恋は理屈じゃない、と、よく言う。
たしかに、なぜこの人のことを好きになってしまうのだろうと思うこともあるし、もうやめたいと思っているのに、いつまでもずるずる関係を続けてしまうこともある。こちらに好意を寄せてくれているあの人を好きになれない理由もわからないし、片思いの相手にどうすれば好きになってもらえるのかという正解も存在しない。

 真面目で、一生懸命な人ほど、この“恋の不可解さ”に悩まされる。特に失恋したあとなんかは、「なぜ」「どうして」と“自信喪失”のオンパレードだ。
今回紹介するのは『マイ・ブルーベリー・ナイツ』。
 




出典:https://www.amazon.co.jp/ 
出演: ノラ・ジョーンズ, ジュード・ロウ, デヴィッド・ストラザーン, レイチェル・ワイズ, ナタリー・ポートマン 監督: ウォン・カーウァイ 販売元: 角川エンタテインメント

物語全体は、失恋をした女性が旅を通じて大事なものに気づく、というとてもシンプルなもの。失恋をして立ち直ることができない人には、是非見て欲しい映画だ。
とてもおしゃれな映像で、割とゆっくりと話が進むので男友達は「眠たかった」と評し(笑)、女友達は「おしゃれで大好き」と評していた。好みの分かれる映画なのだろう。ぜひとも一人で見て欲しい。
 
今回の記事では物語に深く触れるのはやめて、とある「セリフ」をピックアップしたいと思う。

彼氏が他の女性とデートをしていたことを知ったエリザベスが、カフェの店長ジェレミーと会話するシーンだ。
 
「(彼と私の)別れの理由が知りたいの」
 「どうかな。僕が思うに、時には知らない方がいい。それに理由なんて見つからないことも」
 「すべてに理由があるわ」
 「パイやケーキと同じ。毎晩(店を)閉める時、チーズケーキとアップル・パイは売り切れ。ピーチ・コブラーとチョコレートムースもほぼ売り切れ。でもブルーベリー・パイは手付かずでのこってしまう」
 「(ブルーベリー・パイの)何がいけないの? 」
 「理由なんて何も。パイのせいじゃなく注文がない。選ばれないだけ」
 この後、ブルーベリー・パイを一切れ食べるエリザベス。美味しい美味しいブルーベリー・パイ。味には、何も問題もない。それでも選ばれないこともあるのだ。
 

 
…ジェレミーは彼女を慰めるために言うので、このセリフはよく名言として扱われるようなのだけれど、わたしは初めにハッとし、その後ちょっと苛立った。
たしかに、世の中には“理由のない”ことが多い。昔、仲のいい辛辣な友人に言われたのだ。
「世の中は、おまえが思ってるよりも単純なんだよ」と。
「なんでいま右に曲がったのかを聞いてみても答えなんてないことが多い。おまえがやってるのは、そんな彼らがなぜ右に行ったのかに頭を悩ます行為だ。おまえには右に曲がった理由があるかもしれないが、あの人にはない。世の中は単純なんだよ」
彼にそう言われ、わたしは頭をがつんと殴られたような衝撃に襲われた。
彼がなぜわたしを傷つけるようなことをするのか、彼はなぜあんなことを言うのか、なぜわたしたちはうまくいかないのか。
そこに理由がないこともあるのだ、と、そのときはじめて心底理解した。いまでも、誰かに「なぜ…? 」と考えを巡らせすぎてしまう時に思い出すようにしている。
(たしかに別れに理由があるとは限らないよね。あなたが悪いんじゃないのよ、エリザベス)。そう思いながら聞いていたのに、そのあとのジェレミーのセリフでわたしはムッとする。
 
「(ブルーベリー・パイの)何がいけないの? 」
「理由なんて何も。パイのせいじゃなく注文がない。選ばれないだけ」
 
わかっている。慰めようとしてくれているのは十分に伝わる。こんなに美味しいパイなのに、売れないこともあるんだよ。パイが悪いんじゃないよ。
…彼の優しさは受け取った上で、言いたい。
 
 
そんなことがあってたまるか! わたしは、美味しくて、かつ、選ばれるパイになりたい!
 
決してたくさんの人に選ばれるのがいいという意味ではない。けれど、やっぱり「誰にも選ばれないパイ」で居たくない。

人生は人との関わり合いの中で織り成すものだし、誰かに喜んでもらえる回数が多ければ多いほど幸せな出来事も増える。誰かを喜ばせることを第一に考えすぎてバランスを崩すようではいけないが、だからといって「わたしはわたしのままで行く、たとえ選ばれなくても」と開き直るのも違う。

(そうよね。理由がなくても選ばれないことはあるよね。わたしに問題があるわけじゃないのよね。エリザベスがブルーベリー・パイを注文したように、わたしもいつか誰かに選ばれるはずだわ)などと思ってはいけない。本当に!

ブルーベリー・パイを選ばない理由はないかもしれないが、アップル・パイやチーズケーキを選びたくなる理由はあるはずなのだ。ブルーベリー・パイよりも魅力的に見える何かが。
もちろんブルーベリー・パイには罪はない。ブルーベリーはブルーベリー・パイにしかなれないから。
 
でも、わたしたちはブルーベリー・パイじゃない。いくらでも自分を成長させ、変えていくことができる。いくらでも、いまからでも、魅力的になっていくことができる。自分のことを好きになることさえできれば。
 

 
実際エリザベスは、今の自分をそのまま受け止めてくれそうな甘いジェレミーの好意に気づきながらも、それを振り切り、旅に出る。1年もの歳月をかけ、旅をして、戻ってきてから再びブルーベリー・パイを食べながらこう呟く。
 
「いつまでも同じわたしでいたくなくて」
「生まれ変わりたかった」と。
 
えらい。エリザベス、えらい。
あなたがブルーベリー・パイのままでもジェレミーはあなたを選んだと思うけれど、それを振り切って、自分の納得いく自分に生まれ変わったなんて。
「ありのーままのー」なんて、自分を肯定する歌が流行ったけれど、ありのままじゃいけないとわたしは思う。偽れ・無理しなさい、という意味ではない。自分の嫌いなところは自分で修正していくしかない。そのままを認めてくれて甘やかしてくれる人のそばにいても、自分のことはいつまでたっても好きになれないまま。
『マイ・ブルーベリー・ナイツ』を観て、わたしはとにかく強く誓った。
 
わたしは選ばれるパイになりたいし、ブルーベリー・パイで居続ける気はない。そのために自分のことを好きでいられる魅力的な人(ひいてはそれがアップル・パイになる)でいたいし、その状態を整えてから、恋に落ちたい。
 
失恋中の人には是非この映画を見て欲しい。そして、エリザベスと同じような気合を持って、自分の傷に立ち向かって欲しい。 

●さえり●
 90年生まれ。書籍・Webでの編集経験を経て、現在フリーライターとして活動中。 人の心の動きを描きだすことと、何気ない日常にストーリーを生み出すことが得意。
好きなものは、雨とやわらかい言葉とあたたかな紅茶。 Twitter:@N908Sa (さえりさん) と @saeligood(さえりぐ)