U-20ワールドカップのメンバー入りを果たした久保。(C)Getty Images

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 彼を知り、己を知れば、百戦あやうからず――。
 
 敵のことと自分のことを正確に知ることができれば、百戦やっても負けませんよ、という『孫子』の有名な一節がある。サッカーにも通じる考え方だが、言うは易く行うは難し。敵のことを正確に洞察するのは当然ながら容易ではないし、味方のことを知るのも意外に難しい。特に自分自身のことを自分で理解するのは難しいものである。

 
 これはユース年代を取材していてしばしば出くわすことだ。「俺の武器はドリブルです」と言ってくる選手について、指導者は「ドリブルは武器になるほどではないですが、スタミナがあるのでもっと運動量を生かせるように」なんて考えていたりするケースである。
 
 やりたいプレー、特長だと思っている部分が、実は大した特長ではなく、逆に本人が武器だと思っていないところが将来的に武器になると思われている。よくある話である。
 
 一方、もうすぐ16歳になる久保建英についてU-20日本代表の内山篤監督は逆のことを指摘しているのが何とも印象的だ。
 
「自分のできること、できないことが整理されていて、本当に自分のことをよく分かっている選手。だから無理なプレーがないし、自然にやれる」
 
 自分の出せるプレー、出せないプレーを理解しているので、判断を間違えない。だから効果的なプレーができるというわけだ。
 
 そうした個性は能力的に久保が見劣りする部分も出てくるU-20年代の代表に引き上げられたことで、かえって際立つようになってきた。
 
「フィジカル(コンタクト)で負けることがあるのは分かっているので」とサラリと言っていたこともあるが、15歳の久保が20歳の外国人選手と競り合うのだから、なかなか難しい面はある。
 
 ただ、それでもここまでなら競り合える、ここから先は厳しいというラインをしっかり引けているので、U-20代表の試合を観ていて「久保がフィジカルで潰されている」というストレスを感じることはない。
 
 それはU-20ドイツ代表を相手にした時も同じだった。どんどんボールを離してコンタクトの機会を最小限にしながら、常に相手の様子を観察し、場合によっては選択的なドリブルで出し抜いていく。「味方を使って自分を生かすことが分かっている」(内山監督)と評される判断に関する無駄のなさは、その前段階である自分と敵を正確に観るというベースがあるからこそだろう。
 もっとも、コンタクトプレー自体についても長足の進歩が感じられる。ドイツ遠征でも体勢の良い状態であえて当たりを受けて跳ね返すような場面もあった。
 
 身長がグッと伸びてきて、同時に体幹にも強さが出てきた。昨年末にU-19日本代表へ呼ばれた時は、少し早いのではないかとも思ったが、こうしたフィジカル面での伸びしろと合わせて考えると、ちょうど良いタイミングだったかもしれない。周りのレベルが上がることで、久保自身が生かされるようになった部分もある。
 
 ドイツ遠征では出場した全試合で得点かアシストを記録しているのだが、これも「観る」力あってのもの。味方を生かしながら、自分も生きる。言葉にしてしまえばシンプルだが、なかなか簡単にできるものでもない。
 
 シュート精度の絶対的な高さ、ゴール前での沈着さといったストライカーとしての武器に加えて、彼我に対する観察力に基づくフットボーラーとしての判断力。
 
 このふたつの要素を兼ね備えてる点からこそ、異例の超飛び級にもかかわらず、年代を上げることで輝きを消されるどころか、より輝くようにすらなってきている。
 
文:川端暁彦(フリーライター)