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もくじ

ーたたずむだけで、滲む「戦意」
ー「TURBO」の文字は悪の象徴?
ー当時のAUTOCARの評価
ー「2速まででほとんどの用は足ります」
ー2002、刺激的な中にも安心感

たたずむだけで、滲む「戦意」

BMW 2002ターボに正面から向き合うと、なにやら落ち着かない気持ちになる。

相手チームの選手を骨折させることを目論み、プロテクターで全身を固めたアイスホッケーの選手を連想させるからだ。

ヘッドライトの冷酷な眼差しが見る者を射抜き、挑発的な空気とともに睨んでくる。オーナーのスチュワート・ローソン氏が自分の1974年型の愛称を「フーリガン」にしているのもうなずける。

BMW 2002は、ディーター・クエスターが1969年のヨーロッパツーリングカー選手権のグループ5で優勝した時の284psの2002TIK(「K」はコンプレッサーを意味する)にその源流がある。

ターボが自動車産業において比較的新しい技術であったにもかかわらず、このドイツ人ドライバーは、2ℓクラスのタイトルを獲得する役に立つと考え、エバスペッヒャー製ターボチャージャーを装備した2002tiで1968年のタイトルを獲得したのである。

1970年代のヨーロッパツーリングカー選手権の新しい規則では、非ホモロゲーション・モデルのターボ車を除外すると定められていたため、294psの2002TIKは、あまり競争力を発揮できないグループ7に参加せざるを得なかったものの、クエスターのクルマに触発され、BMWのアレックス・フォン・ファルケンハウゼンがロードモデルを開発する契機になった。

3年に及ぶ開発期間を経て、2002ターボが1973年にフランクフルト国際モーターショーで発表された。

このクルマは、最先端技術の実用化に長けた高性能車メーカーとしてのBMWのイメージを高めただけでなく、その量産は、2002のターボエンジンのホモロゲーションにも役立ったのだった。

だが、残念ながら、計画通りにはいかない面もあった。

「TURBO」の文字は悪の象徴?

プレスカー(それぞれが、エアスポイラーに逆さ文字で「TURBO」と書かれた有名なステッカーを貼っていた)が公道に持ち出されるや否や、西ドイツ当局が介入したのであった。

ステッカーが、スピードの出し過ぎと乱暴な運転を誘発するというのが理由だった。

BMWは当局の言い分をある程度尊重することにし、ステッカーをディーラーに提供したものの、ディーラーがそれを貼ることは認めなかった。

モータースポーツ規則が変更され(ターボ車が禁止され)た一方、発売が1973年の石油危機とちょうど重なったという不運もある。

原油価格が4倍に高騰したことは、当然であるがガソリンを食う7.4km/ℓの高価な高性能車の販売にも不利に働き、2002ターボの販売台数が伸び悩んだ。

ミュンヘン工場で生産された2002ターボの台数は計画していた2000台を下回る1672台にとどまった。

当局によるわずらわしい介入やモータースポーツとは別に、ターボを装備したことで、2002はRS2000、2000 GTV、そしてトライアンフ・ドロマイトなどと競合していたそれまでの市場セグメントから抜け出し、重厚なポルシェ911ターボと同じ土俵で競争する結果になった。

5800rpmで172psを発揮する当時の金額で£4,221(59万円)のBMWは、最高速度が209km/hに達し、0-96km/h加速がわずか7.3秒だった。

これはポルシェ911ターボよりも速く、ジャガーE-タイプよりも高額だということを意味していたのだ。

AUTOCARは当時次のように記している。

当時のAUTOCARの評価

当時、AUTOCARは「ハンドリングに関して敢えて付け加えるべき点があるとすれば、それはピーキーな出力特性の及ぼす悪影響だ。これでは、長いカーブの出口に向かって加速していると、トルクもみるみるうちに増えていき、ますますライン取りが難しくなってしまう。ついには最悪の状況に陥る……という結果にさえなりかねない」と記述した。

言い換えるならば、ハイパワーゆえの欠点を伴っていたといっていいのではないだろうか。

しかしながら、スチュワート・ローソン氏がイタリアで購入した個体は、AUTOCARが試乗したクルマにふたつのオプション装備を追加したものである。

ここで、FPS製「ボトルトップ」合金ボディがBMWのハンドリング特性に及ぼす効果について長々と講釈するのも一興だが、とにかくそのユニークな5段マニュアルトランスミッションがハンドリングを思いがけずに上手くまとめている。

ギアを多段クロスレシオ化し、出力の段差を緩和したことが、このターボ車のアクセルを全開にした際の荒々しい挙動をなだめるのに役立っていることは間違いない。

ただし、シフトレバーのドッグレッグパターンの操作とゴツゴツした手応えには右手を慣らす必要がある。

「2速までシフトアップすれば変速は簡単ですよ」と親切なローソン氏。

「運転しづらいクルマだとわたしは思いません。このクルマに関する初期の試乗レポートを読むと、悪夢のようなことが書かれていますが、実際はそんなことはありませんよ。確かに、濡れた路面だと、手強いかもしれませんけれど……」。

氏は、空をチラっと見上げ、青空を確認して少し安心したような表情を浮かべていた。

室内を見てみよう。

「2速まででほとんどの用は足ります」

キャビンは、ダッシュボードの上にブースト計とVDO製のメーター類が埋まった真っ赤なフロントパネル、そしてターボ車の左ハンドル仕様だということを除けば、(右ハンドル車のプロトタイプが2台しか生産されなかったのは、KKK製ターボを搭載した結果ステアリングギヤレシオが低くなり、切れ角の大きなZF-Gemmer製のステアリングボックスがオーバーヒートしたことが原因)いかにも1973年型2002ターボらしいルックスとなっている。

「2速まででほとんどの用は足ります。1000rpmから8000rpmの範囲であれば、特に心配事もありませんからね」とアドバイスを受けたものの、6500rpmからレッドゾーンが始まり、アクセルのストロークは短いことにわたし自身、少し不安を覚えた。

 3000rpmでブーストがかかり始め、4000rpmに差しかかった頃には、紛れもないタービン音とともに怒涛の加速に転じる。

タコメーターの針がレッドゾーンを目指すにつれて、回転数、加速、心臓の鼓動が高まり、何もかもがハイになる。燃料噴射式M10エンジンの荒々しい音、豊かなエグゾーストノート、そしてターボの喧噪全てが、ラジオなど、聴くのが申し訳ないという気持ちになる。

ローソン氏の2002が装備しているウォームアンドローラーステアリングも素晴らしい。

遊びはなく、直進性の曖昧さも最小限なため、フィーリングは、ノンパワステのラックアンドピニオン方式に極めて近い。

ハンドルの重さも絶妙。気持ちよく、隅々まで一貫性があり、路面の状況を的確に伝えてくれることは言うまでもない。そのうえBMWの機敏な旋回能力とも見事にマッチしていると感じる。

乗り心地はどうだろう?

2002、刺激的な中にも安心感

改良されているサスペンションは、旋回方向が変わる際にロールし、セミトレーリングアームを架装した素晴らしく気まぐれなリアが楽しさ、いや、ウェットならば恐怖を倍加する。

乗り心地は快適であり、ダンパーの効きも良いものの、185/70VR13タイヤのグリップに妥協は一切見られない。

このおかげで、今回走った、コーナーや高低差の多いソールズベリーの道でも安定感を見せ、扱いやすいと感じた。VDO製のブースト計が躍動した時の加速感は、現代の基準をもってしても刺激的だ。

思わず笑いが込み上げてくる。エンジンの回転数が上がるにつれ、ターボチャージャー搭載シングルオーバーヘッドカムの4気筒エンジンは、レッドゾーンに入っても余裕を失ったり、息切れしたりする感じはない。

しなやかで単純な2002の運転は、冷や汗をもたらし、安全性の限界に挑むといった感じは全くなく、刺激的な中にも安心感がある。

2002をドライブするのは、とても楽しい。刺激に慣れてしまい、感覚が麻痺してしまったドライバーでさえ、気持ちが若返るに違いない。

それはまるで、住宅ローンの金利や、コレステロール値など、人生が『思考の流れを絶えず中断する雑事』になってしまう前の17才の頃の自分をタイムカプセルに詰め、2002がそのままの状態で目の前に突きつけてくれたような体験だった。