TOKYO MXで最終回を迎えた「ユリ熊嵐」。紅羽と銀子の選択はいったい?

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アニメ「ユリ熊嵐」、最終回。
椿輝紅羽と百合城銀子は捕らえられ、銀子にはクマビームの射出口が向けられる。
「待って! 『悪』は私のはずでしょ? なら、私を『排除』すればいい!」
「これはあなたへの罰。あなたが『友だち』を殺すのよ」
「その娘は私の『友だち』じゃない! 私は椿輝紅羽を食べに来た。それだけだ!」
紅羽を庇おうとする銀子。紅羽は一歩ずつ銀子に近づいていく。
「もういいの、銀子。あなたは最初から、私の『友だち』だった。『壁』を越えて、『透明な嵐』の中、私を『見つけて』くれた。私に『スキ』を与えてくれた!」
紅羽は思い出す。過去、自分が犯した罪のことを。
「それではユリ裁判を始めます。被告人、椿輝紅羽。あなたは自らの罪を認めますか?」
「認めます」
「それで『透明な嵐』の中、あなたが望むものは見つかりましたか?」
「はい。ある女の子が……私に教えてくれました」
頭に浮かぶのは、死んでしまった泉乃純花の姿。紅羽に「スキ」の強さを教えてくれたのは純花だった。
「──お願いがあります、クマリア様!」

※ここから先は完全にネタバレなので、未視聴の方は要注意※
→1話〜11話の振り返りはこちら

紅羽と銀子が選んだ道は、かつて母・澪愛が絵本「月の娘と森の娘」で描いたとおりのものだった。2人は手を取り合い、キスを交わしながら、「断絶」を越えて歩いていく……。
最終回後に抱いた疑問に自分なりに答えてみた。

■結局、熊とヒトとはわかりあえないの?
紅羽はクマリア様にお願いをして、ヒトから熊になった。銀子やるると同じように、熊耳と熊の手足を持つ女の子になったのだ。これは穿った見方をすると「同じ姿にならなければ『断絶』を越えることができない」とも見えてしまう。
でも、実はあのラストは「同じになれた」終わりではない。そもそも、熊だからといって熊とわかりあえるわけではないし、ヒトだからといってヒトとわかりあえるわけでもないのは、本編で散々描かれている。
小説版『ユリ熊嵐』下巻には、このような文章がある。
〈どんなに混ざり合っても、相手が自分とは違う生き物だとわかると、涙が出そうになる。しかし、だからこそ、自分を引き裂いてでも、砕いてでも大事にしようと思えるのだとわかる〉
紅羽と銀子はどんな姿になったところで、結局のところ違う生き物なのだ。だから「ユリ熊嵐」は「熊とヒトがわかりあえた」物語ではなく、あくまでも「銀子と紅羽がもう一度友だちになれた(し、最初から友だちだった)」物語でしかない。

■じゃあ「ユリ熊嵐」はバッドエンドなの?
紅羽と銀子をはじめとして、たくさんの人がいなくなった学園。壇上に立つのは大木蝶子。どこかで聞いたことのある演説を繰り返し、排除するべき「悪」またを探そうとしている。「友だちの扉」に変わったかのように見えた断絶の壁もいまなお世界を隔てている。世界も、透明な女の子たちも、何も変わっていない……ように見える。
でも、これまでと大きく変わっていることがある。それは透明な女の子のひとり、亜依撃子(あいうちこ)の存在だ。彼女は『ユリ熊嵐 公式スターティングガイド』にも登場していない、まさにモブオブモブ、のはずだった。
撃子はメカこのみを操縦していたが、紅羽たちの姿を見るうちに、撃てなくなってしまう。そして最後、蝶子の演説を聞くのをやめて、捨てられたメカこのみを探しに行き、抱きしめる。
それは新しい悲劇の始まりにも、希望にも見える。友だちの扉は開こうと思えば開くことができ、透明な女の子は透明でなくなることができる。熊にならなくても、ヒトにならなくても、友だちになることができるのかもしれない。
「熊とヒトの世界」を革命することはできなくても、亜依撃子の世界を革命することはできた。撃子の名前は「相撃ち子」だと思っていたが、ネットの感想で「愛撃ち子」であると指摘されているのを見た。「ユリ熊嵐」では「LOVE BULLET」(愛の弾丸)という表現が多く使われている。つまり、「ユリ熊嵐」の主人公は亜依撃子ちゃんだったんだよ!!(な、なんだってー)
小説版はこう結ばれている。
〈自分たちはきっと、ほんの一例にすぎない。たくさんの『友だち』の『スキ』によって、世界は何度も目を覚まし、塗り替えられていく〉

■どうしてクマリア様が純花の姿をしていたの?
降臨してきたクマリア様は、純花の姿をしていた。ただしこれは、純花=クマリア様ということではなく、紅羽の目にはそう見えた、と考えるのが一番しっくり来る。紅羽にとって純花はスキを与え、承認してくれる、「クマリア様」だった。
「輪るピングドラム」BD-BOXのブックレットに再録されたインタビューで、幾原監督はこう語っている。
〈結局、死者と生者を分ける境として、死んでしまったことにどんな意味があるのかって考えると、死んだことの意味っていうのは残された人が考えるしかないんですよ。死んだ人はもう語らないから。残された人たちは、死んだ人の生きた意味を考えて、それを通じて自分が生きていることの奇跡を実感するんです〉
12話ではじめて、紅羽は純花の死を本当の意味で受け止め、整理したのかもしれない。その瞬間、純花は紅羽の中で「死に」、同時に「生き続ける」存在になった。

「ユリ熊嵐」のアニメの放送は終わった。でも、まだ漫画版『ユリ熊嵐』は連載中。漫画版の彼女たちはどのような選択をするのだろう? 嵐は続いていく。

●小説版『ユリ熊嵐』下巻 単行本版/Kindle版
7話〜12話の公式ノベライズ。
●漫画版『ユリ熊嵐』1巻 単行本版/Kindle版
アニメ&小説とはまた違った設定で展開する漫画版。
●『ユリ熊嵐 公式スターティングガイド』
完走した今読み返すと発見が多い一冊。

(青柳美帆子)