負けてしまった以上、批判は免れない。選手、スタッフ、協会のすべてに責任がある。2月5日に行なわれた、ロンドン五輪最終予選のシリア戦だ。

 Jリーグ開幕前というより、シーズンオフが開けたばかりの2月上旬である。シリア戦が行なわれた日に、始動したJ1のチームもある。フィジカルコンディション、ゲーム体力、試合勘などのすべてに不安があるのは必然で、この時期のゲームが押し並べて難しくなるのは、過去の歴史が教えている。U−23にしろ、フル代表にしろ、2月の公式戦で内容を伴った勝利をつかんだことはないと言ってもいいぐらいだ。

 難しい試合になるのは、最初から分かっていたのである。となれば、難しくしないための準備を、どれだけできていたのかが問われる。

 始動は1月15日で良かったのか?

 シリア戦まで3週間のタイミングである。Jリーグなら少なくともあと一週間、体力強化を重視するチームならさらにあと一週間は早く始動する。いずれにしても急ピッチだったのは間違いなく、そのなかで清武が負傷をしてしまった。

 結果論を恐れずに言えば、グアムキャンプの合流が遅れた時点で、清武は急ピッチのうえに急ピッチでコンディションを上げざるを得なくなった。ケガのリスクは高まっていたわけである。彼だけでなく誰が離脱しても対応できるように、もう少し大きなグループで現地入りしておくべきではなかったか、と思うのだ。

 協会のバックアップ態勢は十分だったか?

 海外組の招集が難しいのは周知の事実だが、清武の離脱で大津を呼べなかったことが減点材料となったのは否めない。海外組の招集が困難なのであれば、国内組の拘束期間をもう少し長くする=グアム合宿を前倒しにするなどの調整するべきだったのではないか。

 3週間で間に合うと判断したのであれば、過去の経験が生かされてないと言わざるを得ない。そうでなければ、過信があったということになる。

 実際にピッチに立つ選手にも、もちろん責任はある。一つひとつのリアクションでシリアに劣っていたのは、フィジカルコンディションやゲーム勘が万全でなかったことに理由を求めることができる。運動量の少なさも同様だ。

 パスワークを生命線とする日本のようなサッカーは、ダイレクトパスが入ることで攻撃のスピードが上がり──良く言われる“攻撃のスイッチ”が入る状況だ──相手守備陣を置き去りにするシーンが生まれていく。

 ところが、この日の日本は選手間の距離が遠く、ダイレクトのパス交換が成立しにくい状況が続いていた。パスワークの下地となる運動量が不足していたからである。デコボコなピッチ状態も、パスサッカーを阻害する大きな要因となっていた。

 そうは言っても、すべては想定内である。試合勘は鈍っているし、グラウンドもデコボコだけれど、どうにかして勝ち点3をつかむのがこの試合のタスクだったはずだ。

 リスクを取り除くためにセーフティな試合運びをしたい選手と、いつものようにつなぐサッカーをしたい選手が混在していたようだが、そんなものは当たり前である。守備がメインの選手はリスクを嫌うし、攻撃の選手は自分たちの特徴を発揮したいと願うものだ。

 相反する思いを摺り合わせ、チームとしての意思統一をはかれるかどうかが大切なのである。

 テレビ中継から拾った情報から判断すると、試合中に活発な意見交換が行なわれたとは見えない。自分たちのサッカーができていない状況を、どうにかして打破するための意見交換ならば、激しい感情のぶつかり合いが見られてもおかしくない。しかし、選手たちの表情は、0−0のときも、0−1のときも、1−1のときもほとんど変わらなかった。

 負けたからといって、ここぞとばかりに叩くつもりはない。ただ、今回のシリア戦に関しては、あらかじめ想定できたことがことごとく敗戦の理由になっている気がする。

 それは、反省ではない。単なる言い訳である。


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