写真提供:台中市文化資産処
(台北 11日 中央社)日本統治時代の1930(昭和5)年に、増水した川の中州に取り残された児童らを助けようとして殉職した日本人教師の慰霊祭が10日、台中市で行われた。複数の台湾メディアが伝えている。

今から84年前の1930年1月に東勢農林学校(現・新社高校)の教師として台湾に赴任した山岡栄先生は同年5月9日、豪雨で繰り上げ下校となり帰宅しようとしていた新社公学校(現・新社小学校)の児童7人と保護者2人が、増水した川に流されて中州に取り残されたことを知り、泳いで助けに向かおうとしたところ、濁流に流され帰らぬ人となった。

山岡先生は当時29歳。妻と2人の娘、妻のお腹の中の子供を残したまま亡くなった。遺体は住民によって現場から2キロメートル下流で発見され、同年11月に川辺には記念碑が建てられた。戦後になるとこの事故のことは次第に忘れられたが、区画整理の際に記念碑の存在が明らかとなり、2006年から毎年、地元住民の手によって慰霊祭が行われている。

今年は新社高校の生徒や教師、台中市台日文化経済交流協会などの関係者のほか、山岡先生の孫にあたる駄場美恵子さんと、中州に取り残されながらもその後救助された邱阿添さんの息子、邱湧忠さんも出席。長栄大学台湾研究所の温振華所長は、勇気ある行動を長きにわたり伝えていかなければならないと語った。

記念碑は2007年に台中県(当時)の歴史建物に登録されている。

(編集:齊藤啓介)