画/ぼうごなつこ

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7月6日、法務省はオウム真理教元代表の松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚ら7人の死刑を執行した、と発表した。死刑執行には、法務大臣のサインが必要である。サインをしたのは上川陽子法相だ。上川法相は決して知名度の高い閣僚ではない。だが文筆家の古谷経衡氏は、上川氏が10年前に「公文書担当大臣」として行った提言について、「現在も全く色あせていない」と、その仕事ぶりを評価する。どんな人物なのか――。

※本稿は、古谷経衡『女政治家の通信簿』(小学館新書)の一部を再編集したものです。

■上川法相に注目が集まらないというのは異常な状態

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上川陽子 法務大臣
1953年、静岡県静岡市生まれ。東京大学教養学部(国際関係論)卒。三和総合研究所研究員を経てハーバード大学大学院へ留学(政治行政学修士)。米国上院議員の政策スタッフを務める。2000年衆院選にて当選(自民党・静岡1区)。第一次安倍内閣で内閣府特命担当大臣(少子化対策など)に。現内閣では法務大臣を務めている。

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第二次安倍政権下での法務大臣は誰か? と問われて多くの人が「上川陽子」とは答えられないはずである。2000年総選挙で初当選して以来、衆議院議員を6期務める上川は、客観的にいえば中堅から準ベテランの当選回数を誇るが、メディア的には圧倒的に露出が少ないせいか、その知名度は低い。

なぜ上川の知名度が閣僚にもかかわらずこれほど低いのかと言えば、それは上川が(失礼ながら)地味だからだ。

地味だからメディアは上川に注目せず、注目されないから有権者一般は上川の存在を知らない。ただそれだけのお話である。ただそれだけのお話であるが、このことがいかに異常な状態なのか、健全な民主主義社会に生きる有権者なら分かろう。

メディアは私たちの知能レベルをうつす鏡

ルックスが良く、派手な女性議員のみが認知され、それ以外は知らないというのは、民主主義の堕落であり有権者の怠慢以外の何物でもない。そのような有権者の中からメディア関係者が輩出されるわけだから、必然メディアの注目はルックスが良く、派手な女性議員の去就のみに集まるのは致し方ない事かもしれない。

よくメディアが悪いとかメディアの質が劣化したと言う。確かに一理あるが、それはメディアが私たち市井の有権者の母体から生み出された機構である、という前提を忘れている。私たちの民主的レベルがメディアに反映され、私たちの知能レベルそのものがメディアに鏡のように映し出されているのである。

■テレビ局の人間は職能的サラリーマンにすぎない

テレビ局の人間は何か特権的自意識を持っているのではなく、日々の業務に忙殺される職能的サラリーマンで、その感覚は一般有権者のそれと大差ない。そして、地味で目立たない女性議員よりも、派手で美人な女性議員の失言やスキャンダルや不倫報道ばかりをメディアが追いかけるのは、結局それを多くの市井の人間が見て視聴率として追認しているからであり、テレビ局の人間が悪いわけではない。そしてこの構造自体が異常であると、有権者の大半は自覚的ではない。

とはいえ、地味でメディアの耳目を集めない上川が法務大臣として入閣しているのは、その高い政治的実務能力が評価されての事である。

上川は、自民党内派閥では保守本流の岸田派(宏池会)に属し、保守リベラルの顔をのぞかせる。実は上川が第二次安倍政権で法務大臣を務めるのは2014年に次いで二度目である。岸田派よりあきらかにタカ派色が強い清和会の杉浦正健は、小泉内閣下で法務大臣に就任したにもかかわらず、自身が真宗大谷派の信徒である事を理由に事実上、死刑執行を拒否した。

■20年ぶりに犯行時19歳の少年の死刑を執行

それに比べて上川は、二度目の法相就任後の2017年12月、20年ぶりに犯行時に19歳の少年だった元少年の死刑執行を含む2名の死刑を執行した。厳格な法の支配とその執行を忠実に履行する法務大臣のメイン職責においては、地味ながらもその重責を果たしていると言える。

はからずも、1995年の地下鉄サリン事件から23年が経過し、全てのオウム事件裁判が結審した。死刑執行の準備段階とも観測されていたが、上川法相下で麻原死刑囚らの刑が執行された。平成の事件史に刻まれた凶行に、一つの終止符を打ったことになる。

目下、第二次安倍政権下では公文書改竄問題が最大の焦点になっているが、上川は福田康夫政権下、2008年に公文書担当大臣に就任していることはあまり知られていない。

■民主主義で最も重要なものは「公文書管理」

このときの公文書における課題は、森友学園ではなく、年金記録の紛失や厚生労働省がC型肝炎ウイルスに感染していた患者リストを省内倉庫に放置していた問題などが表面化していたためで、上川は同内閣においてこの問題の担当責任者になった。上川は2008年、尾崎護(「公文書管理の在り方等に関する有識者会議」座長)との対談の中で、

〈民主主義の基本は、国民の皆さんが自ら考えて選択していくということです。その選択をする上で最も重要なものである文書情報=「行政文書」をしっかり管理していくということが「公文書管理」ということになります〉

とした上で、

〈公文書管理体制を作る、というのは一から興す作業じゃない。過去の体制にもう一度戻す作業なんだと。そう考えると違和感も重荷もだいぶ軽くなりました。昔やっていたんだからできるよと。「担当者が変わったのでプロセスがわかりません」「記録がないのでわかりません」なんて、民間企業だったら左遷の対象です。とてもプロの仕事じゃない。省庁を回らせてもらった時も、「公務員の皆さんは本当に質のいい仕事をしてるんだから、堂々とやろうじゃないの、しっかり記録を残していこうよ」、と前向きなイメージを持って臨みました〉

と宣言した。上川の公文書担当大臣就任からちょうど10年がたつが、この間、公文書に関する問題は、「紛失」とか「置き忘れ」などといったケアレスミスを越えて、「改竄」に至るまでに発展している。

■公文書の改竄は歴史修正への第一歩

つまりこの10年間で公文書管理は進展しているどころか衰退を通り越して犯罪の域にまで到達しているのである。

上川が言うように、公文書は国民共有の財産であって民主主義の根幹である。歴史検証は公文書の積み重ねの読み込みによって第一次的に解明されるが、この一次資料である公文書そのものが改竄されていると、歴史的事実の有が無に、無が有になる。犯罪である以上に公文書の改竄は歴史修正への第一歩なのだ。

■公文書改竄を「問題ない」とすると、全ての歴史観が崩壊する

現在、政府は南京大虐殺および従軍慰安婦について、その存在を認めてはいるが南京については「犠牲者数については議論がある」、従軍慰安婦については「軍が直接関与した狭義の強制性はなかったが、広義の強制性はあった」とする見解を採っている。

なぜこのような見解を採っているのかと言えば、「南京の民間人を虐殺せよ」とか「従軍慰安婦を強制的に連行せよ」という公文書が存在していないからである。

しかし公文書改竄を「問題ない」と認めてしまうと、政府の公式な歴史見解も揺らぐという事になる。本当は南京虐殺の公文書も慰安婦強制連行の公文書もあったかもしれない、という解釈が成り立つ。決裁後の公文書をあとから都合よく変えてしまうと、後世の歴史家は歴史研究の第一の手がかりを失い、資料研究は以後無意味という事になる。文章、記録の検証を中心に行われている史学は崩壊する。特に近現代をあつかう史学は崩壊する。

公文書の改竄に行政の責任が無いとなれば、全ての歴史観は崩壊してしまうのである。それほど公文書のあり方は重いのである。

10年前の上川の公文書に関わる提言は、全く色あせていない。政権は、上川を公文書問題の担当者にもう一度推挙するべきであろう。(文中敬称略)

(文筆家 古谷 経衡)