人気の小説やアニメにはファンの心を魅了する綿密な仕掛けがある。新潮社のミステリ編集者として、長年新人賞の下読みを担当し、『書きたい人のためのミステリ入門』を書いた新井久幸さんは「ファンを魅了する『本当に美しい伏線』には2つの条件がある」という――。
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■作品へのさらなる熱中を生み出す仕掛け

「考察まとめ」「謎・伏線一覧」「回収されない伏線はこれだ」――。3月8日、『シン・エヴァンゲリオン劇場版:II』が公開されるや、熱心なファンによるまとめ情報が、ネット上を賑わわせた。映画を観たあとでこうしたサイトを巡回し、「答え合わせ」を楽しんだ人も多いはずだ。

「エヴァ」に限らず、こうした考察は、連載最終回を迎えた『進撃の巨人』(諌山創・作)や、人気がうなぎ上りの『呪術廻戦』(芥見下々・作)でも見られる、ファンダム現象と言える。

原作者や編集部のオーソライズではないが、それ故に自由度の高い個性的な解釈や考察がSNSなどによって広く共有され、作品へのさらなる熱中を生み出していく。そのなかでも、特にファンが好むのが「伏線」と、その「回収」だろう。

クイズ番組や「脱出ゲーム」の隆盛を見るまでもなく、「謎解き」が好きな人は多い。伏線を拾い、それらを組み合わせて仮説を立て、上手くいかないと考え直して……というのは、一人でやっても面白いが、みんなでああだこうだと語り合うのが一番楽しい。

それが集合知となって、一気に核心へ迫ってしまうこともある。そんな経験をさせてくれた作品は、読者にとって、特別な存在になるだろう。もちろん、それは作品にとっても幸せなことだ。

そもそも山ほど伏線を張っても、全然気付いてもらえないことだってあるから、伏線に気付いて、その意味を考えてもらえるのは、それだけで本当に有り難いことなのだ。

では、どういう伏線が望ましいのか。

拙著『書きたい人のためのミステリ入門』にも書いたことだが、どんなものが「美しい伏線」なのか、から説明してみたい。

■「映像として印象に残らなければいけない」

理想的な伏線とは、物語の中で自然と記憶に植え付けられ、印象には残るが、わざとらしくないものだ。美しい伏線を張るのは難しいが、綺麗に決まればこんなに恰好いいものはなく、間違いなくミステリにおける見せ場の一つである。

それが機能する第一の条件が、映像として印象に残らなければいけないことだ。

場面として思い浮かぶ、と言い換えてもいい。データ的なことをいくら書いても、つまらなければ読み飛ばされるし、重箱の隅を突(つつ)くような細かい話は、とても覚えていてもらえない。

写真=iStock.com/bitenka
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/bitenka

本棚の上から二段目に箱入りの分厚い本が差さっていて、それに大きな意味があるとする。中のページが切り抜かれ、麻薬が隠してあるとしよう。これを伏線として提示する場合、どうするか。部屋の主が本好きという設定にし、本棚に並んでいる書名を列記する、という方法がある。こんなふうだ。

──ミステリ好きらしく、アガサ・クリスティーの赤い背表紙がずらりと並んでいた。『オリエント急行の殺人』『三幕の殺人』『アクロイド殺し』『スリーピング・マーダー』『象は忘れない』『魔術の殺人』『メタマジック・ゲーム』『ポアロのクリスマス』『カーテン』etc.──。

これでは、「ああ、クリスティーの本があるのね」と、スルーされるのがオチだ。この中で、クリスティーの著作でないのは、『メタマジック・ゲーム』で、大判で物凄く分厚く、版によってはスリーブ箱に入っていたりするのだけれど、そんなことは知らなければ分からない。

■エピソードのふりをして伝える

これをもって、読書傾向とは無関係の分厚い本があった、という伏線にするのはちょっと、いや、かなり厳しい。伏線だと主張するのは自由だが、そう認識してくれる読者は限りなく少なく、何より恰好悪い。

ほとんどの人は、作品名は単なる羅列だと思って読み飛ばすだろう。そもそも、『メタマジック・ゲーム』がどんな本か知らなければ伏線にならない。ならば、どうするか。エピソードとして、場面として、印象に残るようにするのである。

──些細なことで口論になり、小突かれた勢いで、肩口から壁際の本棚にぶつかった。上からバラバラと本が落ちて来て、箱入りの分厚い一冊が脳天を直撃したが、打ち所が良かったのか、酔っていたからなのか、コブにもならず、大して痛くもなかった。

それはいいとして、目の前の男は、あろうことか直撃を食らった私ではなく、落ちた本に飛んで行って、こちらに背を向けたまま本の無事を確認していたのである。どれだけ大事な本か知らないが、いくらなんでもそれはないだろう。──

というような書き方であれば、箱入りの分厚い本があったこと、その本が実は軽かったことなどを「人間よりも本を大事にする」エピソードのふりをして伝えることができる。

この後、落ちて床に散らばっていたのは赤い背表紙の本ばかりで、クリスティーファンだと知った、というようなことも書いておけば、箱入りの本がイレギュラーなものだという含みも持たせられる。更に言えば、大きくて重い本は、棚の安定のため下段に並べるもので、上にはあまり置かない。

■ダブルミーニングな伏線が望ましい

もうひとつの条件は、ダブルミーニングな伏線が望ましいということだ。

さっきの本の例で、もう一つ重要なのは、「本好きを物語るエピソード」のふりをしているということだ。絵として美しい光景も、エピソードとして印象に残る場面も、ただ「記憶に残る」だけだと、ミステリ慣れした読者は、「詳しくは分からないけど、きっと何かの伏線なんだろう」くらいには勘ぐってくる。

もちろん、その程度の予測は恐るるに足らずだし、伏線と認識してくれるだけいいのだけれど、でもやはり、驚きは薄れてしまう。

望ましいのは、「そっちだったのか!」と思わせることだ。今回の例で言えば、「本を異常なまでに大切にする」ことを説明するエピソードだと思っていたら、まったく違う理由で張られた伏線だった、という驚きに変化することが大事なのだ。

これは、伏線そのものには「気付いた」のに、その真意には「気付けなかった」わけだから、悔しさも加わって、非常に効果的である。

別の意味に解釈されていたエピソードが解決編で真の姿を見せ、それらがパタパタと結合して最終的にまったく別の世界を見せてくれる、というのが、ミステリの醍醐味なのだ。

「世界が反転する」という評を読んだことがあるかもしれないが、まさしくそれで、見えている事象は変わらないが、それらの持つ意味が変化することにより、世界がひっくり返るのである。

■読者は意外なほど気づかない

では、2条件を満たす伏線をひとつ思いつけば、作品はそれで成立するのだろうか。結論から言えば「ひとつで満足してはいけない」。なぜなら読者は意外なほど気づかないものだからだ。

10個伏線を張っても、良くて三つくらいしか読者は気付いてくれないし、覚えていてもくれない。頑張って伏線を張ったのに、半分も機能しないのではがっかりかもしれないが、そういうときは、イチローだって4割打てないのだから、と思って諦(あきら)めるしかない。

新井久幸『書きたい人のためのミステリ入門』(新潮新書)

書き手にできる唯一のことは、上手い伏線の弾を数多く撃って、一つでも多くの手掛かりを印象付けること、それだけだ。

ミステリ新人賞の応募原稿を読みながら、惜しいと思うのは「おっかなびっくり張られた伏線」がまったく機能しないことだ。

安心して、フェアプレイで、大胆かつ繊細に伏線を張るのだ。大胆な伏線を張る秘訣は、この思い切りと、もう一つは手掛かりを「盛る」ことにある。単なる手掛かりとしてではなく、その手掛かりに何らかの要素や偶然を積み重ね、別の意図があるように見せたり、まったく意味を分からなくしたりと、「引っ掛かり」が残るようにすることが大切だ。それは同時に、「謎」の構築でもある。

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新井 久幸(あらい・ひさゆき)
編集者 新潮社出版部文芸第二編集部編集長
1969年東京都生まれ、千葉県育ち。京都大学法学部卒。在学中、推理小説研究会、通称ミステリ研に所属していた。1993年、新潮社に入社。「新潮45」編集部、出版部を経て、2010年から6年間「小説新潮」編集長を務めた。現在、出版部文芸第二編集部編集長。
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(編集者 新潮社出版部文芸第二編集部編集長 新井 久幸)