レアルのエース「7」の系譜。伝説のドリブラーが明かす強さの秘密
レアル・マドリード王者の品格3
今シーズン、レアル・マドリードはチェルシーから移籍金1億2000万ユーロ(約144億円)で獲得したベルギー代表FWエデン・アザールに、背番号7を与えている。本人はそれまでと同じ背番号10を希望したと言われているが、レアル・マドリードでの7番はこの上ない栄誉である。ファニート、エミリオ・ブトラゲーニョ、ラウル・ゴンサレス、そしてクリスティアーノ・ロナウドと、錚々たる面子がつけてきたエースナンバーだ。
レアル・マドリードの「7番」としてプレーするエデン・アザール
だが、アザールは今のところ、背番号7に値するプレーはしていない。ケガで戦列を離れることが多く、出場した試合も不調。ジネディーヌ・ジダン監督の信頼は厚いが、ゴール前で沈黙を続けている。
ナンバー7は重荷なのか。
背番号7の栄光の始まりは、1950年代に活躍したレイモン・コパと言える。ただその後、長くその番号を背負い、エースナンバーとして定着させたスペイン人がいた。「魔術師」の異名を取ったアマンシオ・アマーロだ。
アマンシオは1960−70年代のサンティアゴ・ベルナベウを享楽の境地に誘っている。アルフレッド”ドン”ディ・ステファノがベテランの域に入った時、若手として台頭。栄光の時代を分かち合い、後を引き継いだ。
右サイドでの幻惑的ドリブルがトレードマークだった。テクニックでいえばルイス・フィーゴと双璧をなす。魔術師と呼ばれたが、本当に相手を化かすようで、トリッキーだった。
当時2部のデポルティーボ・ラ・コルーニャでプロ人生をスタートさせ、2部得点王となってチームを1部へ導く。非凡さが伝わり、バルセロナからもオファーが届いた。しかし1962年、22歳のアマンシオはレアル・マドリード移籍を決断している。
「ベルナベウはコロシアム(グラディエーターが戦った古代ローマ時代の円形闘技場)のようだった」
2005年の取材だったか、アマンシオはそう回想している。彼の握手はとても力強かった。
「マドリードでは、勝利は至上命令。加えて、観衆を楽しませなければならない。コロシアムで戦うのは、強烈なプレッシャーだった。だけど、重圧に身をすくめるような選手は白いユニフォームに袖を通せない。まあ、私もデビュー戦だけは参った。何せ、それまで所属していたデポルではナイターを経験したことがなかったから(当時は照明設備がなかった)。田舎の小さなスタジアムから10万人の観衆の前でプレーする、痺れる緊張感だったね」
アマンシオはテクニックだけの選手ではなかった。ゴールセンスにも恵まれていた。勝負を決められる剛胆さを持った選手で、1970年代には1部でも2度、得点王になっている。
「1965−66シーズン欧州チャンピオンズカップ準決勝、インテルを破った試合は最高だったよ。決勝では2−1(アマンシオは同点ゴールを決めている)とパルチザンを下して王者になったんだが、あれは栄光そのものだった。インテルは当時、名将エレニオ・エレーラが率い、ルイス・スアレスという天才がいてね。欧州最強を誇っていたが、それを打ち負かした。しかも、マドリードは外国人なしだったんだ」
アマンシオはそう言って、顔に皺を作った。1965−66は、チャンピオンズカップ5連覇(1955−56から1959−60まで)を達成したディ・ステファノが退団したあと、中心選手としてチームを欧州王者に導いたシーズンだ。その後の32年間、レアル・マドリードは欧州の頂点に立つことはなかった。彼がどれだけのことをやってのけたか、伝わるだろう。
アマンシオは、レアル・マドリードの戦いを天下に示した。リーガでは9度にわたって優勝。王冠が似合う背番号7のルーツだ。
「マドリードでは多くのことを学び、得ることができる。もし、子供がここに入れば、出るときには大人の男になっているだろう。そういう場所だ」
マドリディスモ(マドリード主義)について、彼は優しい声で語った。
「マドリディスモを胸に戦うことで、自分以上になれる。このクラブに入団する選手は優れた能力を持つが、クラブの持つ歴史や栄光は、どんな選手の力をも凌駕し、別次元のものと言える。選手はその歴史に触発され、『マドリードに生かされている』と感じた時、力を得るんだ」
アマンシオは現役引退後、指導者としてマドリディスモを選手たちに伝えている。
1983−84シーズンには、カスティージャ(レアル・マドリードBチーム)を率い、2部リーグで優勝するという離れ業をやってのけた。その決定戦となった試合には、10万人の観衆が足を運んだという。チームの主力だったエミリオ・ブトラゲーニョ、ミチェル、マヌエル・サンチス、マルティン・バスケス、ミゲル・パルデサは80年代、レアル・マドリードでリーガ5連覇の栄光を作るのだ。
「白いユニフォームを纏う選手は、何かを求めてはいけない。己のすべてを捧げる。それが本当にできたら、何かを与えられる」
ミスター「7」、アマンシオの訓示である。
(つづく)