紀子さま

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【全2回(前編/後編)の前編】

 上皇さまが、2016年に退位を示唆するビデオメッセージを発せられてから10年。先ごろ、ご自身の葬儀を縮小したいとのお考えが一斉に報じられた。実は、こうした“終活”の一方で上皇さまは、将来を見越して愛子さまの「ご即位」を思い描かれていたというのだ。

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「国民と共に歩む皇室」をモットーとされてきた上皇さまはご在位中、幾度となくそれを実践されてきた。

 1991年には雲仙・普賢岳噴火に際して、上皇后さまと共に自衛隊ヘリで被災地に入られ、避難所では床に膝をお突きになりながら被災者を見舞われた。その後、95年の阪神・淡路大震災、そして2011年の東日本大震災においても、生活の全てを失い悲しみに打ちひしがれた人々の心に、ご夫妻は寄り添われてきたのだった。

紀子さま

 ご夫妻おそろいで国民と同じ目線に立ちながら、その中へと分け入られ、苦楽を共にされる。そのなさりようは「平成流」と称され、現在も天皇・皇后両陛下によって受け継がれている。そうした国民統合の象徴としての信念は、19年4月のご退位後もいささかも変わらず、今回明らかになった「ご意向」は、まさしくその“集大成”ともいうべきものであろう。

〈上皇さまの意向受け 将来の葬儀の規模大幅縮小へ〉

 9月2日の夜、NHKがそう報じると、各社がこぞって後追いする事態に。

昭和天皇の葬儀では1万人が参列

 宮内庁担当記者が言う。

「年末に93歳となられる上皇さまは、これまでもご自身の葬儀に関して『国民生活への影響をできるだけ少なくしたい』とのお考えを示されてきました。そのご意向に沿って今回、一般の告別式にあたる皇室行事『葬場殿の儀』を、皇居・宮殿で執り行うべく宮内庁が検討していることが分かったのです」

 現在、宮殿内で最も格式の高い「松の間」を使用する案が有力だという。

「89年2月に営まれた昭和天皇の葬儀では、『葬場殿の儀』と国の儀式である『大喪の礼』が新宿御苑で執り行われ、国内外からおよそ1万人が参列しました。この準備のため、御苑はおよそ、2カ月半にわたって閉鎖されたのです」(同)

 13年に宮内庁は「今後の御陵及び御喪儀のあり方についての天皇皇后両陛下のお気持ち」を公表。上皇さまのご意向に沿って御陵を従来のものより小さくし、また土葬ではなく、およそ400年ぶりとなる火葬にすることが示されていた。そこでは、

「葬場の設営に際し、樹木の伐採など環境への影響に留意するべきだという上皇さまのお考えも明かされています。また会場については、天候の急激な変化や集中豪雨、竜巻などの可能性も想定し、上皇さまが出席者の安全確保ができる場所を望まれていることも記されていました」(同)

大いなる“お心残り”

 これらのお考えは、すでに陛下や秋篠宮さまとも共有されているといい、それが今回の「葬儀縮小」へとつながったわけである。参考までに89年の大喪の礼や皇室行事、そして御陵造営を含む総費用は、およそ100億円。上皇さまの葬儀では参列者数も2500人程度まで減らす方向で進んでいるため、経費の大幅削減も見込めるという。

「つねに国民の立場を第一に考えてこられたご在位中と変わらない、上皇さまらしいご判断だと思います」

 とは、皇室制度に詳しい静岡福祉大学の小田部雄次名誉教授である。

「上皇さまは“国民と共にある象徴”にふさわしい葬儀を追求されている。いわば一種の“終活”ともいえるでしょうが、時代の要請を踏まえつつ、費用など国民への負担を極力抑えたいというご意思がうかがえます」(同)

 そんな上皇さまが目下、大いなる“お心残り”を抱えておられるというのだ。

「皇室と政府との隔たりが、あらためてあらわに」

 さる宮内庁関係者は、

「それは皇位継承のあり方に他なりません」

 そう明かし、以下のように続ける。

「小泉政権下の05年に設置された有識者会議の報告書では、女性・女系天皇を認め、皇位継承順位は男女を問わず第1子を優先するとの内容が取りまとめられていました。ところが翌年、紀子さまが懐妊され、国会への法案提出も見送られることになったのです」

 もっとも、

「悠仁さまが誕生されたとはいえ、長期的には皇室の先細りが懸念されていたこともあり、12年の野田政権下では、この状況を危ぶまれた上皇さまの強いご意向もあって、『女性宮家』創設を検討すべきだとの論点整理が発表されました」(同)

 これは、平成時代に行われてきた上皇さまと陛下、そして秋篠宮さまによる「三者会談」でも議論され、合意に至ったものだった。が、

「それが政府によって完全に棚上げされ、代わりに、先ごろ公布された改正皇室典範では、05年の有識者会議で『国民の理解を得ることが難しい』と却下されていた旧宮家からの男系男子の養子が認められてしまった。これは『三者会談』でどなたも望まれていなかった案であり、国民の理解を重視する皇室と政府との隔たりが、あらためてあらわになってしまったのです」(同)

 後編では、上皇さまが抱えておられる「お心残り」の詳しい内容について報じる。

「週刊新潮」2026年9月17日号 掲載