猪口 真 / 株式会社パトス

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昔(10年ほど前)、C向けのEコマースサイト運営のお手伝いをしていたときに、Webサイトに人が集まるにはコンテンツが必要だということになり、何がいいかを検討することになった。

そのときのミーティングに参加していた人たちは、それぞれ完全に「コンテンツ」の意味をバラバラに抱いており、ある人は、星座・運勢占いや心理テスト、ある人は簡単なゲームやクイズ、ある人は自社の開発者の声や商品コンセプト、と何か意見が出るたびに、「そういうのがコンテンツなの?」とそれぞれがお互いに思っていた。

一方、コンテンツというと、「うちの会社にはコンテンツがないから」あるいは「あそこはコンテンツを持っているから強い」などという表現を我々はよくしていた。

このときのコンテンツというのは、ほぼ、商品やサービスの根っこにある「知的財産」のことをさし、商品やサービスが支えられている、オリジナリティのあるハイクオリティの知恵や知識、知財、といった意味で使うことが多かった。

こうした背景を経験してきた人たちが「コンテンツマーケティング」を展開しようとすると、「コンテンツマーケティングのコンテンツってほんとは何?」などと思ってしまうのはいたしかたないことだ。

現在、コンテンツマーケティングの重要性が叫ばれ、市民権を得るなかで、ある程度の定義はされてきたとは思うが、自信を持ってコンテンツマーケティングを実践していると胸を張れる人がいったいどれだけいるのだろうか。

しかし、すでにコンテンツマーケティングを発展させ、「ブランドジャーナリズム」的な位置づけとして、完全に企業のメディア化戦略の中枢となり、ビッグカンパニーとしてのPR戦略の主軸としようとしている企業すら出てきている側面もある。

こういう観点からいくと、コンテンツマーケティングのコンテンツとは、もはや自社ソースに限ったことではないし、「edit」(編集)し、「curation」する(まとめる)ことでオウンドメディアが展開できたりする、ある意味、メディア化、プラットフォーム化の流れだと言えるかもしれない。

とはいえ、大半の企業は大々的に自社Webサイトにコンテンツを集積しメディア化するなど到底できず、少ない予算の中でコンテンツ集めに奮闘しなければならないわけだから、長期的には、自社Webメディアを「ブランドジャーナリズム」として確立することをめざしながらも、新規見込み顧客開拓、既存顧客のロイヤリティ向上、ブランドイメージ確立のために、なんとか「売り」一辺倒のメッセージから逸脱すべく奮闘することになる。

コンテンツを自社ソースのオリジナル性という観点から離れられないと、ひとりでホワイトペーパーを一生懸命つくってみたり、調査結果分析を抱えてしまったり、いわゆるコンテンツづくりが大きな負担となってしまう。

昔、自社(自分)のコンテンツであるならば、それについて2時間ぐらい堂々と話せるようにならなければならない。と言っていた人がいた。

また、あるコンサルタントは、レポートを書くなら2枚か200枚(思い切り簡潔か、じっくりと大作を)だ、と言っていたこともあるらしい。

それはそれで立派なコンテンツとなるだろうが、継続できるのかというと、かなり怪しくなってしまう。

コンテンツマーケティングのコンテンツとは、あなたの会社とお客様をつなぐ「ネタ」なのであり、それは、あなた自身が語るものでもいいし、会社のいろいろな立場の人でもお客様でも、まったく異なる立場の人が語ってもかまわないはず。

そこに、メッセージメディアとしての目的と、お客様へ貢献できることがはっきりしていれば、何も問題はないはずだ。

企業によっては、プロモーション戦略に偏ったり、プロダクト・マネジメント的な要素が強くなったりするかもしれないが、それでもかまわない。

お客様があなたの会社の商品を購入するのは、お客様のニーズを満たす手段でしかないのだから。