本記事は、zonari合同会社 代表執行役社長/アタラ合同会社 フェローの有園雄一氏による寄稿コラムとなります。◆ ◆ ◆「1クリック10円? そんな仕事ができるかよ。俺たちいくらの仕事をしてると思ってるんだ!」。私は、大声で罵倒された。2004年のことだ。電通の人だったか、博報堂の人だったか、ここでは秘密にしておこう。私の仕事人生のなかで、忘れられない屈辱的な言葉だった。マス広告の感覚では、ネット広告の仕事は単価が安く、電通や博報堂の正社員がやる仕事ではない、と。当時の私は、検索連動型広告の売り子として仕事をしていた。電通や博報堂の人に「ネット広告やデジタルマーケティングに興味を持ってもらいたい」と、いつも思っていた。そのため、仕事のストレスが溜まっていたと思う。というのは、基本的に、電通や博報堂の正社員からは、一部の人を除いて、まともに相手にされなかった。ところで、念のため、言っておくが、電通も博報堂も、頭も性格もいい人が多い。Googleも優秀な人材が多かったが、お世辞でもゴマスリでもなく、電通・博報堂にも多い。なので、私を罵倒する言葉を吐かせたのは、私の態度に問題があった。「総合広告代理店を自負するなら、ネット広告でもトップになるべきだ。いまのままでは、電通も博報堂も、マス専業代理店だ!」。 そんな挑発をして、喧嘩することもよくあった。 「電通・博報堂が本気になれば、もっと売れるのに」と、怒りをぶつけていた(彼らとの衝突や摩擦を通じて、多くのことを学び、結果的に、私は育てていただいた。いまとなっては、電通・博報堂の懐の深さに感謝している)。

保守化する代理店の人たち

なぜ、こんな昔話をするのか。というのは、最近、この2004年当時のことを思い出させる出来事があったからだ。GDPRや情報銀行、個人情報関連の動きに絡んで、私は最近、ネット広告代理店の人たちが保守化したと思っている。まるで、昔の、2004年当時の、電通や博報堂のようだな、と一瞬思った。つまり、既存のビジネスに固執し、明日のことは考えていないように見えたのだ。私はGDPRや情報銀行のことを、この1年ぐらい、何度か記事で取り上げている。それに関してネット広告代理店の人から、このように言われた。「有園さん、あんまりGDPRや情報銀行について、書かないでくださいよ。ネット広告市場が縮小したら困るじゃないですか!」。たとえば、ネット業界は、消費者の知らないところで個人データを収集し、勝手にビジネスに使って莫大なお金を稼いでいるのではないか? そんな印象が広まって、NHKの「ネット広告の闇」みたいな番組が批判的な世論を形成し、広告主が出稿を控えたら、自分たちの既存のビジネスが縮小してしまう。それは困る。つまり、一番大事なのは、保身であり、いまの既存のネット広告ビジネスなのだ。既存のビジネスを優先し、固執する姿勢が、昔の電通・博報堂と同じだと思った。「YouTubeは、違法動画ばっかり。電通では扱えないよ」。2007年だったか? テレビ番組の違法アップロードが絶えなかったYouTube。既存のテレビ局との関係を考えると、その動画広告を、電通が積極的に扱うことはできない。テレビ局からクレームが来るだろうと。既存ビジネスを守ることが重要で、新しいYouTube広告は後回しにする。将来的にテレビ市場を脅かすかもしれないが、テレビ局との関係上、保身に徹する。そんな印象だった。「スマートフォンは普及しないと思うよ。日本ではガラケーが強いからね」。たしか、2009年だった。D2C(株式会社ディーツーコミュニケーションズ)の人から言われた言葉だ。私がGoogleを退職し、スマホのアドネットワーク会社「AdMob(アドモブ:AdMobはその後、Googleが買収)」に営業責任者として転職した時のことだ。D2Cは、ドコモなどガラケーの広告商品(既存ビジネス)をメインで扱っていた。だから、スマホには否定的にみえた。当時、一番積極的に売ってくれたのは、サイバーエージェントだった。

ネット広告でも既得権益が

サイバーエージェントに代表されるネット広告代理店のほとんどが、私の知る限り、新しいことに積極的だ。創造的破壊の担い手となり推進していく集団だと思っていた。それが、既存のネット広告を脅かすようなGDPRや情報銀行、個人情報保護などの話になると、ネット広告代理店のなかにも、保守化する人が出てくる。もちろん、既存のネット広告が彼らの生活の糧。守りたい気持ちは、理解できる。日経新聞に「個人情報に『利用停止権』検討 保護法改正へ」という記事が出ているように、個人情報・データの「利用停止権」「開示請求権」などを、2020年の個人情報保護法改正で導入するかもしれない。また、ネット広告技術で普通に流通しているクッキーや識別IDなども、個人情報扱いにすべきという意見もある。このネット広告技術に関して、イギリスは厳しい認識を持っているようで、「ネット広告の根幹技術に違法の疑い、英規制当局が指摘」と、MIT Technology Reviewに掲載されている。このような動きのなかで、電通グループの株式会社マイデータ・インテリジェンスが「情報銀行トライアル企画」を実施する。7月3日に発表があった。簡潔にいえば、生活者に許諾・同意を得たうえで、個人情報・データをビジネスに活用し、何らかの便益を生活者にも還元していく。新しいビジネスモデルが簡単に軌道に乗るとは思わない。だが、既存のネット広告の仕事は、遅かれ早かれ、作り変えなければならない。私はそう思っているので、マイデータ・インテリジェンスの立ち上げの時期から、支援させてもらっている。既存のネット広告ビジネスに依存する人は、個人情報保護法改正やマイデータ・インテリジェンスの動きが気に入らないらしく、水面下で抵抗勢力になっているらしい。もちろん、ネット広告代理店のなかにも、前向きに取り組む人がいるのは知っている。だが、業界の平均年齢も高くなったし、やっぱり、保守化するんだなぁ、と。まるで、ネット広告の普及に抵抗していた、昔の電通・博報堂(一部の人たち)を見るようだと思った。「1クリック10円? そんな仕事ができるかよ」という言葉の背後には、新しい変化に抵抗する人間の弱さや保身があると思った。それと同質の気配を纏っている人が、ネット広告代理店にも出てきたように思う。日本でも、テレビ広告と互角の規模まで市場が成長し、そこでの既得権益に依存して生きる人たちがいるということだ。新しいビジネスに挑むリスクをとるよりは、既存のネット広告を守って生きた方が楽なのだ。

「脱皮できない蛇は滅びる」

だが、ドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェがいうように、「脱皮できない蛇は滅びる」。もちろん、私自身も、脱皮するのは楽ではない。あまりに速いデジタル業界の流れに抵抗してしまうこともあるし、新しい事業に恐怖を感じ、保身に走ることもある。そういうときは、ドラッカーの著作に手を伸ばす。『ドラッカー名著集5 イノベーションと企業家精神』のなかで、彼はこう書いている。
「既存の企業が企業家精神を発揮するには、自らの製品とサービスが競争相手によって陳腐化させられるのを待たず、自ら進んで陳腐化させていかなければならない。新しい事業の中に、脅威ではなく機会を見出すようマネジメントしなければならない。今日とは違う明日をつくり出す製品、サービス、プロセス、技術のために、今日仕事をしなければならない」
ありがたいことに、私は約20年、電通・博報堂から仕事を頂いてきた。それをいま振り返って感じるのは、大企業なのに、電通も博報堂も、新しい事業にもそれなりに積極的で、個々の社員が企業家精神を発揮しやすいように、マネジメントしているのではないか、ということだ。だからこそ、長年、広告業界のトップに君臨しているのだと思う。だが、デジタル領域だけでいえば、電通・博報堂の40代以上の正社員の多くがネット広告の現場を経験していない。子会社や関連企業に任せてきたからだ。そのため、今後、大量にリストラになるのではないかと心配だ。テレビ広告市場の縮小が現実となり、利益を維持するにはコストカットが必要になる。ただ、これは、電通・博報堂に特有の課題ではない。日経の記事「早期退職はや8000人、18年の倍 次見据える中高年」が指摘するように、「団塊ジュニア世代が50歳に近づき『多くの企業で中高年がボリュームコストになっている』(日本総合研究所の山田久主席研究員)」という。つまり、日本経済全体の課題である。この記事のなかで、デジタル対応のために若手が必要だと書かれている。電通・博報堂も例外ではなく、もっと多くのデジタルネイティブな若手が必要なのだ。そして、私も今年で50歳なので他人事ではない。私も含む40代以上の世代は、できるだけ早く、活躍の場や事業の実権を若手に譲り、若手に古い固定観念を押し付けるのではなく、必要に応じて求められれば支援するぐらいがいい。それが、日本経済のためであり、広告業界のためであり、電通・博報堂のためだと思う。終身雇用の幻想を追いかけて、若い人たちのお荷物になるのは避けたいところだ。

今日とは違う明日を作る

さて、話を戻そう。Googleなどにいた自分から見ると、電通・博報堂のデジタルトランスフォーメーションは、動きが遅くてイラッとすることも多かった。だが、いま振り返って、もし仮に、私が電通や博報堂の人間であれば、テレビなど既存ビジネスをできるだけ長く延命させつつ、同時に、新しい事業の創出に取り組むはずだ。そう考えれば、昔は、イライラすることが多かったが、それは自分の視野が狭かっただけだとも言える。電通や博報堂が、これまで業界を牽引してきた理由に、既存事業と新規事業のバランスの取り方があるように思えてならない。それは、もしかしたら、それほど戦略的にやっているわけでもないかもしれないが、それでも、私のようなネット広告しか知らない人間は、彼らから学ぶことが多いように感じる。実際に、いつの間にか、彼らにとって新しい領域であったネット広告でも、優秀なスタッフを揃えてしまった(まだ、充分ではないと思うが)。昔はデジタルに遅れていると言われていたが、いまでは、決してそんなことはない。つまり、彼らは彼らのペースで時間をかけてバランスを取りながら、人材を入れ替えてきたのではないか。今後、GDPR、個人情報保護法改正、情報銀行などの影響で、既存のネット広告の合法性(違法性)が問題になるかもしれない。イギリスのように、既存のネット広告技術の違法性が指摘され、万が一、既存ビジネスができなくなったら、ネット広告だけに依存する代理店はどうするのか。個人情報保護法改正や情報銀行の流れに対して、ネット広告業界が抵抗勢力になっても未来はない。クッキーや識別IDを個人情報扱いしないように、政府関係者に陳情している人や、できるだけ消費者の許諾・同意なしで済ませられるように、GDPR的な法改正に反対している企業・団体もあると聞く。「いちいち個人の同意をとっていたら、経済効率が悪化して、中国に勝てない。中国のように同意なしで信用スコアとかやったほうがいい」と。しかし、それでは危ない。「ヤフー、『信用スコア』炎上で損ねた信用」という日経の記事にもあるが、サービス開始前に「個人情報が勝手に外部に提供される」という事実無根の憶測がネット上で広まってしまった、Yahoo!の信用スコア事業のケースのように、プライバシーや人権よりもビジネスの方が大事だという印象をもたれると、ユーザーに拒絶される。この件に関して、同社の川邊健太郎社長は、「全てはヤフーの説明がヘタ過ぎることに問題があり」とTwitterで釈明しているが、そもそも、個別に具体的な説明を受けたと感じている人は私の周囲にはひとりもいない。GDPRや個人情報保護法改正の影響で、個人情報・データはユーザーのものであって、その主導権がユーザーにあるという思想が普及しつつある。その環境変化を、もし、川邊社長が理解しているならば、このような発言はできないはずだ。ユーザーに対して具体的にサービス内容を説明し、個別に許諾を取らない限り、信用スコアというビジネスにはリスクがある。現行法的に問題ないとしても、炎上する可能性はあった訳だ。

 

信用スコア事業に関する川邊社長のツイート

 

もちろん、そのリスクを覚悟して、チャレンジしたのかもしれない。ただ、今回の失敗によって、今後の個人データ関連ビジネスの導入ハードルが上がった可能性も否定できず、見方によっては、業界全体に、いや、日本経済全体にとっても、マイナスだったとも言える。ただし、私は、新しいことにトライしたYahoo! Japanの姿勢はとても素晴らしいと思っている。今回の件を他山の石として、プラスに転じていきたい。要するに、プライバシーや人権よりもビジネスを優先する姿勢は、改めて行くべきだろうし、陳情活動までして既存ビジネスに依存、保身に徹するのも、醜悪である。ドラッカーのいうように、今日とは違う明日を作るために仕事をしたいところだ。できれば、既存のネット広告が陳腐化し、あるいは、法律によって破壊されてしまう前に、自ら進んで破壊する準備をしていく必要がある。陳腐化ならまだいいが、そもそも、違法なら、ビジネスできないかもしれない。

広告ビジネスを作り替える

電通グループのマイデータ・インテリジェンスが「情報銀行トライアル企画」を実施するのは、そのような事態への対応を進めているのだと思う。一方で、グループ内の電通デジタルという会社が、既存ネット広告事業を担う。つまり、既存ネット広告事業も推進しつつ、並行して、個人情報保護法改正などを睨んで、ネット広告市場のリニューアルにも備え、さらに、伝統的なマス広告市場の延命措置を講じていく。既存事業と新規事業のバランスを、彼らなりに考えているのではないか。ネット広告業界も、同じような対応をした方がいい。つまり、ネット広告のビジネスモデルが法的に破壊されてしまう事態に備えて準備をしておく。NHK「ネット広告の闇」で取り上げられるまでもなく、業界の人間なら、何が悪いか、わかっているはずだ。個人情報保護法改正をきっかけにして、今後、ほかの問題が指摘される可能性もある。既存ビジネスの闇に目を閉ざし、新しい流れの抵抗勢力になるのではなく、「今日とは違う明日をつくり出す製品、サービス、プロセス、技術のために、今日仕事をしなければならない」。ネット広告業界の保守化によって、将来もっとも苦しむのは、業界内の一般社員だと思う。保守化するのではなく、ネット広告のビジネスモデルを作り替えるという気概を持って、業界全体で進んでいくべきときではないのか。私は、そう思っている。Written by 有園雄一Photo by Shutterstock