「足が太い」「お前、結構デブだよ」デビュー後に“過酷ダイエット”、3年も生理が止まり…“カリスマモデル”西山茉希(40)が明かす、『CanCam』時代のリアル
〈1日7食たべる“肥満児”→深夜2時の工場バイトで油まみれ→『CanCam』で大ブレイク…“カリスマモデル”西山茉希(40)が語る、夢が見つからなかった学生時代〉から続く
「私って足が太いの?」。東京でスカウトに指摘されたスタイル問題は、「1日7食食べていた」ほど大好きだった食から西山茉希(40)を遠ざけていく。
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先輩モデル蛯原友里の大人気キャラクター「かわいい系エビちゃんOL」の妹キャラとして、「小悪魔かわいい系マッキーOL」の人気が高まれば高まるほど、生理が止まるほどの過酷なダイエットにのめり込むようになった西山茉希。今自身で振り返る、キラキラ女性誌時代の「リアル」。笑い方も忘れ、故郷の長岡に帰ることすら怖くなっていたあの頃について。(全3回の2回目/3回目につづく)

西山茉希さん ©深野未季/文藝春秋
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「茉希ちゃん」と呼ばれるのもヒラヒラのスカートもなじめなかった
--実際に東京に出て、モデルとしてのスタートはいかがでしたか。
西山茉希さん(以下、西山) 情報も経験も皆無、東京に住むということ自体、想像もしていなかった未来が突然来た感じで。しかもたどり着いた先が『CanCam』という、華やかでかわいらしいOL向けの女性誌で、何この世界みたいな。
--しかも全盛期の『CanCam』。
西山 「茉希ちゃん」という呼ばれ方もヒラヒラのスカートも、すべてが今までの人生の軸と違いすぎて、ほんとになじめなかった。ただ、自分が撮られることに何を思えばいいか考えたときに、緊張が一番邪魔な職業なんだろうな、と思ったんです。
カメラマンさんだと意識しなければいいんだって、長岡の仲間たちと自撮りしてる感覚に自分をすり替えるようにしたら、その空気を自分のものにすることができた。だから私は、東京でモデルをやっていますじゃなくて、私は長岡、私は長岡、と思うようにしていました。
床を埋め尽くすファックスで情報を探し、自力で現場へ
--一世を風靡したエビちゃん(蛯原友里)やもえちゃん(押切もえ)の後輩として、プレッシャーはありましたか。
西山 デビューしてから、どんどん先輩たちのページに混ぜてもらったり、自分のキャラクター「小悪魔マッキー」がつくまでも早かった。でも当時は何も分からないところからのスタートで、必死に明日の現場を生きるだけ。自分や環境を客観視するゆとりもありませんでした。
当時下っ端だと朝3時、4時から夜中の0時、終電がなくなっても撮影する生活で、1日5、6本、現場を移動しながらページを作っていく。今なにをしてるかも分からなくなるくらい。プレッシャーというより、先輩たちが自分をどう思ってるのか、受け入れられているのかという怖さのほうがありました。
--怖さ。
西山 家に帰るとファックスが床まで溜め込まれていて、その中から明日の現場の分を探す。マネージャーが付いてこないので、全部自分でやって、その日その時間にスタジオへ行く。全然違う日のファックスを見て、違う場所に行ってしまったこともありました。
「どういうときに笑うんだっけ?」笑い方が分からなくなった日
--プレッシャーを感じる暇すらなかった。
西山 プレッシャーを感じてしまうと、プレッシャーを感じている子の写真になる気がしていたんです。だから、いかに鈍感でいられるか、いかに『CanCam』の世界の中の1人に染まれるか。静止画だからこそ全部が漏れる気がする怖さがあるんですよね。だんだんとプライベートよりもカメラの前が大事、みたいな感覚になっていきました。
あるとき、帰り道で、「私はどういうときに笑うんだっけ」って、笑い方が分からなくなったことがあったんです。私は笑顔担当だったので、1日中マッキースマイルをやっていると、笑うってことが分からなくなる瞬間があって。キラキラした世界を作っているのに、私自身はキラキラしているのかな、っていう自問自答に答えられない自分がいたんです。
--ああ。
西山 誌面では小悪魔マッキーとして成り立っていて、現場にまた呼んでもらえているから、自分自身の答えが出ていなくても、それは不正解ではないんだ……そう思って、無理やり進み続けていたところはあります。自信のようなものがつくこともなく。
ファッション誌の現場は日々いろんな方と会うんですけど、読者の声って聞けないじゃないですか。だから、自分がどう見られているのかが一向に分からないままで。
ずっと業界にいるスタッフさんやモデルさんは、ページ数が増えていくことが人気の実感につながるのかもしれないけど、私はもともと人間界で生きてきたから、人間の声がないと自信につながらなかった。それが余計にダイエットに向かわせたのかもしれないです。
「足が太い」「お前、結構デブだよ」と言われ、人生初めてのダイエット
--どのようなダイエットをされていたんですか。
西山 最初は雪の降らない東京にミニスカートとブーツで張り切って行ったら、スカウトの方から「足が太い」と言われたんです。悔しくて「え、私太いの?」って。長岡に帰って兄弟にそのことを話すと「お前、結構デブだよ」と。それで初めて自覚して、人生初めてのダイエットを始めたんです。
主食をキャベツにしたり、家の周りでエクササイズをしたり、温水プールで泳いだり。ストイックにやって5キロくらい落ちたら、そのスカウトさんに「すごくきれいになったね」と言われた。それが人生初めての成功体験でした。
--そこからさらに、ということですか。
西山 そうなんです。成功体験がうれしくて、さらに3キロ落として『CanCam』の撮影が始まったら、現場のモデルさんたちの細さが尋常じゃなかった。そこからは自分のためというより、先輩たちみたいにならなきゃいけないという迷子の状態で、間違ったダイエットが止まらなくなりました。
「食べて痩せるなんて言葉はなかった」両親が悲しむほど食べなくなってしまい…
--どれくらい落とされたのですか?
西山 60キロを超えたあたりから体重計にも乗っていなかったんですが、そこから43キロくらいまで落ちて。体脂肪率は5パーセント以下だと数字が出ないんですけど、毎日5パーセントとしか表示されなくなりました。
--ほとんどボクサーのような数字。
西山 今みたいに「個性だよね」とか「数字じゃなくて見た目だよね」じゃなかった時代、極端なダイエットが流行っていて、食べて痩せるなんて言葉はなかった。食べたら太る、しかなかったんです。親はすごく悲しんでいました。あんなに食べるのが好きだったのに食べなくなってしまったから。
--ああ……。
西山 でも私の性格を分かっていたので、何を言っても私のストレスにしかならないと思って、ただ見守り続けてくれていましたね。
過酷なダイエットで、生理が3年くらい止まってしまった
--なぜそこまで過酷なダイエットにのめり込んでいったのか。
西山 現場の先輩を見ては、なんであんなふうにカリンコリンに痩せられるんだろう、とため息をついて、ひたすら間違ったダイエットが止まらなくなっていきました。今振り返ると、完全にミスだったなと分かるところまで行ってしまったんですけど、当時はそれが正解だと信じて疑わなかったんですよね。
私、最初の撮影で、私だけデニムが入らなかったんです。その時の申し訳なさ……。じゃあこれはあの子に回そうか、マキには何を穿かせようか、という会話が飛び交って、商品として使いものにならない感覚をすごく味わいました。
だって先輩たちはピンで余った部分を留めていたりするんです。そういうのを見て育つと、良し悪しが分からないまま目標にしてしまって、私みたいになってしまうんですよね。自分では気づけない。生理も3年くらい止まってしまったのに。
--3年生理が止まっても、ダイエットをやめられなかった。
西山 でも、自分自身に向き合ったところで太れと言われるだけなんだろうな、と当時は思っていて。生活も不安定で、原因は全部分かっているんです。でも『CanCam』の中では成り立っている。街で声もかけてもらえる。私、だんだんと地元に帰るのも怖くなって。
--大好きだった長岡にですか。
西山 『CanCam』でどんどん自分が出来上がっていくと、その分地元のみんなが離れていっちゃう気がしていました。何やってんだあいつ、って。ちょうど自分自身が迷子になっていた時期と重なっていて、東京と長岡、どちらにも居場所がないような感覚でした。
「全部分かってくれていたんだと思います」おばあちゃんの梅干しおにぎりに救われたワケ
--そこから抜け出すきっかけはあったんですか。
西山 成人式です。帰りたい、でも怖い、それでも参加してみようと思って、当日、振袖で新幹線に乗って帰ったんです。そうしたら、変わらずに声をかけてくれるお友達がいて、ほっとして。
でも今度は今まで声をかけてこなかった人からも声をかけられて。昔からの友達は、こうして声をかけられる私をどう思ってしまうんだろうとまた怖くなって、私、おばあちゃんの家に1回逃げたんです。
そしたらおばあちゃん、すごく酸っぱい梅干しのおにぎりを作ってくれて。たぶん全部分かってくれていたんだと思います。そのときに、ふと「これが現実なんだな」って。変わらない仲間は変わらないでいてくれるんだな、というのをその梅干しが教えてくれたような気がしました。
--おばあちゃんの梅干しおにぎり、すごい。
西山 今になって当時のモデル仲間と話すと、ほんとみんな同じ気持ちだったみたい。何が正解か分からなかった、決していい体型のキープの仕方でも落とし方でもなかったよね、と今なら笑い合えるんですけど、当時はお互いをすごく細いと感じていたんですよね。
その後のどんなモデル仕事よりも、『CanCam』の時代がいちばんハードで、運動会みたいな感じでした。当時のモデル仲間は、それを乗り越えた同志、戦友みたいな感覚。寝ても覚めても一緒にいました。「また明日ね」じゃなくて「またあとでね」くらいの距離感で毎日撮影してたから。
「なんて個性豊かで自由な、みんなが正解みたいな場所なんだろう」『CanCam』卒業後にタレントに転身した理由
--家族以上に一緒に過ごしていた。
西山 ほんとそうでした。みんな仮眠のプロというくらい、ロケバスに乗ったら自分の撮影の順番だけ把握して、いかにすぐ寝落ちして、自分の番が来たらぱっと目覚めて撮るか、みたいな。
『CanCam』の専属モデルとして18歳から約6年間、無我夢中でやってきて、自分で卒業のタイミングを決めさせてもらいました。バレーボールのときと同じで、納得のいく状態で卒業できたんです。
--卒業後は何がしたいかは決まっていたんですか。
西山 全然分かりませんでした。『CanCam』モデル西山茉希という、『CanCam』という肩書きが外れたときに、何者として通用する商品になるんだろう、と。求められなければ仕事にならない職業ですから。約6年やっても、それは自分の財産ではあっても肩書きにはならない。そのたすきは外さなきゃいけないもの、幻のような感覚でした。
『CanCam』の中で自分自身を見つけにくかった時期に、テレビのお仕事をさせてもらった時、なんて個性豊かで自由な、みんなが正解みたいな場所なんだろう、と思ったんですよ。みんながキャラクターみたいで、そのままでオッケー。太っていようと、痩せていようと、小さかろうと大きかろうと。
テレビのお仕事ですごく心がほどかれたんです。私らしくいても、凛としていたら認められるんだなって。頑張りすぎること、痩せすぎなきゃいけないこと、きれいでいなきゃいけないという決めつけを、少しずつ手放せました。だからこの世界からもういなくなりたい、とは思わずにいられたというか。
撮影=深野未季/文藝春秋
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(西澤 千央)
