YouTubeチャンネル「守鍬 刈雄のお暇なら映画でも」が、「【原作比較(1)】ノーラン版『#オデュッセイア』は何を変えた? テレマコスの成長物語〈テレマキア〉(独自解説)」を公開した。クリストファー・ノーラン監督版の映画『オデュッセイア』とホメロスの原作を比較し、映画が何を削り、何を変更したのかによって浮き彫りになる思想の違いについて解説した。

※この記事には映画のネタバレが含まれます。

動画では、全24歌のうち第1歌から第4歌にあたる、オデュッセウスの息子を中心とした「テレマキア(テレマコスの物語)」に焦点を当てる。ノーラン版では、原作にある神々の会議やイタケの民会などの要素が大幅に削除されていると指摘。「原作では神々や共同体を通して学びながら成長するが、ノーラン版では父オデュッセウスとの関係を通して成長する息子として描かれている」と、主人公の成長過程における根本的な違いを明示した。

さらに、オデュッセウスの人物像を指す「ポリュトロポス(多くの方向に曲がる)」という言葉の解釈に言及する。原作では、オデュッセウスの仲間たちが死んだ理由は彼ら自身の愚かな行動によるものだと冒頭で明言されている。しかしノーラン版では「その罪の責任をオデュッセウス一人が背負う形になっている」と説明。原作が「自分の行動には自分の責任が伴う」という二重構造を描いているのに対し、映画では責任の所在が個人の内面に重くのしかかるように改変されていると考察した。

また、旅の過程でテレマコスが触れる「正しいクセニア(客人歓待)」の風習や、木馬作戦に対する認識の差も取り上げる。原作では英雄的行為として語られる過去が、映画では暴力や罪の象徴として扱われている。

父親探しを通してテレマコスがアイデンティティを形成していく過程は、いわば「自分探し」の旅である。ノーラン監督による意図的な改変が、古代ギリシャの神話的価値観をいかに現代的な個人の葛藤の物語へと昇華させているのか、映画の奥深さを知的好奇心を満たす形で紐解いている。

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