チャンピオンシップ、クラブW杯。ここに来て鹿島のサッカーが一段と輝きを増している。中でも、クラブW杯初戦対オークランド戦、第2戦のマメロディ・サンダウンズ戦、それぞれの後半の出来ばえは秀逸だった。日本サッカー界のこれまでの流れを振り返れば、代表チームを含めて存在しなかった、世俗的ではない一見に値するサッカーだと思う。

 先日、マロメディ・サンダウンズ戦を中継した実況アナは、鹿島の長所について終始、以下の言葉を盲目的に繰り返した。堅守速攻。粘り。勝負強さ。伝統の力。ありきたり。ステレオタイプの言い回しと言うべきだろう。サッカーの中身に目を凝らせば、もっと別の要素が、こだわっているポイントとして鮮明に浮かび上がる。

 確かに堅守かもしれない。だが、堅守の意味は広い。他の競技でも当たり前のように使用される具体性を欠く表現だ。サッカーに限っても、堅い守りの意味はさまざま。守り、守備の定義さえも一言では説明不能だ。鹿島の特長を語るなら、堅守と大雑把に言う前に、堅守に見える理由について考察することが先決だ。

 サッカーは、攻守が前触れなく、一瞬にして入れ代わるスポーツ。ボールがピッチから飛び出さない限り、あるいは反則を犯さない限り、プレイが途切れることはない。

 攻めながら守る。用心深く攻める。奪われる場所とタイミングにこだわりながら、マイボールの時間を使う必要がある。可能な限りリスクの少ない場所でボールを奪われる。それは、ゴールを奪うことと同じくらい重要なテーマになる。

 どこで奪われるのが得策かと言えばサイドだ。真ん中よりサイドの方が、自軍ゴールまでの距離は離れている。高い位置であればあるほどリスクは減る。サイド攻撃は、カウンターを食いにくい安全なルートなのだ。

 鹿島はその点に留意し、サイドを使いながら攻撃する。サイド攻撃はなぜ重要なのか。なぜピッチは広く使うべきなのか。正解は、鹿島のサッカーに凝縮されている。

 チャンピオンシップ準決勝対川崎戦から、鹿島は5試合を戦い計7ゴールを挙げているが、そのうち浦和戦の2戦目のPKを除く6ゴールすべてが、サイド攻撃から崩して決めたゴールだ。攻撃しながら守り、そしてゴールを決めるという完璧なパターンを連続して披露している。意図的に、だ。

 サイド攻撃をより効果的にしているのが展開力だ。サイドチェンジも鹿島の大きな武器になっている。小笠原満男柴崎岳が左右へ振る正確なキックである。

 右が詰まれば左へと、左右にボールを丹念に散らし、相手のセンターバックの間隔を広げておいてから中を突く。Jリーグの他のチームにはない魅力であり、日本代表にもない魅力だ。

 サイド攻撃&展開サッカーを可能にしているのが中盤フラット型(実際には、真ん中の2人が少し凹んでいるが)4−4−2と、それに忠実なポジションワークだ。特に両サイドハーフが、流動的サッカーよろしく、変に真ん中に入り込まないところに特徴がある。サイドには、サイドバックと、サイドハーフの各2枚が、ほぼ常時、構えている。数的不利になりにくい状況が出来上がっているうえに、その1人がかなり高い位置に張っているので、サイドチェンジも高い位置で決まる。そこからのセンタリングを含めたサイド攻撃は、まさにチャンスそのもの。

 カウンターを食うリスクも少ない。鹿島は、サッカーゲームの本質に完璧に対応した、評価せずにはいられないサッカーを実践している。 

 最近こそ浦和に代表される守備的サッカーが台頭し始めている日本サッカーだが、一般的なファンが求めているのはパスワークに優れたサッカーだ。バックラインの背後に安易に蹴り込むサッカーではない。育成年代を眺めても、指導者がそれを望んでいることがよく分かるサッカーをしている。

 だが、鹿島のようなサッカーを見かけることは滅多にない。堅守速攻。粘り。勝負強さ。伝統の力とは、冒頭で述べた実況アナの鹿島評だが、それは地味という言葉に置き換えられる。魅力的とは言えないサッカーだと捉える人は決して少なくない。そうしたタイプが好むのは川崎フロンターレの方になる。サイドか真ん中かと言えば真ん中。サイドチェンジが多いか少ないかと言えば、少ないサッカーだ。短めのパスで真ん中を突くサッカー。極論すれば、このタイプに収まる。

 パスサッカーを好むはずなのに、展開力は軽視される日本。攻めながら守るという概念が浸透していない日本。同様な性癖を抱えるハリルジャパンが苦戦する中で、鹿島のサッカーを見れば、救われた気になる。サッカーは正解がないスポーツだと言われるが、それは正解に限りなく近いサッカーに見える。さらに言えば、こちらの方が美しい。展開美に富んでいる。石井監督はなかなかやる。願わくば、自らのサッカーを自信満々に、より大きな声で世間に向けてアピールして欲しいものである。