武豊騎手「凱旋門賞を有名にした一人」と自称するほど恋い焦がれる世界一決定戦 亡き松本好雄オーナーの思い背負い40年目の挑戦
節目のデビュー40年目に、ドラマが待っていた。「ほんと、凱旋門賞に行けるなんて。やっぱ面白いね、競馬って」。武豊にとって、今年の凱旋門賞が特別なのは、“縁の結晶”であるメイショウタバルと挑むからだ。
「今年(25年)は国内で天皇賞・秋、有馬記念。来年は凱旋門賞に行きたい」。昨年8月に逝去したメイショウタバルの先代オーナー・松本好雄さんは、この言葉を残していた。26年は大阪杯から始動し、僅差の2着。宝塚記念では“恵みの雨”も降り、史上3頭目の連覇を果たした。「胸を張って行ける」。最高の形で、遺言をかなえた。
武豊、石橋調教師、そして「メイショウ」で凱旋門賞といえば08年のメイショウサムソン。当時騎手だった石橋師が主戦だったが、07年の秋から、凱旋門賞遠征を見据えて武豊への乗り替わりが決まった。松本好雄さんは、2人の仲が崩れないよう配慮し、宴席で両者に直接告げたという。
今回は騎手と調教師というタッグで挑戦。「石橋さんに、『乗り替わりしちゃダメですよ。あのときの仕返しで、ルメールで行くとか言っちゃダメですよ』って言ったわ(笑)」。武豊がこんな冗談を言えるのも、チームの信頼が厚いからだ。
武豊は、自らを「凱旋門賞を有名にした一人じゃないか」と言う。子供の頃から憧れたレース。競馬学校生時代に見たサガス(84年)、ダンシングブレーヴ(86年)などの勝利は、今もはっきり覚えている。初騎乗は94年で、英国の実力馬ホワイトマズルで6着。「めっちゃ叩かれた」と苦い思い出を振り返るが、当時25歳の若武者のチャレンジは、日本のホースマンにも凱旋門賞というレースを強く印象付けた。
今月中旬には、親交の深いアスリートが壮行会を開催。9日に訪れた、令和8年熊本地震の被災地である八代市の避難所でも、老若男女から「凱旋門賞、頑張ってください」と声をかけられた。「タバルといえば熊本ですよね(タバルの由来が熊本の地名の「田原坂)。喜んでくれるでしょうね、もしいい結果が出たら」と、力を込める。
タバル自身の成長も心強い。「乗りやすくなってきてるし、もう暴走したりとかもない」と、以前より落ち着いたと実感。パリロンシャン競馬場はタフさが求められるが「道悪が上手ですからね。そういう意味では、そんなに気にしなくていいのかな」と不安視していない。
昨年のドバイ・ターフからコンビを組み、今回で7戦目。いよいよ、欧州最高峰の祭典に向かう。「やっぱり人の繋がりを感じる馬。また自分がこの年になって凱旋門賞に連れてきてくれるわけですから、すごくありがたい。このチームでいけるのも特別ですね」。伝統の「青地に桃襷(たすき)、桃袖」の勝負服で、パリに日の丸を掲げる。(水納 愛美)
