いじめの温床にもなる「スクールカースト」とは?

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 この春、進級・進学した子どもたちにとって、新しい環境での生活が始まって1カ月余り。環境の変化に胸を躍らせる子どもがいる一方で、変化に対して大きな戸惑いを抱える子どももいます。4〜5月は、学校内の子ども同士のコミュニティーにおける人間関係に変化が生じやすく、子どもたちの間に自然発生する序列、いわゆる「スクールカースト」の組み替えが発生しやすいようです。

 スクールカーストは、仲間外れやいじめの温床にもなりやすく、ネット上では「こういうの昔からあるよね」「今の子どもたちはネット環境も絡むから大変そう」など、さまざまな声が上がっています。スクールカーストが生まれる背景や、潜在するいじめのリスクについて、家族や教育、子どもの問題に詳しい、作家でジャーナリストの石川結貴さんが解説します。

「上位・普通・下位」に分かれる

スクールカースト」という言葉の中にある「カースト」は、インド社会で歴史的に形成された身分制度のことです。階層ごとに職業や居住地、結婚などに厳格な規制があって、差別の温床にもなっています。

 スクールカーストは、こうした身分制度に似た小集団が学校内で作られ、生徒間の階層化、ヒエラルキー(序列)が生じることを意味します。2000年代後半、教室内で下位グループに所属している子どもたちが、ネット上に「インドのカースト制度のように階層化が進んでいる」という声を書き込んだのが始まりとされています。

 その後、世間一般に広く知られるようになったのは、2012年に教育社会学者の鈴木翔さんが書いた本「教室内(スクール)カースト」(光文社新書)がきっかけだと思います。

 一般的に認識されている階層は「上位・普通・下位」というように分かれています。子どもたちはこの階層を「1軍」「2軍」「3軍」と言います。私が取材した女子高校生は「Aラン(ランク)」「Bラン」「Cラン」という言葉を使っていました。

 こうした階層がどうつくられ、どんな理由で分けられてしまうのかについては、はっきりとした基準がありません。それぞれの地域や学校の特性もあるでしょうし、生徒同士の関係性によっても変わってきます。例えば、1学年1クラスしかない小規模校と数百人の生徒がいる大規模校。地方と都会、公立と私立、男子校・女子校と共学。こうした違いも影響するため、「○○の人はこのランクになる」とは明確に言えないのです。

 ただし、私が取材した範囲では、「リアル(現実生活)のランクとネット(SNSなど)のランクが違う」という状況があります。リアルでは、仕切り屋や目立ちたがり屋などのいわゆる「イケイケ系」と、モテる・おしゃれといった「リア充(リアルが充実している)系」の子どもが上位に行きがちですが、ネットでは「逆に引かれちゃう」というのです。SNSで一方的に自分のことばかり主張したり、彼氏自慢やリア充自慢ばかりしたりすると、「ウザイ」「別のところでやってくれ」と周囲の反感を買うといいます。

 つまり、でしゃばったり、自己顕示欲が強すぎたりする子どもは、逆に嫌われてランクが下がるというのです。

 では、どういう生徒のランクが高いのか――。あくまでも私の取材範囲の話ですが「マメで親切、頭がいい」という優等生タイプ、情報通でコミュ力(コミュニケーション能力)が高いタイプ、聞き上手でうまく立ち回れるタイプ、こうした人が上位に来るそうです。

「優等生タイプが上位」とは意外な気がするかもしれませんが、これは、スマホがインフラ化している今どきの子どもの事情があります。SNSを介して一緒に宿題をやったり、テスト対策をしたりするので、「勉強を教えてくれたり、ノート画像を公開してくれたりする子」は人気が高いわけです。

 また、何かあったときに相談に乗ってくれたり、芸能ニュースやファッション情報に明るかったり、「変顔写真」でみんなを楽しませてくれるような子どもも上位となりやすいです。要は「みんなへのサービス精神」を持っている子どもが評価され、「私が、私が」といった“自己チュー”的な子どもは敬遠されるのです。

必死で「空気を読む」子どもも

 誰がどんな理由で上位や下位に分けられてしまうのか「はっきりした基準がない」ということは、別の言い方をすれば、特に理由がないのに仲間外れになったり、自分の意思や行動とは無関係に「上」「下」とランク付けされたりすることになります。当人にすれば、「なぜ嫌われたのか分からない」「あの子がAランで、なぜ私はCランなの?」など、悩むことも多いでしょう。

 こうした序列化がもたらす影響も問題ですが、いったん所属した階層の中で「空気を読み続ける」ことも大変です。先述の「みんなへのサービス精神」を持っている子どもは、進んでサービスしているというよりは、みんなに嫌われないために必死で空気を読んでいるといった方が事実に近いのです。

「どこに地雷が埋まってるか分からないから、自分の気持ちとかは関係なく、みんなが求める自分像をせっせと作ってそこに合わせるんです」と話した高校生がいました。「SNSでは、とにかく周りから嫌われないことがすごく大事」とも言っていましたが、上になるか下になるかだけでなく、同じ階層の中での「神経戦」もあるわけで、これはとてもしんどく、つらいことだと思います。

 また、一部のSNSでは、友達になるのに「招待制」を取っていたり、一度友達になっても一方的にブロックされたりします。これも自分の意思とは関係なく、相手の事情や気分次第でどうなるか分かりません。同じ階層にいる、つまり“仲間同士”の中でも「入れるか、入れないか」といった選別が行われる場合もあります。

スクールカーストをなくすことは可能か

スクールカースト」は、学校内の生徒同士の問題と思われがちですが、「あの人は上で、あの人は下」というように差別化する空気感は、何も学校に限ったものではないでしょう。そう考えると、学校内だけ、生徒同士だけで解決できるような問題ではないと思います。

 そもそも、日本の社会は同調圧力が強く、協調性や団結心、そして、集団的な思考や行動が求められます。就活生が着るリクルートスーツなんて、その典型ですよね。一人だけはみ出したら「なんだ、あいつ」という目で見られ、「除外されて当然」という空気になります。

 集団の和を乱すもの、異質なものに対する差別意識や嫌悪感は、社会のそこかしこにあります。スクールカーストが問題で、いけないことであるならば、そのような学校を生み出している社会はどうなの、と考える視点も必要でしょう。

 子どもの社会は、結局のところ「大人の社会の反映」です。「あの子と遊ばない方がよい」「あの子の家はウチとは違う」「あの子はああだからこうなるのよ」など、大人の一方的な価値観が子どもに刷り込まれ、それが子ども同士の関係性にも影響してきます。

 だからといって、「みんな仲良く」「誰とでも友達になりなさい」というのも無理があるように思います。確かに正論ですが、現実はそう簡単にはいきませんし、そもそも大人が「みんなと仲良く」できているかといったら違うでしょう。また、「みんな」「誰とでも」を強調することで、かえって同調意識を強め、集団からはみ出すことに対する不安や恐怖、同調しない人への嫌悪感を高めてしまうこともあると思います。

 私はむしろ、「みんなと仲良くする必要はない」と言ってよいと思います。「人はそれぞれ違うのだから、全員と友達になるのは難しい」と。ただし、自分と違う人、自分と合わない人だからといって、それを理由に見下したりしてはいけない、と教えてほしいです。もし、子どもに「どうして?」と聞かれたら、「相手にとってはあなたの方が、自分と合わない人だと思われるかもしれない。そんな理由だけで相手から見下されたら、あなたはどう感じる?」と問いかけてみましょう。

 スクールカーストについても同様です。学校内だけ、生徒同士だけで解決するのは難しいと思いますが、だからこそ大人が関わっていくべきでしょう。「いじめはよくない」とか「序列や差別をなくそう」と言うだけでは、現にあるものはそう簡単にはなくなりません。正論やきれいごとで説教するのではなく「どういう点が問題なのか」「実際にどんな悩みや苦しみがあるのか」を、子どもと一緒に話し合ってほしいです。

 その際に、「話せてうれしかった」「一緒にこの問題を考えられてよかった」「そんなランク付けがあるのは悲しいね」など、何でもよいので「感情の言葉」を伝えてください。「うれしい」「悲しい」「寂しい」、そうした感情を伝えることが大切です。

 スクールカーストによって、いじめられていたり、仲間外れにされたりしている子どもは、当然ながら、とてもつらい状況にあります。下位にランク付けされたまま、周囲から敬遠されているような子どもは「自分の存在価値がないのでは」と苦しんだりもします。だからこそ、「あなたと話せてうれしい」「あなたと一緒に生きたい」といった、身近な人からの肯定が必要です。

「誰がどう言おうと、私にとってあなたは一番大切な人だ」。このメッセージをしっかりとお子さんに伝えてほしいと思います。