【カオス通信】″初音ミク″騒動と″バーチャルアイドル″の履歴書
■伊達杏子(DK-96)(DK-97)(DK-2001)
デビュー:1996年(DK-96)
設定年齢:17歳(DK-96)
伊達杏子(DK-96)は海外進出も考えられていたので、英語が話せるという設定を持っていました。そのため、出身地も米軍横田基地のある東京都福生市となってます。話し方は「伊達杏子トークマニュアル・ルール」なる文書で、基本形が示されました。これには「チョベリバ(超ベリーバッド)」禁止や、困った時の決め台詞は「どうせ私はCGだから」という決まりごとが書かれていました。マニュアル制作には「SEVENTEEN」や「Cawaii」の投稿欄などが参考資料になっていたようです。
伊達杏子(DK-96)はラジオのパーソナリティのほか、『LOVE COMMUNICATION』という曲でCDデビューも果たします。その後、1997年に声が変わり、伊達杏子(DK-97)と微妙に改名。1999年には「DiKi」の名で韓国デビューもしますが、全体的には迷走を続けてなんとなくフェードアウトしていったという印象しかありません。
ちなみに彼女のプロデュースを担当していた堀義貴氏は、現在ホリプロの代表取締役社長を務めています(ホリプロの創設者・堀威夫氏の次男)。堀氏はホリプロで働く前はニッポン放送でラジオの仕事をしていました。ニッポン放送時代にはラジオドラマ『沈黙の艦隊(漫画原作)』の制作も手掛けています。同ドラマ完成直後にイラクで湾岸戦争が勃発しても、それに臆することなく放送を敢行し、ダントツの聴取率No.1を獲得。放送後に脅迫状や脅迫電話をもらいまくったという武勇伝も残しています。このようにチャレンジ精神旺盛な人物のプロデュースだったからこそ、伊達杏子(DK-96)は、曲がりなりにも芸能界デビューすることができたのでしょう