1カ月で5億円“奇跡の募金”で心臓移植手術から3年…元気になったあおちゃんの両親が語る「支援者への感謝」「ドナーの親からの手紙」
キックボードで疾走したり、トランポリンでぴょんぴょんと飛び跳ねたりする、元気で活発な少女は、あおちゃんこと佐藤葵ちゃん(4)だ。最近は「空手を習いたい」というほどだが、じつは生まれながらに心臓に病気があった。
しかし、命の危険に瀕しながらも力強く立ち向かい、2023年8月に心臓移植手術を受けることができた。米国での移植手術費用は、渡航費や滞在費を含めて5億3千万円と多額で、募金に頼らざるを得なかった。母親の清香さんが語る。
「みなさまのあたたかいご支援のおかげで、今、娘はすごく元気です。心臓移植をして最初の1年は、久しぶりに外の世界に触れたために風邪をひきやすく、その度に脱水症状を起こしたりして、8回ほど入院しました。
“これからの人生も、入退院を繰り返していくのだろう”と覚悟していたのですが、2年目からは入院することもなくなりました。今は1年に一回の心筋生検と2カ月おきに外来受診して、朝晩に免疫抑制剤を1回ずつ服用しています。薬の効果に影響するグレープフルーツが禁止されているくらいで、あとは食事も運動も何も制限されていません」
あおちゃんが生まれたのは、2021年10月31日。佐藤さん夫妻にとっての第2子で、3歳離れたお姉ちゃんには待望の妹だった。妊娠生活は順調だったが、出産翌日、医師から心臓の雑音が指摘され、左心室と右心室を隔てる壁に穴があいている、心室中隔欠損だと判明した。
「決して珍しい症例ではなく、自然と穴が塞がっていくケースも多いと聞いていたので、大丈夫だと自分に言い聞かせるように希望を持っていましたが……」(父の昭一郎さん)
生後3カ月のときに小さな胸にメスを入れ、心内修復手術を試みたが、ひどい不整脈が続き、まもなくペースメーカーを入れる手術を行った。事情を理解できず、きょとんとして手術室へ向かうあおちゃんの姿が両親の目に焼き付いている。
2022年4月に再入院。しかし、あおちゃんの小さな心臓は限界を迎え、6月には移植を前提とした補助人工心臓の取り付け手術の決断を迫られた。
「“移植をして、この子は本当に幸せなんだろうか”“今のまま、看取ってあげることも選択肢なのではないか”という迷いもありました」(清香さん)
だが、病状が安定していれば、ペットボトルをおもちゃに無邪気に遊んだり、両親の顔を見てにこやかに笑うあおちゃんの姿があった。両親は“なんとしても、この子の成長を見守りたい”と強く願った。
■帰国するときには母と手をつなぎ歩いて
生きる道は心臓移植しか残されていないが、日本では小児の臓器提供者が極端に少なく、海外での手術を選択せざるをえないのが現状だ。米国での移植手術を模索したが、折しも2022年は急激な円安が進行した年だった。もともと高額だった費用は跳ね上がり、佐藤さん夫妻は募金に頼らざるを得なかった。
「娘に病院以外の世界を見せてやりたという、極めて私的なことで、みなさまにお金をいただくのは、本当に申し訳ない気持ちでいました」(昭一郎さん)
両親の必死の呼びかけは各メディアで報じられ始めた。本誌も記事で募金を呼び掛けたメディアのひとつだ。報道が始まってから、わずか1カ月ほど経った2022年12月には目標額5億3千万円を達成することができた。
医療機関の受け入れ体制が整った2023年3月に渡米した。あおちゃんは、常にコピー機ほどの大きさがある補助人工心臓につながれ、なんとか命が保たれている状態。しかも補助人工心臓を使用すると常に脳出血や脳梗塞のリスクがあるため、ドナーがあらわれるまでの、時間との戦いも強いられていた。
「最初にドナーが見つかったのは渡航して5カ月ほど経った8月初旬でしたが、翌日、ドナーの臓器の状態が悪いために見送りになりました。肩透かしのようなかんじでしたが、医療スタッフからは『待機リストの上位にあるから気を落とさないで、もうすぐだから』と励まされました」(清香さん)
新たなドナーを待つということは、別の子供の脳死を待つということでもある。複雑な心境にあったが、我が子のことで気持ちがいっぱいいっぱいだった。
「次にドナーが見つかったのは8月11日で、12日に移植手術ができました。早朝、手術室に向かうときはスタッフがシャボン玉をふいたりしながら、明るく送り出してくれたので、緊張も少し和らぎました」(清香さん)
16時間かかるといわれていた手術は12時間ほどで終了。「いいかんじだ!」という執刀医の言葉に安堵。集中治療室で対面したあおちゃんは、いくつもの医療機器に繋がれていたが、どこに行くにも繋がれっぱなしだった大きな補助人工心臓が外されていたことで、手術の成功を実感した。
「移植手術から2週間ほどはまったく動かず、本当に元気になるのか不安でしたが、一般病棟に移ってお姉ちゃんが笑わせようとおどけると、葵が笑顔になってね。それでようやく安心できました」(昭一郎さん)
移植手術から3カ月半後の2023年12月に退院。渡米するときはさまざまな医療機器につながれていたあおちゃんだったが、帰国するときは清香さんと手を繋いで、自分の足で歩くことができた。
■《子供が生きた意味を見出せる》ドナーの親からの手紙
そして、手術から3年。すっかり元気になったあおちゃんは順調に成長している。好きな食べものを聞くと、少しもじもじ。清香さんが小声で「チョコとパンケーキでしょ」と助け舟を出したが、なぜかあおちゃんは「ピーマン!」と答えて、両親は思わず爆笑してしまった。
「旅行も楽しめるようになりました。それもうれしいのですが、さっきも公園でブランコを漕いできたみたいに、ごく平凡な生活を送る葵を見るだけで、幸せを感じます」(昭一郎さん)
一方、あおちゃんの移植手術の成功の裏には、亡くなった子供の存在があることも痛感しており、厳粛に受け止めていると清香さんは語る。
「移植手術後にドナーの方の親御さんからお手紙をいただきました。《あなたのお子さまが生きられるのなら、私たちは幸せで、子供が生きた意味を見出せる》といった内容で、お写真も添えられていました。我が子を失った直後に臓器を提供するという貴重な決断があって、娘はいま元気で生きています。日々、大事な命をいただいたという責任を感じています」
まだ幼いあおちゃんには移植手術を十分に理解することはできないが、少しずつ「いただいた命なんだ」ということは伝えており、またドナーの親御さんからの手紙や、移植手術のための募金活動を報じた新聞や雑誌の記事も、大切に保管しているという。
「娘が成長したら、大きな胸の傷が気になることもあるでしょう。でも、募金活動の記事を見れば多くの人が応援して助けてくれたことが伝わるし、ドナーの親御さんからの手紙を見れば、大切な命をいただいたことがわかるはずです」
数えきれない人々の善意と祝福を受けた証でもある大きな傷は、あおちゃんにとって決してネガティブなものではなく、力強く生きていく糧になるはずだ--。
