歴史研究家の市橋章男氏とアシスタントの浜崎友里氏が、YouTubeチャンネル「なるほど! 歴史ミステリー」にて「【秀長は大和をどう変えた?】大和郡山城と城下町に見る「秀長の国」。検地で農民の暮らしは楽になったのか? 豊臣兄弟歴史解説37」と題した動画を公開した。動画では、豊臣秀吉の弟・秀長が大和国をどのように支配し、検地などの政策が農民や寺社にどのような影響を与えたのか、その歴史的背景を紐解いている。
市橋氏はまず、秀長が約100万石を与えられ、大和郡山城を本拠地とした背景について解説。寺社勢力の強い奈良を避け、あえて郡山を政治の中心とし、100万石の大名にふさわしい巨大な城へと改築した経緯を紹介した。城の拡張工事では、石垣の材料として石仏や地蔵まで使用され、現在も「さかさ地蔵」が残っているという。一方、城下町では「箱本十三町」を構成し、商人を呼び寄せて地子を免除するなど、市場を活性化させる政策を進めた。
続いて、秀長が太閤検地に先駆けて行った大和国内の検地に言及。市橋氏は、農民の負担を軽くするだけではなく、支配する側が収入を確実に把握することも検地の目的だったと説明した。隠し田をあぶり出し、土地の生産力を「石高」として数値化することで、安定した税収を得る仕組みを整えていった。さらに興福寺などの寺社勢力に対しては、豊臣政権が領地を保証する「朱印地」として再編。これによって寺社を独立した権力から豊臣政権の支配下へ組み込んでいったという。
動画の終盤では、「検地によって農民の暮らしは本当に楽になったのか」という疑問を、太閤検地の「功罪」から考察。複雑だった土地の権利関係を整理し、二重支配などを解消した一方、隠し田が明らかになったことによる負担増や、検地帳への登録による移動の自由の制限といった側面もあった。市橋氏は、太閤検地によって古代以来続いてきた土地支配の仕組みが大きく変わったと解説。秀長の大和支配を通して、日本の土地制度が大きな転換を迎えていく過程が分かる内容となっている。

チャンネル情報

歴史ドラマの背景となっている史実を解説し、より楽しみながら知識を深められる時間を、歴史研究家の市橋章男とアシスタントの浜崎友里がご提供。戦国武将、史跡や文化財などの歴史話、大河ドラマや歴史映画の歴史背景を面白く雑学を交えながら配信します。