ドイツW杯での初戦のオーストラリア戦。日本が「1−0」とリードしていた展開。後半34分に柳沢から小野へという交代が行われた。その理由は、ボランチであったヒデが守備を放り出して攻撃に出て行ってしまうので、その穴を小野に埋めさせるためだった。しかし、中澤などがそれを攻撃的に戦えという意図だと勘違いし、小野まで前に上がらせてしまった。そして、その後に日本は立て続けに3失点して負けた。直接失点には絡んでいないが、ヒデが3失点の引き金を引いてしまったと言っても過言ではない。ボランチまでもが高い位置に上がり、間延びしてバイタルエリアをスカスカにしてまったら守れるはずがない。後半34分という疲労度が高くなっている時間帯、相手がケネディやケーヒルを入れてきていた事もあって、DFがラインを高く保てるはずがない。日本に攻守の切り替えを速くできる余力が残っていた訳もない。

その後、この試合を評してオシムが何と言ったのか? 「引き分けもありだ、ということを選手は理解していなかったのではないか」。やはり、この失敗を再び繰り返してはならないと思う。そして、こういう過去の経緯や事実を把握していれば、なぜヒデが攻撃的に戦う事を正当化しようとするのか察する事ができると思う。なぜヒデが日本はそうあるべきだと主張するのか察する事ができると思う。つまり、自分は間違っていなかった、という事を言いたいがためだ。本当は私だって過去の事をほじくり返してネチネチとは言いたくない。しかし、いつまで経っても日本は守備力の重要さに正面から向かい合おうとしない。日本に守備の文化が根付かない。今回のコンフェデでのブラジル戦の1戦をもって日本のサッカーをミスリードしようとする。

何度も言うようだが、攻撃的に戦いたければ個の守備力がもっと必要だ。もしイタリアがカテナチオから脱却したいのであれば、もっと少ない人数でも守れるような守備陣の個の守備力が必要だ。日本戦で見せたような守備陣の個の守備力であれば、イタリアはカテナチオから脱却できないだろう。もしメキシコが世界の8強へと上がりたいのであれば、ブラジルやイタリアを相手にしても1失点以下にできる守備力が必要だ。一時期の停滞から脱出したように見えるドイツも、やはりDF陣の個の守備力不足による守備の不安定さによって、やはりW杯やEUROという大会で優勝できないでいる。スペインがなぜここまで安定的に強くなったのか? それは過去のスペインと比べて圧倒的に守備力が上がったからだ。

守備力が高ければ省エネサッカーができる。W杯やEUROという大会で好成績を残すためには省エネサッカーで負けない戦い方ができるようになる必要がある。「90分間、強い意志を持ち、頭脳を明晰に保ち、そして走りぬかなければならない」。ヒデはそう言っているが、そんな事は短期間に何試合も何試合も続けられないし、そういう事をどんな条件や環境でもやり続けられるようなチームはどこにも存在していない。ロンドン五輪の関塚ジャパンがそうであったように、運動量過多のサッカーではあそこまでが限界だ。今回のコンフェデであっても、W杯アジア最終予選での疲労がブラジル戦に出てしまっていたし、イタリア戦での疲労がメキシコ戦に出てしまっていた。勝てないサッカーから勝てるサッカーへ。世界大会のタイトルを取れないサッカーから世界大会のタイトルを取れるサッカーへ。そこに正面から向き合う勇気を日本人には持って欲しい。