民泊への「苦情924件」で新宿区がようやく動いた…「見える経済効果」に浮かれた民泊行政の"見えない代償"

■野放しの民泊についに待ったをかける
全国有数の民泊集積地となっている東京都新宿区が、民泊規制に大きく舵を切る方針を示しました。新宿区は住宅宿泊事業について、住居系用途地域では新設を原則禁止し、商業系用途地域でも春・夏・冬休みの年間120日までに制限する方針を示し、さらに施行後2年間の経過措置を設けたうえで、既存施設にも適用するとしています。
アベノミクスの成果の一つとも言われるインバウンド需要が拡大する中、民泊は急速に普及しました。しかし、その施設の隣には、観光客ではない地域の人々が暮らしています。夜間の騒音やごみ、共用部分の利用、深夜の出入りなど、宿泊客にとっては一時的な行動でも、住民にとっては日々の生活環境にかかわる問題です。
新宿区によると、民泊のごみや騒音などに関する苦情件数は2022年度の60件から2023年度には299件、2024年度には561件、2025年度には924件と急増しました。
市場が拡大している時には、それを後押しすることのみ優先され、その副作用について十分に検討されないことがあります。
しかし、成長によって生じたリスクは、市場が拡大している間に消えてなくなるわけではありません。むしろ、問題が積み重なれば、やがて規制強化や行政対応という形で、地域社会に「後から来る請求書」として現れることがあります。
■問われるのは「どこまで予測できたか」
新宿区と同じような動きは全国で起きています。
大阪市でも、民泊施設の増加に伴って周辺住民とのトラブルや苦情が増加し、市は「大阪市迷惑民泊根絶チーム」を設置しました。その後、市内の特区民泊施設を対象に営業実態調査を進め、2026年5月には国家戦略特区法に基づく特区民泊の新規申請受付を終了しています。また、京都市でも、住宅地と工業用地での民泊の新規開業を事実上禁止とする方向で議論が進んでいます。
大阪市の特区民泊認定施設が急速に増えた後、行政が実態調査や規制強化に動くという経過からは、成長のスピードに対して行政の対応が後追いになっていなかったか、という問題が浮かびます。
京都市でも、民泊をめぐる住民からの通報は増えています。京都市の資料によると、民泊通報・相談窓口への「通報」は2024年度の244件から、2025年度は4~12月までの9カ月間ですでに264件に達しました。騒音やごみに関する通報は増加傾向にあるとしています。
こうした対応の強度の差は、単純な自治体ごとの姿勢の違いというより、各地域における民泊施設の集積度や、問題が顕在化してからの経過時間の違いを反映していると考えられます。
ここで問われるべきなのは、「民泊を認めるべきだったのか」という単純な二択ではありません。むしろ、民泊による経済効果を取り込みながら、地域住民への影響をどこまで事前に予測し、制度や規制に織り込めたのかという点です。
■自宅の敷地内に侵入されるという事例も
民泊問題を考える上で重要なのが、「リスクの非対称性」という視点です。
民泊によって経済効果が生まれる一方で、その周辺で暮らす住民が同じように利益を受けるとは限りません。観光客にとっては便利な施設でも、近隣住民にとっては、深夜の騒音やごみ、見慣れない人の出入りなどが生活上の負担になっている可能性があります。
実際に民泊利用者によるゴミが放置され、結局近所の住民が悪臭などの被害を受けたり、スーツケースを夜中にガラガラと騒音を立て、そのスーツケースをそのまま放置されてしまう事例があります。
週末夜間から深夜にかけて音楽を大音量で流しながら、複数人で騒ぐ例もよく見られます。仲間を呼んでパーティーをしたり、庭やマンションのエントランス、ベランダなど、共用部分で飲酒や喫煙(ポイ捨て)なども、静かな住宅地では目立ちます。
その他にも、宿泊者が間違えて自宅の敷地内に入ってきたり、インターホンを押される、といった被害もあります。近隣住民の中には自費で防音対策をする方もいれば、民泊事業者に連絡しても「営業妨害」と脅迫されたというケースもありました。

■行政は「儲け」だけを考えてはいけない
住民からの相談や苦情への対応、施設の監視などには行政コストも発生します。政策によって生まれる利益と、その副作用による負担を受ける主体が一致していないことがあり得る訳です。
この「非対称性」の存在は、行政においては特に慎重な制度設計が求められます。
民間事業者であれば、自らの事業にどれだけの需要があるかを考えることが中心になります。しかし行政には、それだけではなく、その事業が地域全体にどのような影響を及ぼすのかを見る役割があります。
・誰が利益を得るのか
・誰が負担するのか
・問題が発生した場合、誰が対応するのか
・そのコストを誰が負担するのか
こうした点を政策の初期段階から検討することが、行政におけるリスク管理の基本だと考えます。
住宅宿泊事業法では、住宅宿泊事業は許可制ではなく届出制という制度設計になっています。自治体は地域の実情に応じて、条例で営業期間を制限することも認められています。つまり、国が制度の基本的な枠組みをつくり、自治体が地域の実情に応じて規制するという構造だと考えられます。
■なぜ事前に被害を予測できなかったのか
だからこそ問われるのは、国と自治体の双方が、民泊の急速な拡大によって生じる地域住民への影響をどこまで事前に想定できていたのか、ということです。

では、なぜリスクが十分に織り込まれなかったのでしょう。その背景の一つとして考えられるのが、成長を優先する局面で起こりやすい「楽観性バイアス」です。将来について自分たちにとって都合のよい結果を想定し、好ましくない出来事が起こる可能性を実際より低く見積もる心理傾向です。
強い成長期待が存在する時、経済効果や市場拡大、外国人旅行者数、といった「プラスの数字」に目が向きやすく、その裏側で発生する騒音など「マイナスの数字」が後回しになる、あるいは気付いても口にしづらい同調圧力がある可能性もあります。
もっとも、条例改正には住民説明や議会審議といった手続きが必要で、生活環境への影響は経済効果のように数値化しにくいという制度的な事情もありますが、それだけでは、規制の初期段階から住民への影響を十分に織り込めなかった理由を説明しきれません。しかし、見えにくいからといって、存在しないわけではありません。
■街の強みを活かせばできたはずの対策
危機管理で重要なのは、トラブルが「起きるかどうか」を予言することではなく、「起きた場合にどうなるのか」をあらかじめ想定しておくことです。
どんなトラブルが起きそうか、起きにくくする対策、起きた際の対応体制、意識啓蒙教育などの手を、どこまで現実的に立てられるかが重要です。
新宿区は、歌舞伎町など巨大繁華街を抱え、地域外から来る客の行動やトラブルの実態への認知は豊富にあるように思います。在留外国人が全国有数の規模を占め、訪日外国人も数多く訪れるなど、外国人の居住・観光が集中する国際都市・新宿は、外国人による事業活動も活発です。
この知見を生かして、トラブルや摩擦を予期した対策や段階的に規制緩和をする。苦情などの定点観測で実態把握をして、課題が見つかれば機動的に対応するための基準を設定しておくなど、取組み前にできることはあったのではないでしょうか。

■行政への「請求書」は必ず届く
しかし、大阪市や京都市のように、実際には問題が顕在化してから行政が対応に動くケースが多いのが実情です。
もちろん、問題が発生した後に規制を見直すこと自体は、行政にとって必要な対応です。大阪市や京都市の対応も、実態把握を踏まえた合理的な判断だと言えます。ただし、成長を促す政策では、成長そのものだけでなく、その先に発生する社会的・行政的なコストまで、政策の初期段階から視野に入れておく必要があります。
苦情データの定点観測や、規制見直しの基準をあらかじめ明文化しておくといった仕組みは、その一助となるはずです。
「後から来る請求書」を見ないまま進んでも、いずれ請求書は届きます。投資コストの最適化のためには、結果が出てから修正するより、予見できる手はあらかじめ打っておき、後からの調整のアローワンス(許容範囲)も織り込んでおくほうが有効なはずです。
新宿区の方針転換は、民泊の是非だけでなく、成長政策において「後から来る請求書」を誰が、いつ、どのように見積もるのかを考える機会となっています。
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増沢 隆太(ますざわ・りゅうた)
東北大学特任教授/危機管理コミュニケーション専門家
東北大学特任教授、人事コンサルタント、産業カウンセラー。コミュニケーションの専門家として企業研修や大学講義を行う中、危機管理コミュニケーションの一環で解説した「謝罪」が注目され、「謝罪のプロ」としてNHK・ドキュメント20min.他、数々のメディアから取材を受ける。コミュニケーションとキャリアデザインのWメジャーが専門。ハラスメント対策、就活、再就職支援など、あらゆる人事課題で、上場企業、巨大官庁から個店サービス業まで担当。理系学生キャリア指導の第一人者として、理系マイナビ他Webコンテンツも多数執筆する。著書に『謝罪の作法』(ディスカヴァー携書)、『戦略思考で鍛える「コミュ力」』(祥伝社新書)など。
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(東北大学特任教授/危機管理コミュニケーション専門家 増沢 隆太)
