1食150ドルの寿司を握る日本人料理人、統一教会信者がつくる絶品天ぷらうどん…北朝鮮で出会った「意外な日本食事情」
北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)は、2020年1月から新型コロナウイルスへの防疫措置として海外からの入国を停止。しかしそれが収束してからも、入国できた外国人は極めて限られており鎖国状態が続く。
フォトジャーナリストの伊藤孝司は1992年8月から2019年10月まで43回の現地取材を敢行し、約10万枚の写真を撮影。その中からベストショットを、さまざまな切り口でお届けする。
前編記事『いまや“飢餓の国”ではない!ナポリの職人直伝ピザに大行列の回転しゃぶしゃぶ…驚きの「北朝鮮」超グルメな日常』より続く。
板門店でアイスクリーム
北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の首都・平壌(ピョンヤン)の街を歩いていると、歩道に露店が出ていることがある。学校や仕事を終えた人たちが、アイスクリームを次々と買っていた。個人が販売しているのではなく、食品関係の事業所が出している店のようだ。祝賀行事が行われる日にはテントや小さなキャビンの露店がたくさん並び、人びとが買い求めている。
外国人観光客が多いところには、さまざまな露店が出る。中国・ロシアと国境を接する「羅先(ラソン)経済特区」へは、中国やロシアから簡単に入国できる。そこの海辺では、中国から来た観光客に、女性たちがテントで海産物を売っていた。中国より、かなり安いのだという。
驚愕するような場所に、外国人に食べ物を売る露店ができていた。その場所は何と、非武装地帯の中なのだ。
外国人が板門店(パンムンジョム)の共同警備区域へ入るためには、まず駐車場で車を降りて車内の検査を受ける。その車は少し先へ行って止まっているので、見学者は一列になってそこまで歩くことになる。
道路に敷かれた鉄板の下には大きな堀があり、上には巨大なコンクリートの塊を落下させる装置がある。韓国から戦車などが攻めてきても、通れないようにしているのだ。
そして車には、案内の人民軍将校と一緒に乗り込む。この場所で緊張感は一気に高まる。少し走ると、朝鮮戦争停戦の協議が行われた会議場と、停戦協定が締結された調印場が並ぶ場所へ着く。共同警備区域へ入る前には必ず立ち寄る場所で、私はここへかなりの回数を訪れている。
それが2018年6月に行った時に、見たことがないものがあった。調印場の前にテントがあり、アイスクリームや飲み物、果物や菓子などを売っていたのだ。
外国人観光客たちはアイスクリームを食べながら、建物内で将校の説明を聞いていた。500万人近くが死亡したとされる朝鮮戦争。その停戦が締結された、近代史の中でも極めて重要な舞台でこんなことが……。
何でもある街の市場
飲食店や店舗へ行き、店内や店員にカメラを向けると、店から制止されることが多くなってしまった。かつては、フラリと入った店でカメラを向けても嫌な顔をされることはなかった。それが次第に難しくなっていった理由は、はっきりしている。外国人観光客が、店内で撮った写真を面白おかしく、時には悪意を持ってSNSなどで流すようになったからだ。
市民が日常の買い物をしている市場のようすを撮りたくて、事前に申請して「統一通り市場」へ行った。青い屋根の、巨大な倉庫のような建物だ。しかし出迎えてくれた市場の責任者から、「撮影もインタビューもダメ!」と言い渡された。カメラを場内へ持ち込むこともできないという。
中へ入って驚いたのは、たくさんの客と店員で大変な活気があったことだ。細かく区分されたスペースの使用料を払えば、個人で何でも販売できるという。
食料品では、大きな穀物袋に入っている米・もち米・トウモロコシ・大豆や小麦粉が量り売りされている。ちょうど食べごろの輸入バナナや、温室栽培だと思われる季節外れのスイカまで並ぶ。
そして日用雑貨や電化製品など、さまざまなものが大量に売られているのだ。高齢男性が、錆びだらけの中古の機械部品をたくさん並べていた。
北朝鮮はこうした人びとの営みが分かる場所を、外国人に見られるのを極端に嫌う。高価な商品が整然と並ぶ店のようすを撮って欲しいのだ。
北朝鮮の商店では、客が欲しい商品を店員に告げ、棚やガラスケースから取ってもらう。社会主義国で長く続いてきた買い物の方式である。それが近年、自分で棚から取ってカゴに入れ、レジで計算してもらうスーパーやコンビニが急に増えた。
ただ万引き防止のために、客のカバンに袋を被せる店もある。こうした現代的な店でも、撮影許可はなかなか下りない。
食生活に革命が!?
北朝鮮の人びとのライフスタイルの変化は、食生活でも起きている。家庭で食事を作らず、出前を取ることが増えているようだ。飲食店からのものもあるが、近所の料理上手の人が商売として出前をしているのだ。
またデパ地下がないこの国では、レストランの店先で総菜を売るようになった。たくさんの品数が並んでいるという「黎明(リョミョン)通り料理祝典場」へ行ってみた。
この施設は「朝鮮料理協会中央委員会」が運営していて、朝鮮料理の向上と外国料理の普及を目指しているという。
ここの厨房で作った総菜が、1階入り口の前に30種類ほど並んでいる。若い女性が次々とやってきて、さまざまなものを購入していた。帰宅後に料理を作るという、家事の負担が減ったのは間違いない。
ここではその総菜を食べることもでき、チマチョゴリ姿の従業員に注文すると運んでくれる。これが安くてうまいので、翌日も行ったほどだ。
藤本健二氏の寿司
日本政府が北朝鮮への独自制裁を開始する2006年頃までは、隣国である日本と北朝鮮とは人の往来があり貿易も行われていた。北朝鮮産の安いマツタケやハマグリが日本の庶民の食卓に並び、日本製の電化製品や加工食品が北朝鮮にあふれていた。それが現在では、まったくゼロという異常な状況だ。それでも平壌で、“日本の食”と出会うことがある。
金正日(キム・ジョンイル)総書記の専属料理人を務めたことがある藤本健二氏。2017年2月に、平壌市内中心部にある「楽園(ラクウォン)百貨店」の別棟4階に、日本料理店「たかはし」とラーメン店を開業。私はすぐに訪れて、とりあえずラーメンを食べてから取材交渉をした。
しかし、取材協力費が高額だったために断念し、後日訪れて食事だけをすることにした。和食の食材は、中国で仕入れているとのこと。私は自分が注文した寿司の写真だけを撮って退散した。この店には祖国訪問団として訪朝した在日朝鮮人たちが、面白がって次々と訪れていた。そうしたことがなくなった今、藤本氏とその店はどうなっているのだろうか。
統一教会の絶品和食
藤本氏の店は、私が食べたもっとも安い寿司定食で50米ドル(当時のレートで約5700円)、高い定食は150米ドルもした。だが平壌には、安い和食を出す店が何軒もある。その中で、日本と同じグレードの料理を出したのが「普通江(ポトンガン)ホテル」1階にあるレストラン「木蘭(モクナン)」だ。
取材で疲れてくると、他のホテルに宿泊していても普通江ホテルへ行って和食を食べた。天ぷらうどんや、かつ丼・うな重・揚げ出し豆腐など、どの料理も日本のそれなりの店で出てくるものと遜色ないほどおいしいのだ。
それもそのはず、作っていたのは日本人たちだった。彼らは、北朝鮮へ派遣されていた統一教会の信者だった。統一教会はこのホテルの経営を1993年11月から行っていて、料理人だけでなく設備のメンテナンスなども日本人が担当。和食を作るためにどうしても必要な食材は、苦労して日本から運んでいた。
統一教会の教祖・文鮮明(ムン・ソンミョン)氏が2012年9月3日に死亡すると、統一教会は北朝鮮での事業の見直しを始めた。統一教会はこのホテルの他に「平和(ピョンファ)自動車」の経営にも携わっていたが、その年の11月にはこれらを北朝鮮へ無償譲渡した。普通江ホテルから日本人は次第にいなくなり、当然ながら和食の質は一気に落ちてしまった。
「よど号グループ」が食べていたもの
平壌郊外で集団生活をする日本人たちと、7日間に17回も一緒に食事をしたことがある。
その人たちとは、1970年3月に日航機「よど号」をハイジャックして北朝鮮へ渡った「共産主義者同盟赤軍派」の学生だった男性4人と、さまざまな経緯で彼らと結婚した2人の日本人女性だ。
2014年9月にテレビ番組の撮影のため、私とテレビ局のディレクターは「よど号グループ」が暮らす「日本人村」に滞在。広大な敷地の中に建てられたアパートで暮らしている彼らは、朝食と昼食は各自が自宅で作る。だが夕食は、専属の料理人が作ってくれるのだ。高価な食材は使っていないものの、優しい味付けの料理が並んだ。
よど号グループ7人の中で夫婦なのは、若林盛亮さんと佐喜子さん。自宅で佐喜子さんが作った昼食をいただいた。日本にしかない食材は入手できないので、「梅干し」はウメではなくアンズを漬けていた。
時には「日本人村」の中の、大同江(テドンガン)を望む屋外で食事をするというので、それに招いてもらった。食卓には各自が持ち寄った料理が並び、揚げ物にかける日本製のとんかつソースが置かれていた。
それは日本の支援者たちが持ってきたものだったが、今は食卓に並ぶことはなくなっているだろう。よど号グループは日本への帰国を強く望むが、日本で和食を堪能できる日はいつになるのだろうか。
(写真はすべて筆者撮影)
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【つづきを読む】BBQやビアガーデンに市民が殺到、女性たちは大ジョッキで豪快に乾杯、外国人と相席も…激変する「北朝鮮のグルメ事情」
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