※写真はイメージです(写真=iStock.com/zhudifeng)

写真拡大

いつも「お買い得品」を売っていたデパートが特売を廃止した。割高な定価から値引く“小芝居”をやめ、正しい価格に値札を書き換えたのだ。客が支払う金額は変わらなかったが、得意客の猛反発で大損失が生じ、責任者は更迭された。このデパートは何を間違ったのか――。(第3回)

※本稿は、ダン・アリエリー(著)、ジェフ・クライスラー(著)、櫻井祐子(訳)『アリエリー教授の「行動経済学」入門 お金篇』(早川書房)の第4章を再編集したものです。

■「お買い得品」を探すのはとてつもないスリル

スーザン・トンプキンは、だれかのスーザンおばさんだ。スーザンおばさんのような存在はだれにでもいる。彼女は根っから陽気な愛情深い女性で、買い物に行くたび甥っ子や姪っ子にプレゼントを買っている。スーザンおばさんのお気に入りは百貨店のJCペニーだ。子ども時代からの行きつけで、両親や祖父母に連れて行ってもらっては、めざとくお買い得品を見つけてあげたものだ。いつだってお値打ち品がたくさん見つかった。店内を駆け回り、パーセント記号の横の数字が一番大きいものを探し、秘密の格安品を鼻高々で見つけ出すのは楽しいゲームだった。

ここ数年、スーザンおばさんは兄の子どもたちを引き連れて、「おトク過ぎて逃せない」ダサいセーターやちぐはぐな服を選んでやっている。子どもたちは喜ばないが、おばさんは大喜びだ。JCペニーでお買い得品をゲットすることに、今もとてつもないスリルを感じている。

■常連客は「公明正大な」価格をよろこばなかった

そんなある日、JCペニーの新任CEOロン・ジョンソンが特売を全廃し、「公明正大な」価格を全商品に導入した。セール品もバーゲン品もクーポンや割引もおしまいだ。

スーザンは急に悲しくなった。そのうち怒りがこみ上げてきた。そしてJCペニー詣でをすっかりやめ、友人と「ロン・ジョンソンなんか大嫌い」というオンライングループまで立ち上げた。

彼女だけではない。大勢の顧客がJCペニーから離れていった。同社にとってはつらい時期だった。スーザンにも、ロン・ジョンソンにとってもつらい時期だった。ダサいセーターにとってもつらい時期だった。自分で自分をお買い上げすることはできないのだから。唯一喜んでいたのは? スーザンの甥っ子たちだ。

一年後、スーザンおばさんはJCペニーに値引きが戻ったという噂を耳にした。おそるおそる用心しながら偵察に行った。パンツスーツのラックを調べ、マフラーを何本か吟味し、ペーパーウェイトの見本をチェックした。それから価格を見た。「20%オフ」「値下げしました」「セール品」。初日は2、3の品しか買わなかったが、それからはJCペニー好きだった昔の自分を取り戻した。前のようにしあわせだった。買い物の回数も、ダサいセーターの数も、親戚からのぎこちない「ありがとう」の数も増えたということだ。めでたしめでたし。

■実は「値下げ後」の価格と変わらなかった

2012年にJCペニーのCEOに就任したロン・ジョンソンは、割高に設定した定価を値引きして適正価格にするという、長年にわたる、正直いってやや不当な慣行を廃止した。JCペニーはジョンソンが就任するまでの数十年間、スーザンおばさんのような顧客にクーポンやセール、店舗限定の値引きをつねに提供していた。これらのしくみによって、水増しされたJCペニーの「通常価格」は値引きされ、「お買い得」感を醸し出していた。

だがじつは、値下げ後の価格は競合店と変わらなかった。顧客と店は、まず価格を上げ、それからさまざまな表示や%、セール、値引きなど、ありとあらゆる独創的な方法を駆使して最終的な小売価格に行き着くという小芝居を演じていた。そしてこのゲームを何度も何度も繰り返した。

そこへロン・ジョンソンがやってきて、店の価格を「公明正大」なものにした。クーポンの切り取りも、特売品探しも、値引きのからくりも、すべておしまい。ライバル店の価格とほぼ同等で、以前の「最終価格」(高い定価を値下げしたあとの価格)と変わらない、実際の価格があるだけだ。この新しい方式が、顧客にとってより明快で、親切で、公正なものになると、ジョンソンは信じていた(もちろん彼は正しかった)。

■なぜ得意客は反発したのか

ところが意に反して、スーザンおばさんのような得意客は猛反発した。真正な価格に騙され、ごまかされ、裏切られたとこぼし、誠実で公明正大なはずの価格を嫌い、離れていった。一年と経たずにJCペニーは9億8500万ドルの純損失を計上し、ジョンソンは更迭された。

彼の更迭から時を置かずに、JCペニーのほとんどの商品の定価は60%以上値上げされた。150ドルだったサイドテーブルは、245ドルの「毎日価格」に上がった。通常価格が高くなっただけでなく、値引きの選択肢も増えた。単一の金額が表示される代わりに、「セール価格」「元値」「市場価格」などが合わせて表示された。もちろん、セールやクーポンや特別割引など、利用可能な値引きを適用したあとの価格は、以前の価格とほとんど変わらなかった。だがお客の目にはそうは映らなかった。JCペニーが再びすばらしいお値打ち品を提供しはじめたように映ったのだ。

JCペニーの顧客は自分たちの財布を使って不満を表明し、JCペニーによって操られることを自ら選んだ。彼らはお値打ち品やバーゲン品、セール品を求めた──たとえ水増しされた通常価格を呼び戻すことになろうと構わなかった。そしてのちにJCペニーはその通りのことを行った。

JCペニーとロン・ジョンソンは、価格設定の心理学を理解しなかったがために、手痛い代償を払った。だが同社は最終的に、価値を合理的に評価できないという、人間の無能さを踏み台にしてビジネスを構築できることを学んだ。ジャーナリストのH・L・メンケンもいっている。「アメリカ人の知性を甘く見て破産した者はいない」と。

■実際の価値と無関係に評価している

スーザンおばさんとJCペニーの物語には、相対性がおよぼす多くの影響のいくつかが見て取れる。相対性は、実際の価値とはほとんど無関係な方法で価値を評価することを私たちに強いる、もっとも強力な要因の一つだ。スーザンおばさんはJCペニーで相対価値をもとに商品の価値を見積もった。でも、なにと比べた相対価値だろう? 元の提示価格だ。JCペニーは値下げ分をパーセンテージで表したり、「セール」「スペシャル」などの言葉を添えたりすることによって、おばさんの注目をあっと驚く相対価格に集め、価格を比較しやすくした。

あなたならどっちを買う? 60ドルのワイシャツか、定価100ドルから「おつとめ品! 4割引! わずか60ドル!」に値引きされた、まったく同じシャツか?

どっちを買おうが関係ないはずだろう? 値札にどんな文字や記号が書かれていようが、60ドルのシャツは60ドルのシャツだ。たしかにそうだが、相対性が心の奥深くに作用するせいで、2枚のシャツは同等に見えない。スーザンおばさんのような常連客は、迷わずセール品のシャツを買うだろう。そして正価60ドルのシャツが店にあるだけで、憤慨するにちがいない。

この行動は論理的だろうか? ノー。相対性を理解すれば筋が通るだろうか? イエス。頻繁に起こるのか? イエス。CEOが失職したのは相対性のせいか? そのとおり。

私たちはモノやサービスの価値を、それ単体では計れないことが多い。家、サンドイッチ、医療、”アルバニアのミツユビブローク”のコストがいくらかなんて、なにもないところでどうしたらわかるだろう? 価値を正しく評価する方法を見つけるのは難しいから、別の方法を探すことになる。そこで役に立つのが相対性だ。

なにかの価値を直接評価するのが難しいとき、私たちはそれを競合製品や同じ製品の別バージョンなど、ちがうものと比較する。比較することによって、相対価値が生まれる。これがそんなにまずいことなのか?

■問題は「相対性」の使い方にある

問題は、相対性の概念そのものではなく、私たちがそれを用いる方法にある。ほかのすべてのものと比較するのであれば、機会費用を考慮することになるから、すべてうまくいく。だが私たちはそうせずに、たった一つ(か二つ)のものとしか比較しない。だから相対性に欺かれるのだ。

60ドルは100ドルと比べれば相対的に安い。でも、機会費用を思い出してほしい。60ドルと比較すべき対象は0ドル、または60ドルで買えるすべてのものだ。でも私たちはそうせず、スーザンおばさんのように今の価格と割引前の定価(または定価とされる価格)とを比べ、相対価値によって価値を測ろうとする。だから相対性に惑わされるのだ。

JCペニーのセール価格は、顧客に重要な価値の手がかりを与えた。しかもそれはただの重要な手がかりではなく、唯一の手がかりという場合が多かった。セール価格や、JCペニーの喧伝する割引額は、それぞれの品がどんなにおトクかという背景情報を顧客に与えていた。

背景情報がなければ、顧客はいったいどうやってシャツの価値を見定められるだろう? 60ドルの価値があるかないかを、どう判断すればいいのか? それはできない相談だ。でも100ドルのシャツと比べれば、60ドルのシャツはとてもおトクに思えるだろう? だって、40ドルをただで手に入れるようなものじゃないか!

JCペニーはセールや「割引額」を排除することによって、顧客に「正しい判断をした」と自信をもたせる要素を取り除いてしまった。「通常」価格の隣に書かれたセール価格を見るだけで、顧客は賢い判断をしたような気分になれた。でもじつはそうではなかった。

----------

ダン・アリエリー
デューク大学教授
1967年生まれ。過去に、マサチューセッツ工科大学のスローン経営大学院とメディアラボの教授職を兼務したほか、カリフォルニア大学バークレー校、プリンストン高等研究所などにも在籍。また、ユニークな実験によりイグ・ノーベル賞を受賞。著書に『予想どおりに不合理』『不合理だからうまくいく』『ずる』『アリエリー教授の「行動経済学」入門』『「行動経済学」人生相談室』(すべてハヤカワ・ノンフィクション文庫)がある。
ジェフ・クライスラー
コメディアン、作家、コメンテーター
プリンストン大学卒。弁護士を経て、お金と政治を扱うコメディアン、作家、コメンテーターになる。著書に風刺エッセー『Get Rich Cheating』がある。

----------

(デューク大学教授 ダン・アリエリー、コメディアン、作家、コメンテーター ジェフ・クライスラー 写真=iStock.com)