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日沈まぬ国の紳士が選ぶ24台

text:AUTOCAR UK編集部translator:Takuya Hayashi(林 汰久也)

日本には、卓越した技術と長い伝統がある。

【画像】選ばれるには理由がある【海外で人気の日本車を写真で見る】 全150枚

日本は世界で最も興味深く、楽しいクルマを数多く生み出してきた。また、道端のドリンクマシンで缶入りのホットコーヒーを売っているなど、奇抜なものが多いのも特徴的だ。


車名やブランド名は、あえて海外で活躍している名称で紹介したい。

ここでは、日本で生まれ、世界に飛び立っていった名車をアルファベット順にご紹介する。英AUTOCAR編集部の独断と偏見によるものであることをご了承いただきたい。

オートザムAZ-1

オートザムAZ-1は、日本が誇る「小型化」の技術を結集して開発された。マツダが製作したAZ-1は、厳しい軽自動車規制をクリアしながらも、ミニスーパーカーのようなルックスで人気を博していた。

ミドマウントされた657ccの3気筒ターボエンジンは、最高出力こそ64psだが、7000rpmまで快調に回転する。車重が720kgしかないAZ-1は、0-97km加速を8.0秒で駆け抜けることができた。


オートザムAZ-1

また、ボディキット、ホイール、サスペンション、リミテッド・スリップ・デフなど、マツダスピードのアップグレードパーツも用意されていた。スズキから発売された「キャラ」は531台、AZ-1は4392台の販売実績があり、現在では希少価値の高いクルマとなっている。

ダイハツ・シャレードGTti

1990年代後半のレーシングカーでは、リッターあたり100psが当たり前だったが、ダイハツはシャレードの993cc 3気筒エンジンからこれだけの馬力を絞り出した。

ターボを搭載した高回転型エンジンで、0-97km/h加速で7.7秒を達成している。


ダイハツ・シャレードGTti

シャレードGTtiの魅力は性能だけではなく、張りのある外観に見合ったハンドリングにもあった。1993年にGTtiに代わって登場したGTiは、Lombard RACやサファリ・ラリーなど様々なレースで成功を収め、驚くほど優れたラリーカーであることを証明した。

ダットサン240Z

1960年代後半、日本が手頃な価格と信頼性の高いマシンでオートバイの世界に革命を起こしたように、ダットサン240Z(フェアレディZ)はスポーツカーの世界を変えた名車と言ってもいいだろう。

1969年に発売された240Zは、最高出力153psの6気筒エンジンを搭載し、0-97km/h加速を8.1秒で駆け抜け、MGBを凌駕した。オープンモデルはなかったが、1974年に発売された260モデルを含めると、62万2649台のZが販売されている。特に米国では大ヒットした。


ダットサン240Z

アルブレヒト・ゲルツが設計した流麗なクーペ・フォルムを見れば、その成功の理由は容易に理解できるだろう。ハンドリングも素晴らしく、欧州のライバル車のように機械的な故障を心配する必要もなかった。

ホンダ・シビック

1973年に登場したホンダ・シビックは、同社の中でも最も長い歴史を持つモデルの1つであり、その名は今なお健在だ。

世代が替わるにつれ、シビックはサイズと野心を増し、クーペ、ホットハッチ、ハイブリッドモデルと幅を広げていった。自動車業界のバロメーターとして、シビックほど優れているものはない。


ホンダ・シビック

1980年代には、トライアンフからもアクレイムという名で販売されている。ローバーも、200と400ではシビックがベースとなっている。

現在までに累計2000万台以上のシビックが販売されており、2020年には米国で2番目に売れたクルマとなった。

ホンダNSX

ホンダが最高のスーパーカーを作ろうと考えた結果、1990年に誕生したのがNSXだ。

2977ccのV6エンジンをはじめ、すべてがゼロから作られた。レジェンドに搭載されていたV6とボアストロークは同じだが、キャスティングやディテールはすべて異なる。ホンダは完璧な完成度を目指し、アイルトン・セナもオールアルミ製のシャシーの開発に協力した。


ホンダNSX

NSXは、最高速度253km/h、0-97km/h加速5.3秒という性能を持ちながら、日常的な使用にも耐えうる能力を備えていた。その後の改良でさらに速くなったが、ホンダは1990年から2005年までの間、NSXの価値を維持するために年間1000台以上を販売することはほとんどなかった。

ホンダS2000

ホンダは創立50周年を記念して、2.0Lのエンジンを搭載した2シーター・スポーツカー、S2000を開発した。誕生日プレゼントとしては、図書券や靴下よりはるかに嬉しい贈り物だ。

オールアルミニウム製の2.0Lエンジンは、可変バルブタイミング機構V-TECを採用して243psを発揮。1999年の発売当時、リッターあたり最もパワフルなエンジンとなった。


ホンダS2000

ホンダが世界に贈ったスポーツカーは、BMW Z4やポルシェ・ボクスターなどを相手に猛威を振るい、10年間の生産期間中に10万台以上が販売された。S2000がいかに特別な存在であるかが証明され、今日に至る。

いすゞ・トゥルーパー

初代いすゞ・トゥルーパーは1981年にデビューしたが、英国に上陸したのは1987年だった。登場するやいなや、ランドローバー・ディフェンダーやトヨタ・ランドクルーザーの脅威となった。

特に1988年に大型のガソリンエンジンとディーゼルエンジンが導入されると、高速道路でも使用できる本格的なオフローダーとなった。


いすゞ・トゥルーパー

1991年には2代目が登場し、ランドローバー・ディスカバリーとの戦いに身を投じた。デザイン的にはディスカバリーほど革新的ではなかったが、50万台以上売れた初代モデルの人気を引き継ぎ、多くのファンがついた。

初代トゥルーパーは、日本仕様の「ビッグホーン」をはじめ、最終的に14の車名で世界中で販売された。

レクサスLFA

日本には、他国に比べて優れた技術者がいることを世界に知らしめるべく、特注の限定モデルが作られることがある。レクサスLFAは、500台のみが生産された新時代のスーパーカーである。

構造のほぼすべてがカーボンファイバーでできており、4.8L V10エンジンの回転は非常に速く、これを制御するためにデジタル式のレブカウンターを設計しなければならないほどだった。


レクサスLFA

レクサスは成功を確信しており、投機家が現金化するのを防ぐために、米国のディーラーでは買い取り価格を慎重にコントロールしていた。LFAは強烈な印象を残し、そのスタイリングは現在のトヨタ・スープラにも影響を与えている。

レクサスLS

1989年に発表されたレクサスLSは、ブランドも含め、すべてが新しかった。レクサスはトヨタの高級車部門ではあるが、独立したブランドであり、欧米の高級車に対抗し、打ち勝つことを目指していた。そのためには、あらゆる面で優れていなければならない。

LSの4.0L V8は不気味なほど滑らかで静かで、乗り心地は贅沢を極め、装備はメルセデスのSクラスと比べても見劣りしない。ディテールへのこだわりもLSの特徴であり、デジタル制御のエアコンに0.5度刻みの温度設定をした最初のクルマでもあった。


レクサスLS

ライバルはLSに刺激を受け、LSを購入して解体し、その秘密を探った。

マツダMX-5

マツダMX-5(ロードスター)は、さまざまな意味で日本が生んだ最も重要なクルマである。

オープントップの2人乗りスポーツカーというクラスを絶滅から救い、30年以上にわたってマツダの財源を潤し、何百万人ものドライバーにシンプルな運転の楽しさを提供してきた。4世代にわたり100万台以上製造されてきた歴史が、すべてを物語っている。


マツダMX-5

マツダはその名声に甘んじることなく、着実にアップデートと改良を重ねてきた。安易にパワーを増すことはせず、パフォーマンス、グリップ、後輪駆動、ハンドリングの適切なバランスを維持している。

マツダRX-7

マツダのロータリーエンジンへのこだわりは、称賛に値するものであると同時に、不思議なものでもある。

RX-7は、初めてロータリーエンジンを採用したクルマというわけではないが、スタイリッシュなスポーツカーとして、そのパワートレインが持つべき本来の姿と言える。


マツダRX-7

初代モデルは、ポルシェ924を明確に意識したものだったが、後のモデルはさらなるパワーとパフォーマンスを求めて、高みへと上り詰めていった。

いずれにしても、他のスポーツカーとは異なる存在であり、乗ってみればそのエンジンの魅力にとりつかれてしまう。ランニングコストの高さは覚悟しなければならないが、コンパクトなエンジンを低い位置に搭載することで優れたハンドリングを実現していた。

惜しむらくは、50万台近い販売台数を記録した初代RX-7の成功を、その後のモデルが再現できなかったことだ。

三菱ランサー・エボリューション

三菱ランサー・エボリューション(通称エボ)は、機能を削ぎ落としたマシンとして誕生した。軽量化のためにスチールホイールを装備し、247psの4気筒エンジンで4輪を駆動して、ラリー用のホモロゲーションを取得した。

特にエボVIは、トミ・マキネンが世界ラリー選手権でタイトルを獲得したこともあり、その名を世界に轟かせた。しかし、4つのWRCタイトルを獲得しても、購入者を説得するには不十分で、エボ史上唯一のステーションワゴンであるエボリューション・ワゴンは2924台しか製造されなかった。


三菱ランサー・エボリューション

三菱ショーグン

1981年に登場した三菱ショーグン(日本はじめ多くの地域で「パジェロ」、スペインでは「モンテロ」と呼ばれていた)は、ランドローバー・ディフェンダーに匹敵するオフロード性能に、高い快適性を加えたモデルである。

1983年にはロングホイールベースのモデルも登場。エンジンには滑らかな3.0L V6が加わった。このV6は、洗練されたスタイリングの第2世代にも採用され、ランドローバー・ディスカバリーと激しく火花を散らした。


三菱ショーグン

三菱は、パリ・ダカール耐久レースに参戦し、1984年から2007年までの間に乗用車クラスで12回の優勝を果たし、ショーグンの価値を証明した。また、ステージ優勝も150回を数え、パリ・ダカールの歴史の中で最も成功したメーカーとなった。

日産200SX

1989年、日産はスポーツカーを積極的に投入した。この年、300ZXやスカイラインGT-Rが登場したが、大ヒットしたのは200SXだった。1993年に後継モデルが登場するまでの4年間で、100万台以上の販売を達成した。

1989年に発売されたS13は、洗練されたボディに1.8Lのターボエンジン(最高出力166ps、後に173ps)を搭載。優れたダイナミクスを誇った。


日産200SX

1975年に登場したこのスポーツカーシリーズは、多くの市場で「シルビア」と呼ばれ、2002年まで6世代にわたって販売された。S13には180SXバージョンもあり、一部の市場で新型のS14と並行して販売を続けたが、欧州には導入されなかった。

200SXは、日本が生んだ最高のスポーツクーペの1つとみなされており、コレクターの注目を集めている。

日産GT-R

GT-Rの歴史は1969年までさかのぼるが、多くの日産ファンにとって決定的なバージョンとなるのは後年のモデルだろう。

1989年に発売されたR32は、日本やオーストラリアのツーリングカーシリーズを席巻するなど、モータースポーツ界で大きな成功を収めた。1995年に発売されたR33も大ヒット。その後、1998年にR34、2007年末には現在のGT-Rが登場した。


日産GT-R

各世代に共通しているのは、圧倒的な加速力、グリップ力、ハンドリングを実現しながら、4人を乗せてスーパーまで行けるという不思議な能力だ。唯一の問題点は、改造されていない、あるいはドリフトされていない個体を見つけることだ。

スバル・フォレスター

スバルは、SUVの購入者が泥だらけになって走る能力よりも、オンロードに適したクルマを求めていることにいち早く着目した。

その結果、インプレッサをベースに車高を上げ、4輪駆動を標準装備したのがフォレスターだ。インプレッサよりも背が高く、実用性に優れたフォレスターは、すぐにカルト的な人気を得た。


スバル・フォレスター

後に、インプレッサのフラット4を172psに強化したターボSモデルが発売され、熱心なファンを獲得した。オン・オフ問わず速さは健在で、さらにペースを上げたければ265psのSTiを選択することもできた。

スバル・インプレッサ

標準のスバル・インプレッサはまずまずのクルマだったが、正直なところ、このクルマを偉大なものにしたのは、ターボ2000とその派生モデルだったと言えるだろう。

ターボは210psという控えめな出力でスタートしたが、世界ラリー選手権用のマシンのベースとなり、コリン・マクレーが1995年に獲得した世界タイトルを獲得するまでになった。


スバル・インプレッサ

その後のインプレッサは、パワーアップ、軽量化、そして22Bでは2ドア化するなどの改良が加えられた。インプレッサのセンセーショナルなバランス能力は高い評価を得て、今もなお大きな需要がある。

スズキ・ビターラ

スズキは数多くの魅力的なクルマを作ってきたが、1988年に発売されたビターラは、初のライフスタイルSUVとして注目されている。コンパクトで扱いやすく、価格的にも手頃だった。

ワイドなホイールやタイヤ、ブルバー、グラフィックなどで個性を際立たせるビターラは、自分だけの1台を作り上げることも簡単だった。BMWがミニでパーソナライズを流行らせるよりもずっと前に、スズキはユーザーの夢を叶えていたのである。


スズキ・ビターラ

ビターラの核心は、シンプルで頑丈なクルマであり、家族の足としても十分に機能している。世界各地で「エスクード」「サイドキック」「グランドビターラ」の名で販売されているグローバルモデルである。

トヨタ・カローラ

1966年に発売されたトヨタ・カローラは、世界で最も売れているクルマである。これまで12世代にわたって約5000万台を販売し、T型フォードやフォルクスワーゲン・ビートルを大きく上回る。刺激的なクルマではないが、多くの人に支持されてきたベストカーだ。

カローラはユーザーの要望に応えて進化してきたクルマでもあり、今でもその姿勢は変わらない。そのため、ライバルに先駆けてハイブリッド技術を採用し、膨大な数の市場で展開することで、販売を維持しているのだ。


トヨタ・カローラ

現行モデルが素晴らしいクルマであることも嬉しいポイントだ。

トヨタ・ランドクルーザー

日本の警察予備隊のために作られたランドクルーザーは、1951年以来、さまざまな形で1000万台以上が生産されてきた。地形を問わず、行きたいところに連れて行ってくれるという点は全世代共通している。

ランドクルーザーの原型となったのはウィリス・ジープだが、1960年に登場した40シリーズで独自のスタイルを確立した。1983年に発売されたJ70型は、現在でもアフリカやオーストラリアなどの一部の地域で販売されている。


トヨタ・ランドクルーザー

現在、多くの地域では、ラグジュアリーでありながらオフロードも走破できる万能SUVへと発展している。

トヨタMR2

トヨタMR2は、日本が生んだ初のミドエンジン搭載の市販車であり、その功績は高く評価されている。

日本の名車に数えられる理由は、手頃な価格と走りの良さにある。MGBの終焉からわずか4年後に登場したMR2は、軽快なエンジンと生き生きとした動力性能で人々を驚かせた。


トヨタMR2

2代目以降は、トヨタの庶民的な魅力を維持しつつ、そのテーマを発展させていった。MR2の性能を最大限に引き出すためには高いドライビング・テクニックが必要であり、3世代ともに、世間の評価をはるかに超える魅力的なクルマであった。

トヨタGRヤリス

ハンドルを握った瞬間、わたし達はこのクルマが特別な存在であることを実感した。スペック表を見ればその通りなのだが、実際に走らせて初めてその素晴らしさがわかるのだ。

多くの名車がそうであるように、このGRヤリスも世界ラリー選手権への出場権を得るために作られたホモロゲーション・スペシャルだ。4輪駆動、最高出力261psのターボ付き3気筒1.6Lエンジンを搭載し、0-100km/h加速は5.5秒となっている。


トヨタGRヤリス

多くのスーパーカーのオーナーが、この日本製ホットハッチをガレージに加えていることが、何よりの証拠だ。

トヨタ・プレビア

トヨタの初代プレビアは、ミドシップのミニバンという当時としては珍しいレイアウトを採用した。フロントシートの下にエンジンを75度寝かせて取り付けることで、フラットフロアを実現。これにより広い室内空間を確保したほか、重心を低くすることができた。

初代モデルには、137psの2.4Lガソリンエンジンに加えて、一部市場で160psの2.2Lスーパーチャージャー搭載モデルが販売された。後のモデルは、技術的には初代ほどの斬新さはないが、実用性をさらに向上させている。


トヨタ・プレビア

日本では「天才タマゴ」という有名なキャッチフレーズのもと、「エスティマ」の名で販売され、多くの人に親しまれた。流麗なフォルムのミニバンが2020年に生産を終了してしまったことは、残念でならない。

トヨタ・プリウス

トヨタ・プリウスは、日本車としてだけではなく、社会的・文化的にも自動車業界を超えた重要性を持っている。

昨今の電動化ブームが起こるずっと前、ライバルであるフォルクスワーゲンがディーゼル車で行き詰っていた時代に、トヨタがほぼ独力でハイブリッド技術を開拓し、普及させた。


トヨタ・プリウス

1997年に発売された初代プリウスは、ガソリンと電気を併用することで、低排出ガス(114g/km)と低燃費(複合燃費24.5km/l)を実現した。しかも、変に未来的なクルマではなく、実用的な小型ハッチバックである。

トヨタが初代プリウスを6年間で12万3000台以上も販売できたのも、まったく不思議ではない。