観光土産品の在庫解消に協力を呼びかけた県内スーパーのセール企画=6月1日、那覇市内スーパー(筆者撮影)

国内外からの観光客数が2019年に1016万人となり、初の1000万人超えに沸いた沖縄経済が一転、大きな痛手を被っている。地場を代表する企業の動きから、沖縄経済の今を3回の連載でリポート。「宮古島の『雪塩』、訪日客戻らない前提の生き方」(2020年7月9日配信)に続く第2回をお届けする。

観光市場の「消滅」を「伸び代」に

「沖縄観光土産品 緊急事態SOS!」――。

沖縄旅行土産の定番、紅芋のタルト、ちんすこう、黒糖など観光客向けの菓子商品が新型コロナウイルスによる旅行需要の激減で行き場を失い、製造業者が苦境に立たされている。県内スーパー6社は4〜7月にかけて「SOS」と銘打った3〜5割引きのセールを展開。売り場では、普段は自宅用に買う機会の少ない土産菓子の箱を手に、買い支えに協力する県民の姿があった。

産業構造における製造業の割合が全国最下位の4.5%にすぎない沖縄で、土産菓子メーカーは、観光産業の伸長とともに「沖縄産」のニーズに応えて製造基盤を拡充してきた希少で重要な存在だ。紅芋やサトウキビ、マンゴーなど県産素材の生産者を育てる役割も担ってきただけに、沖縄観光をこのまま感染拡大の第2波が襲えば、もともと脆弱な沖縄経済が壊滅的な状態になるとの懸念が広がる。

「べにいもたると」で知られるナンポー(沖縄県那覇市)は、4月と5月の売り上げが前年同月に比べてそれぞれ90%、95%と激減し、頼り切っていた観光市場の“蒸発“に直面した。

未曾有の事態で経営の舵取りを担うのは、社長の安里睦子氏(48歳)。2016年に2代目代表として父親の安里正男氏(現会長)から経営を引き継ぎ、4年目を迎えた。同社の今期の売上高は、前期比60%減となる見通しで、企業としては20年前の売り上げ水準にまで落ち込むとの予想だ。社員数は約140人で当時の2倍に増えており、大幅な減益は避けられない。

「戦後、何もないところから会社を起こした親世代の苦労には到底及ばないって、どこかでそれを言い訳にしていた。でも新型コロナのダメージは創業時の親の経験に匹敵する。ゼロからのスタートではい上がれるかが試されている」と安里社長。減収分の95%はそのまま「伸び代になる」と捉え、観光依存の体制からの脱却を目指す。

同社は5月、昨年開業した大型商業施設「サンエーパルコシティ」と、「イオン北谷店」内にあった2店舗の閉店を決めた。いずれも、製造と卸売中心の事業から、安里社長が就任後に挑んだ初めての直営店舗事業の看板店。

「沖縄のスイーツをカッコよく」をテーマに、黒と紫、ピンクを基調にした「Sweet DeviL(スイートデビル)」の店名で、ケーキやギフト商品を豊富にそろえた。定番の沖縄土産のイメージを覆す独自の世界観を、商品と空間デザインで表現した新たな試みだった。


ナンポー初の直営店「Sweet DeviL」(写真:同社提供)

ナンポーが直営事業に乗り出した背景には、右肩上がりの観光市場を目当てに沖縄に進出してくる県外の老舗、有名菓子ブランドメーカーの存在があった。

2015年以降、高級洋菓子「アンテノール」のエーデルワイス(本社・兵庫県神戸市)や、カステラ「黒船」の長崎堂(大阪市)など大手百貨店の常連ブランドが現地法人を構え、沖縄の素材を生かした土産商品を開発している。質の向上と、単価の引き上げにつながり、沖縄の土産菓子市場に少なからぬ変化をもたらした。

初進出ブランドの受け皿となる空港の新ターミナルや商業施設の開業も相次ぎ、限られた商圏で客を引きつけるための競争は熾烈さを増していた。安里社長は「いくら沖縄の素材にこだわった商品を作っても、需要がどんどん目減りしていく感覚があった」と打ち明ける。

県外生産が7割の「沖縄土産」

沖縄の土産菓子市場では、パッケージこそ沖縄風だが、県外で生産されたものが7割を占めると言われる。中小零細企業が多く、食品の殺菌や充填などの大部分の工程を県外に製造委託せざるをえない。商品開発や製造技術の面でも、県外企業の力量に及ばないといった背景がある。観光客が落とす消費額を域内で循環させるためにも、地場企業による製造業の基盤強化が求められてきた。

一方、ナンポーは沖縄の製造業のこうした課題を熟知したうえで、役割を意識しながら自前で設備の拡充を推し進めてきた。厳しい検査基準があるというコンビニ最大手セブン−イレブン・ジャパンの沖縄進出では、品質管理をさらに強化する動機づけにもなった。

そんな中、沖縄の食品製造最大手のオキコ(本社・中頭郡西原町)と合弁会社を設立する形で進出したエーデルワイスの事業展開は、沖縄の製造業のあり方に1つの示唆を与えた。

国内外で技術を磨いた菓子職人による開発力を強みに、観光客にとどまらず、別ブランドで県民向けの生菓子なども開発。さらに、コンビニスイーツのOEM(製造受託)を請け負い、現地製造を安定的に運営できる生産軸を確立してきた。


「エーデルワイス沖縄」の製菓工場。沖縄素材を使ったケーキや焼き菓子など4ブランドの商品を製造している=7月8日、西原町(筆者撮影)

定番の県産素材を生かすための工夫も重ねている。紅芋のタルト菓子の圧倒的な認知度から、同社は進出後1年ほど、原料にあえて紅芋を使わなかったという。

だが、エーデルワイス沖縄の山本憲司社長は「マーケットを知るにつれ、リピーターのお客さまほど紅芋を使った新しい商品を求めていることがわかった」と話す。フィナンシェやパウンドケーキなどを開発し、今では観光土産の売り上げの約5割を紅芋素材のお菓子が占めるようになった。

エーデルワイスにとって土産菓子の現地製造の挑戦は、「沖縄の地で、沖縄の人の手による『Made by Okinawa』の本物を提供する」(山本社長)という、付加価値の高い新規事業に新たな境地を拓いた。

今年4月からは新しい「食品表示法」が完全施行され、商品のパッケージに製造所の所在を明記することが義務づけられた。沖縄で作られた商品かどうかが一目でわかるようになり、アピールの方法次第では、県内メーカーの競争力を高められる可能性がある。

「復帰っ子」世代の新しい経営

一方、「スイートデビル」のナンポーの直営店舗事業の展開は道半ばだが、今回の緊急事態に伴う休業対応では、賃料交渉、人員配置の調整、賞味期限管理など直営ならではの課題や弱点をつかんだ。年内には、観光客や商業施設向けのいずれでもない、別の顧客層をターゲットにした新事業案をリリースする計画で準備を進めているという。

安里社長は「コロナ前までの直営の経験がなかったら、打つ手が見いだせなかったかもしれない。いよいよ本領発揮のときが来た」と前を向く。持ち前の好奇心と改革マインドで、危機に立ち向かおうとする覚悟がうかがえた。


「沖縄のための仕事をしなさいと、今回の危機に背中を押してもらった」と語るナンポーの安里睦子社長=7月2日、那覇市のナンポー本社(筆者撮影)

ナンポーは、戦後の荒廃した沖縄で経営していた印刷業の会社が前身。経営状態の苦しい地元の土産品の卸会社や製塩会社、ケーキ店などを助けるために事業譲渡を受けて立て直し、雇用を増やして会社を大きくしてきた経緯がある。

2代目に就いた安里社長は、沖縄の本土復帰の1972年に生まれた「復帰っ子」と呼ばれる世代。アメリカの大学に3年間留学した後、グループ会社の「ちとせ印刷」に22歳で入社、営業部門で17年間にわたって経験を積んだ。

印刷会社を母体とする企業の成り立ちも、安里社長の業務経験も、土産菓子メーカーとしては異色だ。印刷会社に在職中は、印刷機器のデジタル化という大きな変化の波を目の当たりにした。デザインや素材の掛け合わせで商品展開の幅が広がった感覚は、お菓子や店舗の開発にも生かされ、直営店舗事業にトライする自信にもなった。

そもそも、創業者である正男氏が5人姉妹の娘の3番目、睦子氏を後継者に選んだのは、自由な性格で、つねに意外な切り口の提案で社内を活気づけてきた睦子氏への期待があった。「会社を守るのではなく、変えていってほしい」という望みを託した。

沖縄の本土復帰後に創業した県内企業の多くが今、事業承継のタイミングを迎えている。好調な観光需要への対応に追われて、社会のデジタル化や消費者の嗜好の変化などに十分に対応してこなかったツケと合わせ、次世代に事業を引き継げない課題に直面している。

「ちんすこうショコラ」のヒット商品などがある創業45年の菓子メーカー、ファッションキャンディー(沖縄県宜野湾市)が今年、全株式を地元の不動産会社に8000万円で売却したことは象徴的だった。新規出店の増加に伴う赤字経営や、後継者の不在などが要因になったという。

企業連携で地域ブランドを守る

新型コロナによる今回の経済危機は、行動制限に伴う停滞であり、決して観光地としての沖縄の魅力が失われたわけではない。感染の収束時期を狙って、国内外でM&A市場が活発化するとの見方もある。沖縄を代表する企業オリオンビール(本社・豊見城市)が昨年、外資系企業などに買収されたように、地域に根差したブランド価値が守られるほどに、企業買収のリスクが高まる可能性もある。


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デパートリウボウや沖縄ファミリーマートを展開するリウボウホールディングス(本社・那覇市)の糸数剛一会長は、「小売りや流通企業も製造業に積極的に関与していく流れがあり、業界の垣根はもっとあいまいになっていく。観光に依存しすぎない独自の顧客層と販売チャネルを開拓するためにも、さまざまな企業とのパートナーシップを検討していく必要がある」とみる。

急激な市場変化の下において、農作物など1次産業の成長を絡めた地域経済の持続的な発展は、企業単独で守られるものではない。事業承継の難題をクリアしたナンポーの今後の事業展開は、沖縄で生まれ育った土産菓子メーカーの存続のあり方を占う試金石となる。企業同士の連携や協力体制をいかに構築していくかを含め、“復帰っ子世代”による「第2創業」のステージに入ったナンポーの役割は、コロナ後の沖縄で一層重要なものになる。