2月23日は天皇誕生日。かつて天皇誕生日が「天長節」と呼ばれていた理由を知っていますか?

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平成から令和へ御代代わりがなされ、天皇陛下の誕生日が12月23日から2月23日に変わりました。

それで令和元年には天皇誕生日が存在せず(※1)みんな悔しがっていましたが、ところで天皇誕生日は、かつて「天長節(てんちょうせつ)」と呼ばれていました。

その名前には、いったいどういう意味があるのでしょうか。

語源は老子『道徳経』より

かつて天皇誕生日を「天長節」と呼んでいた出典は、古代中国の思想家である老子(ろうし。紀元前6世紀ごろ。俗名は李耳)の記した『道徳経(どうとくきょう)』。その原文は、このようになっています。

晁補之「老子騎牛図」宋代。

天長地久。天地所以能長且久者、以其不自生。故能長生。是以聖人、後其身而身先、外其身而身存。非以其無私邪。故能成其私。

【意訳】天は長く、地は久しい。天地は自らを永らえようとしないため、かえって永くあり続けるのだ。
聖人君子はこれに倣(なら)い、無私無欲であるがゆえに人々から尊敬され、彼らを良い方向に教え導くことが出来るのだ。

『老子』韜光第七より。

天地の私欲なきゆえに永続してきたように、無私の祈りを神々に奉げる天皇陛下もまた、2680年の永きにわたって日本人に敬愛される皇室を受け継いで来られました。

だからこそ、天皇陛下の誕生日を「天長節」と呼びならわした……そんな先人たちの当意即妙なセンスは脱帽ものと言えるでしょう。

皇室と国民の絆を深める祝日として

ちなみに、皇后陛下の誕生日は「地久節(ちきゅうせつ)」と言いましたが、これも天長節のペアとして同じ出典よりつけられたもので、当代においては12月9日となっています。

一般参賀の様子。多くの日本国民がお祝いに訪れる。

天は長く、地は久しく続くように、天皇皇后両陛下の絆、そして皇室と国民の絆、そして日本国が末永く続くよう、2月23日はみんなでお祝いしたいですね。

(※1)平成から令和への改元が行われたのは、今上陛下(当時は皇太子殿下)の誕生日を過ぎた5月1日。上皇陛下の誕生日である12月23日も祝日ではなくなったため、令和元年は天皇誕生日が存在しませんでした。

※参考文献:
村上重良『皇室辞典』東京堂出版、1980年7月1日
蜂屋邦夫 訳『老子』岩波文庫、2008年12月16日