反省のないダイバーシティは、うまくいかない。/川口 雅裕
ダイバーシティを掲げて、女性や外国人の雇用・登用を進める企業が増えてきた。それ自体は素晴らしいと思うが、気になるのは、1986年の男女雇用機会均等法以降、30年かけて徐々に進んできたのではなく、2年ほど前から急に「ダイバーシティはいいことだ」と経営者や人事部が言いはじめたことである。
なぜ急に、ダイバーシティに取り組む企業が増えたのか。現政権の「女性が輝く社会」という言葉に共感する企業が増えたから・・では決してない。この2年で、急速に浮上してきた経営上の大きな問題の一つは、先行きの人手不足感で、これは失業率・有効求人倍率の改善、人材ビジネスの活況、昨年・今年の新卒採用市場がすっかり売り手市場になったことなどから明らかだ。企業は今、人手不足対策として採用を強化し、退職者を減らさねばならない。そう考えれば、どうやらダイバーシティに急に取り組み始めた理由は、人手不足対策である。つまり、本来の「多様性によって新しいアイデアやシナジーを生み出し、生産性を向上させる」という目的とはほど遠いのが実際だ。
そっくりなのは、“成果主義”である。潜在的な能力や働きぶり、期待などではなく、成果によって処遇すべきという考え方は、結局のところ、ベースアップや定期昇給を廃止する理由として使われただけだった。成果主義導入の目的を、「公平で納得感のある処遇を実現し、その結果として個々の能力や企業業績の向上につなげること」などとしながら、実は人件費の圧縮を行っただけというのは、まさに、ダイバーシティを掲げて実際には人手不足対策を行っているだけという現状と重なるものがある。
理由は何であれ、ダイバーシティが進むならいいじゃないかという意見もあるだろうが、そう簡単な話ではない。そもそも、ダイバーシティが組織にとって良いと本気で思っているなら、それは『転向』といってよい。であれば、「これまで、何ともったいないことをしてきたのか」という後悔や、「女性や外国人に対する偏見と雇用差別は、本人たちに申し訳なく、また企業業績にとっても悪影響があった」といった反省の弁があって当然だと思うが、そんな話は聞いたことがない。後悔も反省もなく、とってつけたように「ダイバーシティが重要だ」と言っているのは、人手不足対策としか考えていない証拠であり、このままでは、女性や外国人の強みを活かせないままに終わるだろう。
ダイバーシティは、差別への反省から始める必要がある。差別は、具体的な行為というよりも、個人をその属性によって画一的に判断するようなモノの見方にその本質がある。女性は論理的でないとか、感情的になるので扱いにくいとかいうのが典型だ。このような偏見に基づく差別を長きに渡って行ってきたことに対する反省がないまま、何か新しいものに飛びつくようにダイバーシティに取り組むのは、ただの形作りに過ぎない。ダイバーシティ本来の目的の達成は、女性比率や短時間勤務の促進、各種制度の整備などの形式ではなく、企業を支配してきた男性幹部・男性正社員たちが、そのような偏見・発想から脱することができるかどうかにかかっているのである。