ロシアのプーチン大統領は、なぜウクライナ侵攻をやめないのか。拓殖大学客員教授の名越健郎さんは「トランプ米大統領の特使らがモスクワを訪れ、プーチン氏と3時間を超えて会談したが、停戦に向けた具体的な進展はなかった。プーチン氏が譲歩できない背景を読み解く鍵は、側近に漏らしたと報じられた言葉にある」という--。

■プーチンが出した“前線で停戦用意”の逆提案

米国のウィトコフ和平交渉担当特使とトランプ大統領の娘婿、クシュナー氏が9月5、6の両日、モスクワとキーウを訪れてシャトル外交を展開した。プーチン大統領との会談は3時間を超えた。ウクライナ戦争の停戦で進展はなかったが、米側は「平和に向けた新しいアイデア」(トランプ大統領)を提示したとしており、同案をベースに米国仲介の三者交渉が再開される見通しとなった。プーチン大統領は逆提案をしたとされるが、交渉の難航は必至だ。

(参考:BBC「米特使、モスクワとキーウを連日訪問 戦争は冬になっても続くとゼレンスキー氏」)

写真=ゲッティ/共同通信社
キーウで記者会見する米国のウィットコフ和平交渉担当特使(右)とクシュナー氏=2026年9月6日 - 写真=ゲッティ/共同通信社

ロシアのSNS、テレグラムで発信する情報チャンネル「インサイダーT」がクレムリンの情報筋の話として報じたところでは、米側は5日のプーチン大統領との会談で、「戦争が終結すれば、米国は経済分野でロシアに大規模な投資を行う用意がある」とし、ベーリング海峡横断トンネルの建設など総額2兆ドル(注:日本円で約300兆円)規模の経済協力プロジェクト案を提示したという。

特使らは、「戦争を止め、経済協力へ移行することがロシアにとってはるかに有利だ」と説得した。

プーチン大統領は米側の論理に基本的に同意し、「現在の前線で停戦する用意がある」としながら、ドンバス地方は最終的にロシアの管轄下に置かれ、「ウクライナは失われた領土への主権を永久に放棄し、軍事的・政治的手段によっても返還を要求しないことを法的に認めねばならない」と述べたという。

■「緩衝地帯」という名の“領土の確定”

プーチン氏は、ドンバス地方に緩衝地帯を設置してウクライナ軍は撤退し、ロシアもそこに進入しないと表明。合意は国連の関与の下で、国際法上確固たるものにすべきだと語った。

プーチン氏はさらに、同様の枠組みをジャボリージャ、ヘルソン、ハリコフ各州の特定の地域にも適用するよう主張し、「合意内容の法的確定と国際的な批准が不可欠」と重ねて強調したという。

この情報が事実なら、ロシアは「前線での戦闘凍結」を標ぼうしながら、「緩衝地帯」「国連管理」という名目でウクライナ軍を撤退させ、ドンバス地域全体をロシアが支配する目論見とみられ、ウクライナは到底受け入れられない。

ゼレンスキー政権は「前線での停戦」を支持しながら、停戦後に外交交渉を通じた失地回復を目指している。プーチン提案は、ウクライナが憲法を改正し、占領地を永久に放棄するよう要求するもので、プーチン後の時代も国境を画定させることを狙っている。

ロシアのウシャコフ大統領補佐官は記者団に、「会談は有益だった」「紛争のあらゆる根本問題の解決が必要」と表明。ロシア軍は特別軍事作戦の目標を必ず達成すると米側に伝えたと述べ、戦闘継続を強調していた。

同補佐官によれば、ウィトコフ特使らは「プーチン氏の見解をウクライナ側に伝える」と約束した。

■ロシア・ウクライナの立場は変わっていない

ゼレンスキー大統領は6日の会談後の会見で、会談内容には詳しく言及しなかったが、ウクライナ政府筋は「交渉で進展はなかった」としている。

ゼレンスキー大統領はむしろ、ロシア軍の攻撃激化に備え、迎撃ミサイルや発電施設の提供を米側に要請した模様だ。

米紙「ウォール・ストリート・ジャーナル」は、「ロシアはドンバス地方を明け渡して最終的にロシアの支配下に置くよう主張し、ウクライナは領土を放棄せず、安全の保証が必要だと主張した。双方の長年の立場を改めて示した」と指摘した。

ウィトコフ特使の訪露は今回が8度目だが、キーウを訪れたのは初めて。特使の祖父母はロシア系ユダヤ人で、ロシア革命前後にサンクトペテルブルクから米国に移住した。ロシアに思い入れがあり、プーチン氏に取り込まれた印象だが、キーウを訪れたことは一定の前進だった。

米国は昨年秋から三者協議を仲介していたが、2月末のイラン戦争後中断した。双方は交渉再開には同意しており、9月20日のロシア下院選終了後に交渉が再開される可能性がある。しかし、領土と安全の保証で対立は根深く、難航は必至だ。

■米国は硬軟両様に転じた

米国のメディア「アクシオス」は、今回の米側代表団にホワイトハウスや国務省、財務省のチームが加わっており、特に制裁担当のラング財務次官が参加していることに注目している。従来、ウィトコフ特使の訪露に政府関係者は同行しなかった。

これは、米政府がロシアの対応次第で制裁の強化や緩和に取り組む意向を示唆している。米上院は新たな対露制裁法案を可決し、下院の承認と大統領の署名を経て成立する。成立すれば、トランプ政権2期目では初の対露単独制裁となり、米側は硬軟両様の対応を取り始めたようだ。

米側の対応の変化は、8月25日のラトクリフ米中央情報局(CIA)長官の電撃訪露でも観測された。CIA長官の訪露は2022年2月のウクライナ侵攻後初めてで、8時間の滞在中、対外情報庁(SVR)のナルイシキン長官、連邦保安庁(FSB)のボルトニコフ長官の二人と個別に会談した。

(CNN「米CIA長官がモスクワを電撃訪問、ロシア当局者と会談するため 情報筋」2026年8月26日)

ジョン・ラトクリフ(写真=Office of the Director of National Intelligence/PD ODNI/Wikimedia Commons)

しかし、ロシア側の報道では、会談は不調に終わり、プーチン氏は会談をキャンセルした。

情報チャンネル「アゲントストボ」によれば、ボルトニコフ長官との会談は非難の応酬となり、険悪な雰囲気が漂ったという。

■CIA長官には激怒も、特使には「仕事がしやすい」

ラトクリフ長官は、ロシアが戦争を続けるなら、米国は新たな対露制裁を実施し、ウクライナに追加の武器供与を行うとし、「その場合、ロシアの国家的危機が高まる」と警告。プーチン氏への影響力を行使し、停戦に向けて説得するよう求めた。

これに対し、ボルトニコフ長官は数回にわたって話を遮り、「ロシア指導部にこの種の指図をすべきでない」と反発。最後は口を荒げて非難したという。ロシア側出席者は「米露情報機関トップの対面接触では、近年で最も緊張に満ちていた」と述べた。

当初会談を予定していたプーチン氏はボルトニコフ長官の報告を聞いて激怒し、米側が次回も情報機関トップ会談を求めた場合、会談を拒否することも検討するよう指示したという。

プーチン氏はウィトコフ氏との会談後、「あなた方とは仕事がしやすい」と述べ、CIA長官と差別化していた。CIA長官の訪露も、親露のトランプ政権がロシアに是々非々の対応で臨み始めたことを意味する。

■現状での停戦は敗北…「私は絞首刑にされるだろう」

CIA長官の訪露直後、ロシア軍は首都キーウなどに連日大規模攻撃を実施しており、長官訪露が不調に終わったことを示した。

ロイター通信によると、クレムリンに近い情報筋は、「プーチン氏は和平交渉には応じず、今後数カ月で戦闘を激化させようとしている」と述べた。

プーチン氏が戦争継続にこだわるのは、現時点で停戦に応じれば、ロシアの敗北となるからだろう。プーチン氏は22年の開戦演説で、ロシアとウクライナを再び一体化させることが自らの歴史的使命とし、ウクライナの「非ナチ化」「中立化」「非武装化」を表明した。これらの戦争目的は実現しておらず、「勝利演説」で語れる成果は少ない。

現状での停戦は、ゼレンスキー氏にとっては勝利とみなされるが、プーチン氏にとっては敗戦であり、政権基盤を揺るがしかねない。

英誌「エコノミスト」(8月30日)によれば、プーチン氏は最低限の目標であるドンバス地方の全面制圧なしに戦争を終結させると、「私は絞首刑にされるだろう」と側近に漏らしたという。自身の身の安全を危惧し、安易な譲歩はできないようだ。

独立系メディア「メドゥーザ」は絞首刑発言について、「戦争をどう終わらせていいか分からず、だからこそ戦況のエスカレートを厭わない」と分析した。

ウラジーミル・プーチン氏。英誌「エコノミスト」によれば、最低限の目標であるドンバス地方の全面制圧なしに戦争を終結させると、「私は絞首刑にされるだろう」と側近に漏らしたという(写真=Kremlin.ru/CC-BY-4.0/Wikimedia Commons)

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名越 健郎(なごし・けんろう)
拓殖大学客員教授
1953年、岡山県生まれ。東京外国語大学ロシア語科卒。時事通信社に入社。バンコク、モスクワ、ワシントン各支局、外信部長、仙台支社長などを経て退社。2012年から拓殖大学海外事情研究所教授。国際教養大学特任教授。2022年から現職(非常勤)。著書に、『秘密資金の戦後政党史』(新潮選書)、『ゾルゲ事件80年目の真実』(文春新書)、『ジョークで読み解く「ロシア近現代史」』(PHP新書)などがある。
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(拓殖大学客員教授 名越 健郎)