、山形県生まれ。東京や名古屋で暮らした後、現在は横浜在住。著書に『ハッピーエンドを前提として』(KADOKAWA)、『エンドロールのその後に』(大和書房)がある。オンラインサロン「喫茶 クリームソーダ」主宰。趣味はアウトドア。好きな食べ物はカレーとざる蕎麦、飲み物はレモンサワー、犬種はゴールデンレトリバー。
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(ライター、コラムニスト ウイ)