そして、2009年のプレシーズンにKさんと共にヴェルダー・ブレーメンのトップチームのキャンプに帯同していた時のことでした。最初のキャンプ地が彼の父親の故郷であるオーストリアのグラーツということもあって、親善試合のシュトゥルム・グラーツ戦でハルニク選手は多くの取材陣に囲まれていたものの、攻撃陣の中ではしっくりと行かず、明らかに煮詰まっている様子が伝わってきたのでした。また、クラブはジエゴ選手の抜けた穴を埋めるべく、ドイツ代表のマルコ・マリン選手を獲得し、エジル選手とハント選手を攻撃の軸に据える新たな試みを始めた時期でもあり、テクニックでは少し引けを取るハルニク選手のフォワードとしてのポジションが脅かされつつあったのです。

ブレーメンの首脳陣も一計を案じて、手薄となっている右サイドバックのポジションに挑戦する旨ハルニク選手に伝えており、紅白戦では慣れないポジションで悪戦苦闘する同選手の姿がありました。そしてキャンプ中、ハルニク選手は怪我がなくてもケアの為にKさんの治療用の部屋によく顔を出していたのですが、そんな時でも悩んでいる様子がありありと伝わってくるのでした。

見かねた私は、迷わずに思い切ってプレーをすること、そして特に前線に駆け上がった時は誰もそのスピードに付いて行けないのだから、自信を持ってプレーすることを勧めたのですが、「そうだね、やってみるよ。ありがとう。」と作り笑顔で力ない返事をするのが精一杯の様子でした。案の定、その後も開眼には程遠い状態が続いたのですが、練習では常に全力で黙々とメニューをこなし、練習後も体のケアを入念にする本当に真面目な姿を知っているだけに本当に気の毒でした。しかし、目の前の壁は自分で乗り越えるしかないのがプロの世界。この時ハルニク選手は、まさに試練の時代を迎えていたのだと思います。

そしてシーズンが始まる直前のチームのキックオフ・パーティーでは、GMのアロフス氏と何やら深刻な顔で話し合うハルニク選手の姿があったのですが、それから間もなくブンデスリーガ2部のデュッセルドルフへの移籍が発表されたのでした。ポジションは右サイドバックではなく、勿論フォワードとしての移籍ですが、そこではチームの得点王になる活躍を見せ、1年後の2010年には、現在のシュツットガルトに移籍します。2部リーグから1部リーグのクラブへの移籍ですから、順調に行っているのだろうと喜んでいましたが、今年に入ってシュツットガルトとの契約を2016年まで延長。その直後から前述のような大活躍を見せ、そのプレースタイルやインタビューに応じる仕草にはスターの風格が漂い始めています。悩み多き日々の同選手を知っているだけに、喜ばしい限りです。

ところで、チームメイトの岡崎選手とはどのような付き合いをしているのか、今度会った時には是非聞いてみたいものですが、きっとハルニク選手のことですから良好な関係を築いているに違いないでしょう。いずれにしましても、将来を嘱望される若手が伸び悩んでいつの間にか消えてしまう本場の厳しい舞台に於いて、ハルニク選手が純朴かつひたむきな性格で練習に取り組み、苦境を乗り越えことは想像に難くありません。

今後もシュツットガルトの岡崎選手と酒井選手と共に、愛すべきナイスガイのハルニク選手の活躍を心より祈り、期待したいと存じます。