ママを失った子の悲しみを埋める父親の愛情料理「甘々と稲妻」最終回

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ついに最終回を迎えた雨隠ギド原作の深夜アニメ『甘々と稲妻』。シングルファーザーの高校教師・公平(演:中村悠一)が5歳の娘・つむぎ(演:遠藤璃菜)のために、教え子の女子高生・小鳥(演:早見沙織)と一緒に料理を作る、というだけのお話なのだが、ものすごく丁寧に描かれたごはんの描写に腹が減り、ものすごく丁寧に描かれた親子の描写に涙腺を刺激されるというダブルパンチに視聴者はことごとくノックアウト。視聴率4%を獲得するなど深夜アニメとしては異例のヒットとなり、最終回前後からツイッターには「甘々ロス」「つむぎロス」などのフレーズが並ぶことになった。放送前は“地味”とか“空気”とか言われていたタイトルだけど、追いかけてきて良かった!


泣き疲れてしまった後のお好み焼き事件


まずは最終回となった第12話「あいじょーたっぷりお好み焼き」を振り返ってみよう。公平とつむぎが亡き妻の一周忌から帰ってくるところからお話はスタート。一周忌ということは、公平が小鳥と料理会をするようになってから半年が経ったということになる。まだ夕方なのに、つむぎが公平に抱っこされて寝ているのは、泣き疲れてしまったからなのかもしれない。

帰宅後、ぐったりしている2人を呼び起こすのは腹の虫の音。死の世界から人を呼び戻すのは、生きるための食べ物だ。疲れきっていた公平は外食を提案。「外で食べるの久々ね〜」とつむぎが言うが、公平は仕事しながら自炊頑張っていたんだなぁ。筆者にもつむぎと同じ年中の娘がいるんだけど、外食が多い……反省。

公平とつむぎはお好み焼きをチョイス。材料をかき混ぜて鉄板でじゅうじゅう焼くプロセスを期待していたつむぎだったが、お店は完成品を持ってくるスタイルだった。機嫌を損ねたつむぎは青のりをヤケがけ。公平に叱られると、はばかることなく店内で大泣きしてしまう。「すごくわがままになった」というネットの声を見かけたが、むしろ5歳児ならこれぐらいのグズり泣きは日常茶飯事。逆につむぎはこれまでほとんどわがままを言わないスーパー健気な子だったのだ。今日はママのこと思い出して疲れてたから、これぐらいのことは仕方ないと思うよ。

炸裂! ダマにならないダンス


翌日、話を聞いた小鳥はお好み焼きの名誉回復のため、お好み焼きパーティーを提案。多忙のため、これまで一度も参加できなかった小鳥のママも参加するらしい。機嫌を直したつむぎも喜び勇んでやってきた。扉を開けるときのヘンなポーズが可愛い。しのぶ(演:戸松遥)もいて、つむぎは大喜び。

小鳥ママが参加すると聞いて、八木(演:関智一)もパリッとジャケットで決めてやってきた(ただし、結局小鳥ママは仕事で不参加)。八木ちゃんがわざわざ手土産で持ってきた「純米大吟醸 野咲」だが、実際にはそんなお酒は存在しないのに、ものすごく丁寧にラベルがデザインされていて驚く。こういう細かさ、丁寧さが『甘々と稲妻』の魅力を支えていたと思う。あと、なぜ「野咲」なのか元ネタがわからない……(原作では「酒」と書いてあるだけだった)。

みんなで材料を切り、生地をつくる。4話で披露したつむぎの「ダマにならないダンス」も飛び出した。ずいぶん機嫌が良くなったつむぎを見ながら、公平と小鳥は来られなかった小鳥ママについて会話を交わす。母親の忙しさについては理解している小鳥だが、来られないことを前もって教えてもらえなかったことにわだかまりを抱いていた。小鳥の話を聞いて、「ちょっと……余裕がなかったんじゃないですかね」とフォローしながら、お好み焼き屋でつむぎが大泣きしたことを思い出す公平。あのとき、疲れていた公平は余裕がなくて、つむぎを叱りつけて大泣きさせてしまった。でも、世の中のほとんどの親は時間に追われ、疲れていて、余裕がない。

「いつも大事に思ってるって……伝えるのも実行するのも難しいですね」

小鳥はまだ女子高生なのだが、ずいぶん大人っぽい会話を聞いていると思う。きっといいママになると思う。

「おとさん」から「お父さん」へ


料理の途中、ふざけていたつむぎが千切りキャベツをひっくり返してしまった。キレる八木にフォローするしのぶ。この2人も良い夫婦になれそうな気がする(?)。ここで公平がつむぎを叱るわけだが、原作ではカウンター越しに公平が声をかけていたのに、アニメではつむぎを椅子に座らせて正面から向き合ってから声をかける。このあたりの“段取り”がアニメはとても丁寧だ。

「つむぎ、怒られるの嫌いか?」
「……うん」
「……お父さんも怒るの嫌いなんだよ〜」
「そうなの!?」
「そうです。でも、今のはつむぎが悪いことしたなってわかるよね?」
「うん」
「お父さん言ったよね、つむぎがいけないことをしたら叱るって。つむぎは怒られるの嫌いだし、お父さんも怒るの嫌いだけど……。いけないことしたら、頑張って叱ります」

お好み焼き屋で上手に叱れなかったことを、つむぎに「ごめんなさい」と謝罪する公平。つむぎも素直に「ごめんなさい」と公平の手をとって謝る。子どもに無理やり「ごめんなさい」と言わせても意味がない。なぜ自分が叱られているのかを理解して、自発的に謝るようにするには、親が子どもと対等の立場になり、相手に共感しながら話をする必要がある。でも、それをするのには親に“余裕”が必要だ。小鳥がいて、八木がいて、しのぶがいる料理会だからこそ、こういう叱り方が可能なのだろう。

また、これまで自分のことを「おとさん」と呼んでいた公平だが、このときはしっかり「お父さん」と言っている。公平も中途半端な「おとさん」から、しっかりした「お父さん」へと成長しているのだ。

子どもは親の愛を食べて成長する


料理も佳境、つむぎ念願の“材料まぜ”のときは、「♪まぜっ、まぜっ、ま〜ぜっ」と公平と小鳥も一緒に歌う。こんなの、もう家族だよね。血のつながりがなくたって、入籍してなくたって、家族になれると思う。公平と小鳥が夫婦になればいい、ってわけじゃなくって(ちょっと思っているけど)、気持ちが通い合うあたたかい小さなコミュニティ。

お好み焼きも無事に完成して、いただきます! 仕事が終わった小鳥ママもなんとか間に合った! 「なんで? なんで? お店で食べたのよりおいしいよ!」とエキサイトするつむぎに、公平も「ほめすぎじゃないか〜?」と照れ照れ。本当に幸せな人たちの姿がここにあると思う。他人よりたくさんお金を稼ぐとか、他人を出し抜いて出世するとか、まったく関係ない。

「つむぎちゃんのお父さんのお好み焼きがおいしいのはね、つむぎちゃんへの愛情をたーくさん込めて作ったからですよ〜!」という小鳥ママのストレートすぎる言葉に静まり返る一同(そして、むせかえる公平)。先ほどの「いつも大事に思ってるって……伝えるのも実行するのも難しいですね」という言葉を思い出してみると、メディアで“伝える”仕事をしている小鳥ママの言葉はさすがと言うべきなのかもしれない。でも、そんな小鳥ママだって自分の娘にはうまく伝えられなかったりするのだから親子はむずかしい。

照れまくる公平に、公平の愛情を間近で見続けて小鳥は「その通りですよ!」と真っ先に答える。

「なるほど〜、愛情って……愛!?」
「はい?」
「そっかー、おいしいのって、そうなんだ!」
「ええとですね、つむぎさん……」
「それ、つむぎ、いっぱい食べてんだねー!」
「そうか……つむぎ、食べてるか!」
「うん!」

ものすごく簡単な言葉しかやりとりしていないのに、なぜかじーんとする。今となっては信じられないが、出来合いのお弁当ばかり食べていた第1話の頃のつむぎは、ごはんを食べてもほとんどリアクションがない子どもだった。それが今は「おいしい!」とフルボリュームでリアクションしてくれるわけだから、親としてこんなにうれしいことはない。

「おいしいな!」
「おいしいね!」

公平とつむぎの言葉を、小鳥たちが笑顔で見守る。ちっとも最終回らしくないけど、『甘々と稲妻』らしい、これ以上ないエンディングでした。

「たべるとこみてて!」つむぎのことを見ていなかった公平


食事シーンで、真っ白のパーカーを着ていたはずのつむぎが1カットだけ黄色いパーカーになってしまうエラーを発見。『甘々と稲妻』は子どもの描写がとてもリアル(7話のつむぎが暴れ泣くシーンなど)なんだけど、5歳児の食事時に白いパーカーを着せるのはナシ(絶対汚れるから)だよなぁ……と思いながら見ていたらエラーを発見してしまいました。細かすぎてすみません。でも、つむぎはこぼさずキレイに食べる良い子です。

最終回で、公平がつむぎと面と向かって「叱ること」についての会話をするシーンが象徴的だが、『甘々と稲妻』は食事を通して父親が子どもと向き合うまでの話を描いた物語だと言えるだろう。

第1話の頃、公平は仕事と家事に忙殺されるあまり、つむぎと向かい合うことができていなかった。つむぎもそれを察していて、公平にわがままさえ言わなかった。第1話で炊き上がった土鍋ごはんを頬張るつむぎが「たべるとこみてて!」と言って、それを見た公平がはっとして涙ぐむシーンがある。これが公平とつむぎが初めて向かい合った瞬間だと言っていいだろう。自分がいかにつむぎのことを見ていなかったのか、つむぎがそれに耐えていたのかということに気づいて、公平は涙ぐんだのだ。ちなみに「見てて!」というのはウチの娘の口ぐせでもある。子どもは親に見ていてほしいものなのだ。

監督の岩崎太郎もインタビューで、「1話で『たべるとこみてて』と言うのを見て涙ぐむ公平。そこにこの作品の大事なところが集約されていると思ってます」と語っている(「『甘々と稲妻』岩崎太郎 視聴者を信じて作るリアルな日常」Rooftop)。公平が料理の体験を通して父親として成長していくにつれて、つむぎも子どもらしさを取り戻していく。その一端がわがままだったり、グズり泣きだったりするというわけだ。

もう一つ、とても楽しそうな『甘々と稲妻』だが、その根底に妻(母)を失った親子の悲しみがある。第1話の頃は「おとさん! ママにこれ作ってってお手紙して!」と言うなど、まだはっきりと母の死を理解していなかったつむぎだが、年月が経つにつれて徐々に母親を失ったことを理解していくようになる。

母親を失ったことに気づく悲しみを埋めるように、父親からの愛情が深まっていくというのが『甘々と稲妻』の物語なんだと思う。だから、最終回に持ってきたのが「あいじょーたっぷりお好み焼き」というエピソードなのだ。公平はつむぎと正面から向き合い、つむぎの心を愛情で満たすことができた。最初から出来ていたことではなく、最終回までかけて徐々に出来るようになっていったのだ。子の成長とともに、親も成長するものである。

ちなみに原作では、この次の回でつむぎが同じ年の男の子に「おまえ ママいないやつだろ」と言われてしまう話があるのだが、まさに「あいじょーたっぷりお好み焼き」の次の回でしか成立しないエピソードだと思う。

母親が欠けている家庭と父親が欠けている家庭


とはいえ、『甘々と稲妻』は、親子の愛情たっぷりの手作り料理が一番大切! ということを声高に訴えている作品ではない。料理という切り口で親子を描いた作品だから、食事が中心になっているだけであって、それがたとえば手作りの洋服でもいいし、休みの日に公園で力いっぱい遊ぶのでもいいと思う。

肝心なのは、どんな形でもいいから、親が愛情を手抜きせずに子どもに与えることだ。いつも大事に思っていることを伝えて、実行することだ。お父さんが忙しければお母さんがやればいいし、お母さんが忙しければお父さんがやればいい。

シングルファーザー、シングルマザーの家庭の場合は、公平のようにご近所さんや友人の協力を仰いだほうがいいだろう。公平だって親ひとり子ひとりの頃は、まったくできていなかった。小鳥だって、第1話の頃は母親と会えない寂しさからひとりで涙を流してお弁当を頬張っていたわけだから。でも、そこで大事なのは、親が周囲に任せて逃げてしまわないことだ。やっぱり、親は子どもと向き合わなければいけない。公平はそこから決して逃げ出さなかったし、小鳥ママも死ぬほど忙しいだろうに、小鳥から逃げ出しているわけではない。

母親が欠けている家族と、父親が欠けている家族が合わさって、ひとつの新しい家族になる。『サザエさん』が昭和の大家族、『クレヨンしんちゃん』が平成の核家族を描いた作品だとすると、『甘々と稲妻』はポスト平成の新しい家庭を描いた作品だ。ゴールデンタイムでロングラン放映するアニメになってほしい気もするけど、公平とつむぎの成長を描いている以上、それは難しいだろう。というわけで、第二期をお腹を空かせながら待つことにします!
(大山くまお)