純丘曜彰 教授博士 / 大阪芸術大学

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 ユトリ世代が社会に出て、いまや新しいサービス業のいいカモ。もともと自己管理のできない自堕落な連中だから、ほっこり、のんびり、ゆったり、「癒やし」だの、「気晴らし」だの、「自分への御褒美」だの、適当な美名をつけ、チヤホヤと甘やかしてやれば、入っただけのカネを、すべて吐き出す。そして、明日も、ちょっとしたことで仕事や人間関係で不満を募らせ、また気晴らしに来てくれる。


 ようするに、ストレス耐性が無い。我慢して節約して貯金する、なんていうことができない。そのくせ、半端に自己慢心のプライドと見せかけの向上心だけはあるから、努力しなくてもいい、しかし実際にはまったく役に立たない低テンションの語学教材や健康食品、トレーニング機器に飛びつく。それで、ちょっとがんばったと言っては、低アルコール低カロリーの缶をプシュっと開け、緩いSNSに緩い写真を載せ、自分を褒めてあげる。


 昔から上司は酒の席で酔った部下に好き勝手に語らせ、わかった、今日、オレはオマエの話をしっかり聞いた、後は任せろ、などと言ってガス抜き。結局、何もしない。会社や政治も同じ。いくら文句を言ったって、上司も会社も政治も変わらない。変える気も無いし、そもそも変える能力が無い。よし、じゃあ議論しよう、とか、おたがい話せばわかる、とか、もっともらしく言うが、それは単なる時間稼ぎのやり過ごし。どうせ君が自分自身では何もできない、逃げ出すこともできないのを見透かされているから。


 それがいまや個人レベルでも。ごちゃごちゃガタガタ、やたら口先で大言壮語を語るばかりで、決定的なことは何もしない。いや、これまでなにも具体的なことはやってきていないのだから、今日もまたやはり何もできないのは当然。それでまたすぐに不満が溜まり、それでまたすぐに自分で気晴らしのガス抜き。文句を垂れては、気張らしのガス抜き。夜になるたび、気晴らしのガス抜き。毎日、その繰り返し。そのうち、ただ年月が過ぎ、年だけとって、不満そのものにも勢いが無くなっていく。結局、何にもならない。


 先日、うちの子に水鉄砲を買ってやった。とはいえ、昔のピシャァというだけの力無いやつじゃない。ポンプ式でプシュプシュやると、エアが水タンクに貯まり、10メートル近くも飛ぶ。人間も、不満こそが向上心の源泉。こんなところに居たくない、こんな自分で居たくない。もっと別の自分になって、もっと別の世界に飛び出していきたい。


 しかし、ほんとうに生活を変える、自分を変えるとなると、その敷居は驚くほど高い。資格を取る、語学を身につける、転職する、国外脱出する、小説家・漫画家・デザイナーになる。自分で自分に自信が持てるだけの実績を積む。どれも一朝一夕でできることじゃない。まるで刑務所から脱獄するようなものだ。周到な計画と準備、周囲への完全な隠蔽、そしてなにより、たった一点に穴を掘り続ける、けっして諦めない本人の執念。


 本気なら、気晴らし、ガス抜きはやめておけ。仕事や職場で腹が立ったら、家族や友人、彼氏彼女に納得できないことがあったら、資格の教科書、語学のテキストを開いて、すべてを忘れ、その勉強に打ち込め。スポーツジムで、ロードランニングで、体を鍛えろ。自堕落仲間からケチくさい、付き合いが悪いと言われようと、カネも、時間も、労力も、いっさいの無駄遣いをせず、いずかならず必要になることのためだけに貯めておけ。すべての不満を脱出口の一点に向けて集中しろ。


 少なくとも気晴らしやガス抜きはやめておけ。明日の朝、君をまた不満の現実に引き戻すだけ。それを繰り返していても、ただ年だけとって、いよいよ泥沼にはまり込むだけ。


(大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン。専門は哲学、メディア文化論。著書に『夢見る幽霊:オバカオバケたちのドタバタ本格密室ミステリ』『悪魔は涙を流さない:カトリックマフィアvsフリーメイソン 洗礼者聖ヨハネの知恵とナポレオンの財宝を組み込んだパーマネントトラヴェラーファンド「英雄」運用報告書』などがある。)