浪速乃闘拳こと、元ボクシング世界チャンピオンの亀田興毅さんが現役を引退しました。日本人初となる世界三階級制覇、WBA世界バンタム級王座を8度防衛という日本ボクシング史でもトップクラスの戦績を残しながら、日本ではボクシングの試合もできない「つまはじき者」となっての幕引きでした。

嫌われるというのは怖いことだと、改めて感じます。確かにパフォーマンスとしての不遜な態度や不穏当な発言はありましたし、ダーティなファイトもあったかもしれない。しかし、それは亀田さんに限らずままあることです。ただ、目立ちすぎ、嫌われすぎたがゆえに、何をやっても非難の対象となってしまった。試合中継が高視聴率を叩き出したことさえも、おかしなものを世間に見せたことでボクシングの価値を貶めたかのごとき言われようでした。

では、稀代の「嫌われ者」はボクシング界に何の貢献もしなかったのか。いや、決してそんなことはない。逆説的にボクシング界の意識を高め、成長を促した人物こそが、亀田興毅さんだったのではないでしょうか。

現在のボクシング界ではメジャー団体でも4つあり、そこに17階級それぞれの王者がおり、さらに「正規王者」「休養王者」「暫定王者」「スーパー王者」など何種類もの王者いることで、「世界王者」と名乗れる人物が80人程もいる状態。「王者」というナンバーワンを示す称号は、決してオンリーワンではない。価値の低い「王座」もある。そのことは亀田さんを非難する荒探しの過程で世間にも広く知られることになりました。

また、タイ人選手とばかり試合をして日本人と戦わないというようなマッチメークへの非難は、転じて「弱い相手を探して立派な戦績を作る」ことは可能なのだという気付きを世間にもたらしました。「30戦無敗」などの数字よりも、どこの誰と戦ったかが重要である。強い相手と戦い、勝ち負けしてこそボクサーとしての価値が高まるのだということは、亀田さんを非難する荒探しの過程において世間でも共有されたのではないかと思います。

亀田ブームを経て、「今度の対戦相手は本当に強いのか?」「名ばかりの強者ではないのか?」「弱い相手を選んで防衛回数を増やしているのではないか?」という厳しい視線が一般世間においても持たれるようになった。その視線にさらされることで、もっとお客を集め、もっと自分の価値を高めていくには、誰もが認める強い相手とナンバーワンを懸けた戦いをしなくてはならないのだとボクシング界も意識せざるを得なくなった。

「最強」を争う格闘技において当たり前であるはずの意識を、当たり前のこととして徹底させるように仕向けたのは、亀田さんだったように思うのです。「亀田を認めない」というボクシング界の気持ちが、彼ら自身を高めることにつながっていく。稀代の悪役は、嫌われることでボクシングに貢献した。寂しすぎる引退劇も、そう考えることができたなら、少し救われるような気がします。

(文=フモフモ編集長 http://blog.livedoor.jp/vitaminw/)