緊張の罠から抜け出すには呼吸が重要です(写真: horiphoto/PIXTA)

肩こりや腰痛などの不調を招く「悪い姿勢」は、体の緊張状態が原因の1つです。緊張をゆるめるためにどうすればいいのでしょうか。『「肩こりに悩む人」が知らない呼吸という根本問題』に続き、リハビリを支援する理学療法士であり、アレクサンダー・テクニーク国際認定教師でもある大橋しん氏が上梓した『魔法のフレーズをとなえるだけで姿勢がよくなるすごい本』が解説します。

姿勢を悪くする筋緊張を生み出すもの

生まれたときからねこ背の人はいません。それが成長とともに社会の中でたくさんの「思考」や「言葉」を用いるようになり、損得勘定やストレスで少しずつ体が筋緊張に縛られていくようになる。いつしかその筋緊張に慣れてきてしまい、体の荷重バランスを崩し、「本来あるべき自然な姿勢」をどこかへ置き忘れてきたかのように、姿勢を悪化させてしまうわけです。

もっとも、「思考」や「言葉」が筋緊張やねこ背を引き起こす原因だったとしても、私たちは考えたり話すことから逃れられません。私たちは、ついつい頭の中で「よけいなこと」を考えてしまいがちです。ぼんやりしているときになんとなく「嫌なこと」を思い浮かべてしまい、そのことを思い巡らしているうちにネガティブ思考にハマっていってしまう人も多いでしょう。

そういった「よけいな思考」は、私たちの心身に微妙な影響を与え、「よけいな筋緊張」を生み出しています。筋緊張は月日とともに積み重なり、いつの間にか私たちの体を「見えない緊張の縄」でがんじがらめに縛っていってしまうのです。

私は、「ついつい頭の中で考えてしまうよけいなこと」は、大きく4つに分かれると思っています。

1つめは「過去のこと」です。これは、過去に失敗したり恥をかいたりした苦い経験を思い出して、「何であんなことをしちゃったんだろう」「あの時、ああすればよかった、こうすればよかった……」と後悔と自責のネガティブ思考にハマってしまうパターンです。起きてしまったことは変えられないというのに、「よけいな思考」にとらわれてしまうわけですね。

2つめは「未来のこと」です。これは、暗い未来を想像して、不安や心配を募らせてしまうパターン。「コロナの影響で会社が潰れたらどうしよう」とか、「重い病気になって働けなくなったらどうしよう」とか……。まだ何も起きていない未来を心配しても仕方ありません。しかし、「よけいな思考」にとらわれると、どんどん悪い想像をふくらませてしまいます。

3つめは「自分のこと」です。これは、「なんで自分はいつもこうなんだ」「だから自分はダメなんだ」などと、自分を卑下したり責めたりして追い込んでしまうパターン。他人から見るとささいな問題でも、劣等感や葛藤を抱えていると、ふとした時間にこういう「よけいな思考」が浮かんできてしまうのです。

4つめは「他人のこと」です。これは、「どうして部長はいつも私のことだけを責めるんだ」「彼は自分に敵意を持っているに違いない」といった具合に、勝手な想像で他人を勘ぐってしまうパターン。他人の言動は自分ではどうにもなりません。それなのに、他人に対して敵意という「よけいな思考」をふくらませて、結果的に自分をみすみす悪い立場に追い込んでしまうのです。逆に、人のことをうらやましく思い、嫉妬で心が乱されることもあるでしょう。

「よけいな筋緊張」から自分を解き放つ方法

こういった「よけいな思考」がもたらす「よけいな筋緊張」から自分を解き放つ方法が、1つだけあります。それが、呼吸の自然なゆらぎに身を任せることです。不安やプレッシャーを感じたときこそ、呼吸の自然なゆらぎを感じていく。これを繰り返していくことで、どんなに体をガチガチに緊張させてきた人でも、その緊張をゆるめ、「本来あるべき自然な姿」を取り戻すことができるのです。

呼吸は常に「いま・ここ」にあります。いかなるときも自分から片時も離れず、寄り添ってくれている存在です。「過去」「未来」「自分」「他人」に思い悩むのではなく、呼吸によって「いま・ここ」に立ち戻るのです。どんなに心身が乱れたときも、息の出し入れに耳を澄ませば、呼吸とゆらぎが「いま、この瞬間、この場で生きている」ことを証明してくれます。


(イラスト:『魔法のフレーズをとなえるだけで姿勢がよくなるすごい本』より)

図のように、いつも真ん中にあるのは、「いま・ここ」である呼吸です。上下左右の「4つのよけいな思考」にとらわれそうになったときも、真ん中の「いま・ここ」に立ち返ってくれば、自然体の「本来あるべき自分」を取り戻せるのです。

私たちが「正しい」と思い込んでいるものには、逆に私たちを縛ってしまっていることが少なくありません。一番典型的なのは、筋肉をかためた「気をつけ」の姿勢ですね。いままで正しいと思ってやってきたことの中に、落とし穴が潜んでいるようなものです。

でも、「正しい」っていったい何なのでしょう。私たちはたいてい、子どもの頃から「正しいことを正しいやり方でしなさい」と言われて育ってきました。だけど、それを信じきってしまうと、もしそれが間違っていた場合、「もう戻りようがない」「もう取り返しがつかない」ってことになっちゃいますよね。

それに、いまの時代は情報があまりに多すぎるし、正しいと見せかけたフェイク情報も蔓延していて、どれが正しいのか見分けがつかなくなっています。

「正しさ」に当てはめると体が緊張する


「どこかに正しさがある」「誰かが正しさを提示してくれる」というのは幻想にすぎません。そもそも、正しさとは時と場合によりますし、時代によっても変わってきます。かつて大切にされていた「密なコミュニケーション」が、コロナ禍で避けられるようになってきたことも、1つの例だと思います。

私は、そんなに「正しさ」にとらわれる必要はないと思います。「正しさ」の型に自分を当てはめようとすると、あせりや緊張から自分を窮屈に縛ってしまい、かえって理想とはかけ離れてしまいます。

では、いったいどうすればいいのか。私は、「正しさ」ではなく、「ラクさ」「快適さ」「自然さ」など感覚の質を追い求めていくべきだと思います。つまり、何らかの答えを見つけたいなら、呼吸に耳を澄ませ、体の声に耳を傾けて、より快適なほう、より自然でラクそうなほうを選びなさいということ。私たちが「追い求めるべきもの」はいつも自分の体の中にあるのです。