日本語と中国語(316)

(79)「雪之丞変化」を知ってますか

 またも突然ですが、「雪之丞変化」って聞いたことありますか?

 「ある、ある、美空ひばりの」ですか。ありましたね、確か私が高校生だった頃。ふるーい昔の映画ですね。その後、テレビドラマにもなったかな、2、3回、見てないけれど。

 実はもっと古い映画があるんです。なんでこんな話になったかというと、本題の長谷川時雨のことが載っている『広辞苑』の頁を開いていたら、同じ「長谷川」の項目の下に映画俳優の長谷川一夫さんの説明があって、そこに「雪之丞変化」に出演とあるんです。長谷川一夫、知りませんか。一世を風靡した時代劇スターです。雪之丞を演じたのは、まだ林長二郎を名乗っていた頃かな。なんでそんなことまで知っているかというと、祖母が大ファンで、よく話を聞かせてくれたからです。

 ところで、この「雪之丞変化」、同姓で美男の長谷川一夫や美女(?)の美空ひばりが演じたということ以外に、もう少し本題とかかわりがあるんです。

 実は『雪之丞変化』の原作者、原作者と言っていいのかなあ、この作品、外国の小説やら歌舞伎の『白波五人男』やらなんやかやを取り混ぜた翻案物といったところなんですが、とにかくまあ作者ということになっている三上於莵吉は、長谷川時雨と暮らしていたことがあるんです。

(80)三上於莵吉と長谷川時雨

 「暮らしていた」は語弊があるかな?『広辞苑』によれば、「三上於莵吉の妻」ということになる。

 記憶力のいい読者は覚えておられるに違いない。なんてくすぐるのは悪い趣味ですね。先に私は、『広辞苑』第六版の長谷川時雨の記述について、「三上於莵吉の妻」にちょっとひっかかると書いた。

  (時雨は)十九歳になった明治三十年の暮に、半ば政略結婚のように鉄問屋に嫁すも意に満てず、十年後に協議離婚す。(中略)  (大正期に入り)後の大衆文芸作家三上於莵吉(みかみおときち)と相識り事実上夫婦となるも、共に一家の戸主なりしため、終生入籍せずして終る。

 前回も引いた長谷川仁氏の「あとがき」の一節である。「半ば政略結婚のように」であったにしても一度は正式に結婚していたこと、三上とは「事実上夫婦」であったにせよ未入籍であったこと、この二点で、何の断りもなしに「三上於莵吉の妻」とのみ記す『広辞苑』の記述にひっかかりを覚えるのである。

(81)三上のサイレン社と魯迅の『支那小説史略』

 『雪之丞変化』は1934−35年の間に『朝日新聞』に連載され、完結を待って衣笠貞之助監督の手で映画化されている。脚本が伊藤大輔,主演が先の林長二郎という豪華メンバーであった。

 大衆小説家としての三上は、この頃が絶頂期であったのであろう。同じ35年にサイレン社という出版社を起こし、長谷川時雨の『近代美人伝』とともに、自らの作品をも何点か刊行している。『雪之丞変化』を含む『三上於莵吉全集』全10巻が平凡社から刊行されたのも、この時期である。

 サイレン社で思いだすのは、私の恩師増田渉先生の翻訳になる魯迅『支那小説史略』の初版が、同じく1935年にサイレン社から出ていることである。三上のサイレン社なのか、同名の別の出版社なのか、確認したいが、ものぐさの某君が長く借り出したまま返却を怠っていて、原本が手元にない。○○君、もしこの文章が貴君の目に触れたならば、至急返却されたい。(執筆者:上野惠司 編集担当:水野陽子)