高輪ゲートウェイ駅近くで「呪われた事件」…なぜか一家惨殺が連続で起こり、子ども含む8人の血で家が赤黒く染まった

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二本榎通りで起こった惨殺事件

2020年3月に開通したJR東日本の新駅「高輪ゲートウェイ駅」。山手線における49年ぶりの駅というだけあり、周囲には駅直結の大規模複合施設やオフィスビルなどが立ち並び、2026年現在では東京名所のひとつとなっている。

だが、駅から200メートルほど歩いてみると、高級住宅街に混じり、江戸時代より以前に建立された神社や寺などが多く残っていることがわかる。なかでも、東京都港区高輪の「二本榎通り」と称されるエリアは古い寺院と近代ビルが同居した不思議な空間だ。

そして実はこの二本榎通りは今から110年ほど前、東京の犯罪史に残る一家惨殺事件が連続で発生し、世間を騒がせた場所でもある……。住民は恐怖し、当時の新聞は「呪われた事件」と書き立てた。その後、事件の早期解決を目指す警察にも“災い”が降りかかってしまう。

被害者は脳天を叩き割られ即死

二本榎通りとは、その名の通り二本の榎の木があったことから名づけられている。

この榎は少なくとも江戸時代には存在し、非常に立派であったため旅人の良い目印になっていた。やがてこの地域は「二本榎」と呼ばれるようになり、榎が枯れた後も地名として今も残り続けている。

そんな二本榎で恐ろしい殺人事件が発生したのは1909年(明治42年)11月21日のことであった。

この日の早朝、二本榎近くに住んでいた工藤嘉三郎(36歳)の家族と女中、合わせて5人が殺されているのが発見された。当時の報道によるとマサカリないしはオノのような凶器で脳天を割られており、ほぼ即死状態であったと見られている。なお、家主の嘉三郎は郵船会社に勤める船長で、船に乗っていたため難を逃れた。

大胆な犯行だったが迷宮入り

当時の現場検証によると犯人は深夜3時頃、湯殿(風呂場)から忍び込み、まずは玄関までの逃げ道を確保。その後、女中部屋へと行き、女中のしづ(17歳)の顔面を凶器で叩き割った。その後、嘉三郎の妻・たか子(33歳)、長男・嘉雄(8歳)、長女・かつ(10歳)、次男・秀雄(2歳)も同じく顔面を叩き割って殺害した。

その現場はまさに凄惨で、辺り一面に脳髄が飛び散っており、畳には赤黒い血がべっとりと付いていた。

当初は「家主である工藤嘉三郎の不在を狙った盗賊の仕業ではないか」と考えられたが、工藤家から金目のものが盗まれたような痕跡はなく、貴金属や貯金通帳にも手を付けられていなかった。

また、工藤家の隣家で飼われていた大きな洋犬が「吠えていないのは不自然」という証言と、犯人が凶器にオノかマサカリを選んでいたことから、「工藤家に出入りしている薪屋が犯人なのではないか」といった“迷推理”も飛び出したようだ。結局、被疑者として複数人が取り調べを受けたが犯人を見つけることは出来ず、事件は一時「迷宮入り」となってしまった。

そして、工藤一家の事件から3年後の1912年(大正元年)、再び二本榎は赤い血で染まることになる。

同じエリアで3人が犠牲に

第二の一家惨殺事件は1912年(大正元年)11月14日に発生した。この日の午前8時頃、高輪地区に住む大工が、二本榎の瀬戸物商・小沢丑蔵(28歳)の自宅を訪ねたが返事がなかったため交番に通報した。

高輪署の警察官が玄関をこじ開けて店の中に入ると、店主である丑蔵、妻のお福(20歳)、店員の藍澤安吉(17歳)の3人が血を流して倒れていた。吹き出した鮮血は天井裏まで届き、工藤一家の時と同様、部屋を赤黒く染め上げていた。特に丑蔵の遺体は損傷が激しく、飛び出した左目が畳の上に転がっていたという。3人はその場で死亡が確認された。

その後の現場検証では、侵入経路は店の裏手にある忍び口と見られ、脱出ルートを確保してから家人をマサカリのような凶器で殴り殺すという手口だったと判明している。まるで3年前の工藤一家惨殺事件を彷彿とさせるものであった。

そのため、高輪署はこの類似性から「同一犯による犯行である」と断定した。こうした状況のなか、二本榎通りの住民は「次は自分達が狙われるかもしれない」と恐怖し、新聞は2つの事件を「呪われた二本榎」とセンセーショナルに書き立てている。

果たして何者による仕業だったのか。

つづく記事〈港区高輪で2家族が連続惨死…事件の異様さに解決後、警察はお祓いを行った〉で事件の真相に迫る。

【つづきを読む】港区高輪の「呪われた事件」2家族が連続で…事件の異様さに解決後、警察はお祓いを行った