ユー・エス・ジェイ執行役員 森岡 毅(もりおか・つよし) 1972年生まれ。神戸大学経営学部卒業。96年プロクター・アンド・ギャンブル・ジャパン(P&G)入社。日本ヴィダルサスーン、北米パンテーンのブランドマネジャーなどを経て、2010年にユー・エス・ジェイ(USJ)へ。12年よりチーフ・マーケティング・オフィサー(CMO)、執行役員、本部長。

写真拡大

ユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)の今年度の入場者数が、2015年2月、過去最多を更新した。これまでの記録は開業した2001年度の1102万人で、開業翌年には763万人に急減。以来、長く集客に苦しんできた。だが4年ほど前からマーケティングを強化。人気のアニメや漫画のイベントなど、ハリウッド映画にこだわらない企画で顧客層を広げてきた。さらに2014年7月には「ハリー・ポッター」の新エリアをオープン。国内外からの集客増につながった。こうした一連の企画を手がけたのが2010年に入社した執行役員の森岡毅だ。大人も子供も夢中にさせる発想法とは――。

■根拠は映画の観客動員「数字は嘘をつかない」

【弘兼】パークのご案内、ありがとうございました。平日にもかかわらず、たいへんな賑わいですね。とりわけ「ハリー・ポッター」のエリアの人気はすごい。大成功ですが、5年前に建設を提案したときには、社内は大反対だったそうですね。

【森岡】売上高が700億円以下だったときに、約450億円の投資を提案しました。ほぼ全員に反対され、社長(当時)のグレン・ガンペルには「会社を倒産させる気か」と言われました。

【弘兼】それでも成功の確信があった。

【森岡】はい。2010年、USJへ入社して2カ月目でした。研修で米国・フロリダの「ユニバーサル・オーランド・リゾート」に行き、「ハリー・ポッター」のプロトタイプを目にしたんです。僕は感動で涙を流しました。実は入社以前から「ハリー・ポッター」のファンで、小説と映画はすべて見ていたんです。そうしたファンの目線で見ても、納得できるすばらしいものだった。ぜひこれを日本でやりたいと思いました。

【弘兼】社長や幹部など、周囲をどうやって説得したのですか。

【森岡】私は「数字は嘘をつかない」という考えをもっています。まずは数字にもとづく客観的なデータを示す必要があると考えました。そのために考え方の違う3つのモデルで「需要予測」を行うことにしました。

【弘兼】つまり新しいエリアがオープンしたときに、お客がどれだけ増え、収益がどれだけ増えるかというシミュレーションをしたわけですね。

【森岡】はい。1つ目のモデルは「コンセプトテスト」。新エリアのコンセプトを説明して、アンケートなどで反応を確かめます。マーケティングではオーソドックスなやり方です。

2つ目のモデルは「マーケットシェア」。コンペティター(競争相手)の相対的な強さをはかって、市場でのシェアがどのように変化するかをシミュレーションします。

最後のモデルは「映画観客数」。ブランドの「選好度」を調べるうえで、映画はいい指標になると考えました。つまり「ハリー・ポッター」の映画を観たことのある人は、テーマパークにも興味をもつはずです。そこで、米国における映画の観客動員数とテーマパークの来場客数の相関関係を調べ、日本での「ハリー・ポッター」の映画の観客動員数から、需要予測を行ったんです。

【弘兼】だから多くのパークが大ヒット映画をテーマにするんですね。

【森岡】そうです。よそのパークにも映画をもとにしたアトラクションがありますから、その映画の観客動員数とテーマパークの来場客数との相関関係もモデルに組み込みました。

【弘兼】そうしてはじき出された数字が、森岡さんの論拠となった。

【森岡】数字は誰にでも通じる「共通言語」だと信じています。社長も実は心から反対しているわけではなく、より確実性の高い論拠を求めていますから、最終的には納得し、計画実施を決断してくれました。どれだけシミュレーションをしていても、失敗すれば倒産の危機に追い込まれるハイリスクな投資です。最初に提案した私よりも、意思決定をした社長のほうがすごいと思いますね。

(1)「ウィザーディング・ワールド・オブ・ハリー・ポッター」の様子。手前中央には「バタービール」を売る屋台が見える。(2)対談を収録した平日16時ごろでも「110分待ち」の表示だった。(3)「ホグワーツ城」のなかにある「動く肖像画の部屋」。(4)USJではクルー(スタッフ)がゲスト(客)に積極的に話しかけるように指導されている。清掃クルーが若い女性と談笑していた。(5)テーマは「セサミストリート」から「エヴァンゲリオン」まで幅広い。(6)漫画「進撃の巨人」の「15m級巨人」が等身大で再現されていた。

■「センスがない」から数字とロジックで勝負

【弘兼】森岡さんは神戸大学経営学部のご出身ですよね。数字にこだわるようになったのはいつからですか。

【森岡】小学生のころから得意科目は算数でした。国語は苦手で、漢字のドリルは拷問みたいに感じました。

【弘兼】兵庫県の伊丹に長く住んでいたそうですね。それで神戸大学に?

【森岡】神戸大学の経営学部には数学の「一芸採用枠」があったんです。経営学部であれば、得意の数学で社会の役に立てそうだ、と。結果的にその枠は使わずに済んだのですが、受かる自信はありました。

【弘兼】大学卒業後はプロクター・アンド・ギャンブル・ジャパン(P&G)に進まれていますね。P&Gのマーケティングは世界的に有名ですが、マーケター志望だったんですか。

【森岡】当時は経営者になりたかったので、最初はファイナンス部門で内定をもらったんです。でも「あなたはどう考えてもマーケティング向きだ」と言われて、マーケティング部門に誘われました。ぼくが「社長になるのはどっちが早いですか」と聞くと、人事には「歴代社長はすべてマーケティングの出身だ」と言われました。マーケターになったものの、最初の5年はとても苦しみました。

【弘兼】なにに苦しんだんですか。

【森岡】マーケターとしては致命的なことに、ぼくはセンスがないんです。

【弘兼】センスがない?

【森岡】はい。物事を感覚的に捉えることができないんです。P&Gには、パッケージを見ただけで「これはウケる」「これは売れない」とわかる人がいました。消費者テストをする前から、結果をピタリと当てられる。一方、ぼくが「これはいい」と思ったパッケージは、テスト結果が最低だったりする。だから自分なりの方法を発明するしかありませんでした。

【弘兼】それが「科学者のように分析する」というやり方ですね。

【森岡】なぜ笑うのか。なにが楽しいのか。仮説を立てて、要素を因数分解して、検証していく。仮説が検証されれば、数値に置き換えられます。振り返ってみると、センスがなくてよかったと思います。中途半端にセンスがあると、自分の感覚に頼ってしまう。感覚に頼ると、センスがズレたときに修整できない。

【弘兼】誰でもセンスは古びますね。

【森岡】そうです。その点、ぼくは今も昔もズレているんです(笑)。だから自分の主観を殺して、客観的に消費者がなにを面白いと思っているのかを分析することができました。

【弘兼】消費者目線を徹底するということでもありそうですね。

【森岡】P&Gの米国本社にいたとき、何度も言われたのは「Consumer is Boss(消費者こそが私たちのボス)」というフレーズです。

【弘兼】いつからアメリカに?

【森岡】入社以来、基本的に日本にいたのですが、2004年にブランドマネジャーとして評価されて、米国本社の主力製品担当に抜擢されました。そのとき評価してもらったのが、テレビCMをつくる能力です。

【弘兼】センスがないのに、CMを?

【森岡】はい。ぼくはCMをつくるのが、結構、得意なんですよ(笑)。CMの制作現場に徹底して数字とロジックをもち込みました。どのタレントで、どんな演出をするべきか。クリエイティビティや感性は二の次で、客観的なロジックと数字にもとづく戦略で、CMをつくる。そのほうが当たる確率が高いんです。

【弘兼】当時からUSJのようなエンターテインメントの世界で働くことも考えていたのですか。

【森岡】全然考えていませんでした。個人的には大好きなんです。妻と初めてデートした場所は、兵庫県にあった宝塚ファミリーランド。世界各地のディズニーランドはのべ100回以上、プライベートで訪ねています。娘の呼び名は「ミキ」。ミッキーマウスにちなんだ名前です。USJにも何度も遊びに行っていました。

【弘兼】ヘッドハンターから声をかけられたそうですね。

【森岡】最初はまったく乗り気ではありませんでした。経営がうまくいっていないと思っていましたから。

■大阪市との関係を断ち「破壊と創造」で復活

2001年に開業したUSJは、初年度に1102万人の入場者数を記録。1983年に開業した東京ディズニーランドの993万人という記録を塗り替えた。ところが翌年から不祥事が続出。レストランでは賞味期限の切れた食材が使われ、ショーでは火薬の不正使用で罰金50万円などの略式命令を受けた。イメージは悪化し、2年目の入場者数は763万人と3割も落ち込んだ。

当時のUSJは大阪市と米ユニバーサル、地元の大企業などによる第三セクターだった。運営はそれぞれの組織からの出向者の寄せ集めで、責任の所在はあいまい。赤字続きの現状を打破し、顧客目線に立ち返るため、04年に経営体制が一新される。そこで社長となったのが、ユニバーサル側からUSJの開業にかかわってきたグレン・ガンペルだった。大阪市を含む全株主との関係を整理し、経営を合理化。米国の投資会社ゴールドマン・サックスの支援を取り付け、USJは完全民営の企業として再出発した。

【森岡】グレンはUSJの救世主です。開業時のメンバーも一生懸命やったと思いますが、一部の株主の意向に抗えずコスト高の構造から脱却できなかった。どうやっても利益が出る体質ではなかった。人間にたとえれば、ぶよぶよの肥満体形でした。

【弘兼】よく経営学では「破壊と創造」といわれますが、コストカットという「破壊」をガンペルさんがやった。

【森岡】資本構成を変え、人員を整理し、コスト構造を1つずつ見直していく。利益の出せる筋肉質な体形への改革を行った。その成果で、USJはわずか3年でマザーズに上場できるほど、経営が好転しました。そのうえで、彼はこう思ったそうです。「コストは削った。次はトップライン(売上高)をどう伸ばすか。マーケティングの専門家が必要だ」と。

【弘兼】森岡さんが力を発揮できる環境が整えられていたのですね。

【森岡】グレンと会って、グッと心が動かされました。波長が合ったんです。「ハリー・ポッター」の提案では、最初は強く反対されましたが、最終的に意思決定したのはグレンです。すごい経営者だと思います。

「ハリー・ポッター」への巨額投資で予算に余裕がないにもかかわらず、USJはこの4年、入場客を増やし続けた。それは森岡が60以上のイベントや企画を考案し、次々とヒットさせてきたからだ。既存のジェットコースターを後ろ向きに走らせる。パークの片隅で行われていた漫画「ワンピース」のショーを大々的に宣伝する。閑散期だった秋には、夜間のパークに数百体の「ゾンビ」を出没させる――。追加投資のあまりかからないアイデアで、新エリアのオープンまでを乗り切った。

【弘兼】お客さんの気持ちを理解するため、イベントで取り上げる漫画やゲームに何百時間も費やすそうですね。ぼくも漫画賞の審査員をやっていますが、売れている漫画が必ずしも面白いわけではない。読み通すのに苦労する作品もあります。

【森岡】もちろん個人的な好みはあるので、必ずしも楽しんでいるわけではありません。どうしても面白さが理解できない場合には、好きな人間に教えを請います。ただ、ぼくは売れるものには、必ず売れる理由があると考えています。その理由を理解するために努力しています。

【弘兼】売れる理由を分析する。

【森岡】はい。世界中のエンターテインメントでやっていることを分析して、応用できるアイデアがないか、いつも探しています。

【弘兼】そうした分析が当たる企画を思いつくためのコツですか。

【森岡】すべての企画が当たるわけはないですよね。外すことも想定しておかなければダメです。でも、100もなければゼロもない。ぼくは「確率論」を信じているんです。

【弘兼】確率ですか?

【森岡】1から6までのサイコロを、一度だけ振れば、ばらつきがでます。でも1000回振れば、どんな人でも1から6までの出目の回数はほぼ同じに収束するはずです。だからぼくは、成功の確率が高くなるドライバーを見極めたうえで、サイコロを振る回数を増やすようにしています。そこに時間と労力を投資すれば、企画が外れる確率は抑えられます。

【弘兼】だから徹底的に時間をかけて分析するのですね。

【森岡】ヒットの確率を上げるための努力です。ぼくはセンスがないので。

■大阪には留まらない、目標は「アジア最大」

【弘兼】森岡さんの今後の目標は。

【森岡】USJをアジアにおけるエンターテインメント業界のリーディングカンパニーにすることです。2013年度の売上高は1000億円足らずでしたから、将来的には3000億円以上を目指さなければいけません。

【弘兼】2013年度、東京ディズニーリゾートの入場客数は3129万人でした。この差をどう埋めますか。

【森岡】関西には関東の3分の1のマーケットしかありません。大阪に留まっているだけでは達成は難しい。いろいろと考えています。

【弘兼】現状には満足しないんですね。

【森岡】ここで満足するなら、最初から「ハリー・ポッター」はやりません。みんな本当に頑張ってくれました。いいチームになりましたが、この先が本当の勝負ですよ。いよいよ作戦開始です。

■弘兼憲史の着眼点

▼古城の風格を備えた「ホグワーツ城」の魅力

対談の翌日、あらためて園内を巡りました。「ハリー・ポッター」のエリアは針葉樹に囲まれています。映画スタジオを模した周囲のエリアと、イメージを分ける配慮ですね。森のなかの小径を進むと、まわりから不思議な音が聞こえてきます。魔法の世界に入り込んだようです。森を抜けると、魔法使いの住む村に辿りつきます。多くのゲストは、映画にでてくるハリーと同じローブを着て、名物の「バタービール」に長蛇の列をつくっていました。さらにその先には「ホグワーツ城」が見えます。城壁は本物の石造りのようで、古城の風格がありました。

平日の午前中でしたが、一番人気のアトラクションは「250分待ち」。それでも城内では魔法の世界らしい見所が多数あり、ゲストを飽きさせません。多くの人たちが待ち時間でさえ楽しんでいるように見えました。

森岡さんは私の漫画作品の熱心な読者だそうです。森岡さんの鋭い分析を聞いているうちに、マーケターの視点から『課長島耕作』がどのように分析できるかが気になってしまいました。森岡さんの分析はこうです。

「サラリーマンの世界が非常にリアルに描かれています。企業経営の現場だけでなく、派閥抗争や女性関係も描く。それでいて上品で、全編を通じて知性を感じます。だから物語を自分の身の回りの話に都合よく置き換えることもできる。読んだ後には、『よし、俺も頑張ろう』と感じ、大きな爽快感がある。サラリーマンへの応援歌。これが最大のベネフィットだと思います」

自分のことはわかっているつもりでわかりませんね。わずか3年間ですが、私には会社員の経験があります。だからある程度は「サラリーマンとは何か」がわかる。一方で、はやめに辞めたので、企業の論理には染まりきらなかった。爽快感はそのおかげでしょうか。

▼「大阪・京都・神戸」は「キョウト」で世界に売る

森岡さんには「マーケターとして大阪をどう世界に売り込みますか」という質問もしました。回答は「大阪を京都の一部にします」。京都には「世界遺産」として世界的な知名度がある。一方、東京は歴史が浅い。京都、大阪、神戸という3つの地域を「キョウト」として世界にアピールすれば、東京との差別化ができる。たとえば「関西国際空港」は「京都国際空港」に変えてもいい。目から鱗の落ちる意見でした。

USJ復活の立役者、社長のガンペルさんは外国人、森岡さんは中途入社、いわば組織の“異物”です。異物だからこそ、自社の可能性を冷静に分析できたのでしょう。日本を観光立国にするならば、異物を中に取り込む懐の深さが必要かもしれません。

----------

弘兼憲史(ひろかね・けんし)
1947年、山口県生まれ。早稲田大学法学部を卒業後、松下電器産業(現・パナソニック)勤務を経て、74年に『風薫る』で漫画家デビュー。85年『人間交差点』で第30回小学館漫画賞、91年『課長島耕作』で第15回講談社漫画賞、2003年『黄昏流星群』で日本漫画家協会賞大賞を受賞。07年紫綬褒章受章。

----------

(田崎健太=構成 川隅知明=撮影)