先日来日したローマ教皇は、日本を通じて世界に、いかなる外交的メッセージを投げかけたのか?(写真:アフロ)

ローマ教皇が38年ぶりに日本を訪問した。そのメッセージは、世界12億人のカトリック信者のみならず、国際社会が広く注目する。バチカン外交の戦略と、日本訪問の意義を読み解く。

11月23〜26日、ローマ教皇フランシスコが、日本を訪問した。ローマ教皇の訪日は38年ぶりで、長崎・広島を訪れたあと、東京で天皇陛下と会見、安倍首相との会談、東京ドームでのミサなどを行った。

フランシスコ教皇の訪日の意義は、もちろん宗教リーダーとしての、信者たちとの交流であることは言うまでもないが、日本のカトリック信者は人口の0.3%、約40万人であることを鑑みると、宗教的側面よりもその外交力に注目するべきであろう。

外交指導者としてのローマ教皇

まず前提として教皇が元首であるバチカンについて基本的な外交ステイタスについて確認しておこう。正式名を「法王聖座」と呼び、国連などの国際機関ではこの表記が使用されている。これは世界中の12億人以上のカトリック信者と教会を束ねる地位であり、それを基礎とした国家としての側面も持っている。教皇はその「法王聖座」の代表であり、東京ディズニーランドより国土面積が狭い、小国バチカン市国の元首として来日したわけではない。


バチカンは、現在約180カ国と外交関係を有しており、もちろんその中にはイスラム教など他宗教の国家も含まれる。近年では、ベルリンの壁崩壊後の東欧諸国(1989〜1991年)、イスラエル(1994年)、ロシア(2009年)、ミャンマー(2017年)など国交を開設・再開している。他方で、中国、ベトナム、サウジアラビアなどとは外交関係がない。国際機構にも多く加盟しており、国連にはオブザーバーとして参加している。

バチカンの外交目標は、キリスト教精神を基礎とした正義に基づく世界平和の確立、そして人道主義の普及にある。そのための武力紛争回避、人種差別撤廃、人権の確立、発展途上国に対する精神的・物質的援助などが、バチカン外交の基調となっている。

その宗教的権威としての影響は、カトリック教徒のみならず広く国際社会に及び、国際規範の形成に大きな影響を与えている。また、外交を展開するうえでは、2国間よりも多国間、とくに国連などのさまざまな国際機関やNGOなどとの協力を重視しており、トランスナショナルなパワーとして高く評価されている。

現在82歳のフランシスコ教皇は、2013年の就任以来47カ国を訪問し、宗教間の対話の促進、紛争からの脱却、貧困の克服、環境問題、さらには核兵器廃絶などを精力的に訴えてきた。それでは、来日した教皇は日本に、そして日本を通じて世界に、いかなる外交的メッセージを投げかけたのか。反・核兵器、地球温暖化問題、労働問題の3点を中心に論じることとする。

唯一の被爆国で核廃絶を語る

第1の反・核兵器への強い思いは、唯一の戦争被爆国日本で、実際に原子爆弾が投下された長崎と広島を訪問することからも、明らかであろう。長崎には隠れキリシタンや24人の殉教した聖人の存在、またザビエルによるキリスト教伝来からとくに信者の多い地域でもあるが、広島については核兵器廃絶の文脈以外ではありえない。

38年前に訪問した教皇ヨハネ・パウロ2世の記念碑もあり、前任者の踏襲とともに、2016年のオバマ大統領訪問で「核兵器なき世界」を訴える意義が強調された地である。また長崎については、平和公園でなく爆心地公園を選び、広島に比べて被爆都市としての国際的な知名度が低いのを受けて、昨年から世界中の信者たちに配布された「焼き場に立つ少年――戦争がもたらすもの」の写真とともに、その存在を改めて世界にアピールした。

また、核不拡散条約にも関心が高い。北朝鮮やインドとパキスタンの間の緊張関係など、核兵器の問題は予断を許さない状況にあるだけに、ナガサキ・ヒロシマで発したメッセージの、国際的なインパクトは特筆すべきであろう。

一方でバチカンは、核の平和利用には賛同の立場で、世界中における核兵器の動向に目を光らせ、原子力の平和利用を管理している国際原子力機関(IAEA)の正式メンバーである。核の平和利用を管理し、軍事的利用を禁止するIAEAに関与することは、バチカンの、安全保障問題への強いコミットメントを意味している。IAEAの事務局長で、残念ながら今年7月に他界した天野之弥氏の働きに教皇は深く感謝している。

また核の不拡散・平和利用の文脈で、2015年7月に成立したイラン核合意を、教皇は高く評価している。しかしながらこのイラン核合意は、昨年5月にアメリカのトランプ大統領が破棄を宣言した。教皇の来日は、核兵器への悲惨さを改めて世界に訴えると同時に、アメリカの同盟国である日本からそのことを発信することで、多国間合意の意義を再認識する契機としたい、という意図もあるだろう。

回勅にみる環境問題への強い関心

2つ目の意義は、地球環境問題である。教皇来日のテーマは「すべてのいのちを守るため」と掲げられている。これは、2015年5月に発表された同教皇の回勅『ラウダート・シ』(主を賛美せよ、の意味)の巻末にある「被造物とともにささげるキリスト者の祈り」からとられている。

教皇はその中で、地球をみんなの住む家に例えて「ともに暮らす家を大切に」と呼びかけている。人類共通の家である地球の悲鳴に耳を傾け、それを保全せよ、というメッセージである。

この『ラウダート・シ』は245項目にわたり、神学者だけでなく最先端の科学者や経済学者の頭脳を結集したもので、教皇就任以来準備してきた壮大なプロジェクトの集大成である。

発表されると瞬く間に世界中の関心を引き、スペイン語やポルトガル語圏の欧州やラテン・アメリカ、またドイツの環境研究所のアドバイスもあることから欧州連合(EU)加盟国も強く関心を寄せ、そして世界の知識人やメディアも大きく取り上げた。

日本語訳『回勅 ラウダート・シ――ともに暮らす家を大切に』も2016年に刊行されている。それは、カトリックやキリスト教信者の枠を超えて、「無神論者」を自称する環境保護活動家やリベラルな有名作家たちの強い賛同にまで広がった。企業に対しても「倫理的なビジネス」を説き、大手スーパーなどがフェア・トレード食品を扱うなどの広がりをみせ、日本の流通にも浸透しつつある。

2015年9月25日にフランシスコ教皇が国連にて行ったスピーチは、この『ラウダート・シ』を引用しながら、直後に迫った国連気候変動枠組条約第21回締約国会議(COP21)での「パリ協定」採択を後押しした。

とくに日本では、台風や洪水による被害が年々悪化し、深刻な事態を引き起こしている。地球温暖化による自然災害の拡大は、もはや途上国だけの問題ではない。にもかかわらず、トランプ大統領はアメリカのパリ協定離脱を正式に発表した。

こうした危機に瀕する多国間外交の枠組みによる地球温暖化問題について、フランシスコ教皇の説く人間と自然との共生のメッセージを受け、日本は自然災害の被災国としてだけでなく、多国間の国際枠組みを重視する外交戦略の面からも、対応が求められている。9月の国連気候行動サミットで、トランプ大統領を睨みつけたグレタ・トゥーンベリさんの勇気に見習い、日本も真剣に取り組む姿勢が求められる。

人間の尊厳としての「労働」

最後の「労働」であるが、カトリックの教えでは「労働」は人間の尊厳の源泉である。その根拠は、1891年に教皇レオ13世が発出した『レールム・ノバールム――資本と労働の権利と義務、労働者の状態について』(以下『レールム』と略記)にある。レールム・ノバールム(Rerum Novarum)とは、新しき事柄、という意味である。

1848年にマルクスが出した『共産党宣言』に対抗するために、カトリック教徒が労働運動や労働組合に加入することを正式に認めた内容である。マルクス主義的な共産主義革命や階級闘争は否定するが、労働者の権利を認め、資本家に対して搾取を禁じた、階級協調のメッセージである。

国際労働機関(ILO)は、国際連盟が設立された1919年に、その姉妹機関として設立され、現在も存続する最古の国際機関である。1944年には、「労働は商品ではない」などの条文で知られ、戦後の活動方針を定めるフィラデルフィア宣言の採択によって刷新が図られ、1945年に国際連合が創設されると、翌1946年にはその専門機関と位置づけられた。バチカンはイエズス会の聖職者を送り込むなど、第2次大戦後のILOの活動にコミットしてきた。

日本では働き方改革がいわれて久しいが、それでも過労死や自殺が後を絶たない状態にあることを、フランシスコ教皇は理解している。『レールム』の理念は、「労働は商品ではない」を前面に押し出し、「使い捨ての労働力」への警鐘のメッセージにつながっている。信者でない者にも響く内容であり、とくに若者に対する呼びかけとして注目したい。

アメリカなどの自国ファーストの動きや、2国間の外交関係に固まる国際情勢に対して、フランシスコ教皇の訪日は、今一度、多国間外交を枠組みとした国際機関への関与の重要性を再考するきっかけになるだろう。

(文/松本佐保)

【著者略歴】
松本佐保(まつもと さほ)/名古屋市立大学教授
1996年英ウォーリック大学大学院博士課程修了、Ph.D.。専攻は国際関係史。欧米、とくにバチカンの政治・外交史を切り口に近現代の国際関係を論じる。著書に『バチカンと国際政治』『熱狂する「神の国」アメリカ』『バチカン近現代史』など。