金曜の夜10時からの54分間、SNSは松山ケンイチと夏帆に怒っている。

【写真】週ごとに悪役が代わる「T乾」の中でも、一貫して非難され続けている夏帆演じるあずさ

 TBS金曜ドラマ「Tシャツが乾くまで」(金曜午後10時)。蒼井優が18年ぶりに地上波の連続ドラマで主演を務める本作は、放送のたびに視聴者の怒りを更新している。標的はもっぱら、蒼井の夫・充を演じる松山ケンイチと、その充と秘密を分け合っていた園田あずさを演じる夏帆だ。


毎週視聴者の非難のターゲットになっている2人 「Tシャツが乾くまで」公式Xより

 第1話の配信は347万回以上再生されて金曜ドラマ枠の歴代最高を記録し、以降もほぼ毎話で自己記録を更新した。世帯視聴率も初回の6.9%から上がり続け、第8話は8.1%で番組最高となった。

 脚本の生方美久は「silent」「いちばんすきな花」などを担当した人気脚本家だが、「T乾」の盛り上がりはそれらにも負けていない。ただ「silent」の燃料が共感と涙だったのに対し、今回は怒りである。

怒りの対象は不倫→裏切り→名前のない関係

 当初、視聴者は不倫や夫婦間の裏切りに対して怒っていた。しかし途中からは「名前のつけられない関係」に激怒している。夫でも妻でも恋人でも友人でもない誰かと、月に一度だけ会う。その関係に名前がないから、視聴者は裁く言葉を持てず、持てないぶんさらに腹が立つ。1話すすむごとにその苛立ちをきっちり煽ってくる。「あなたは名前のない関係を認められるますか」そう視聴者に問うているのだろう。

 主な登場人物は充(松山ケンイチ)と咲子(蒼井優)、樹生(中島歩)とあずさ(夏帆)という2組の夫婦。そして夫婦ではない充とあずさが、それぞれのパートナーに秘密で高速バスで長野へ向かい、事故に遭うところから物語は始まる。

 あずさは亡くなり、充は途中でバスを降りていて事故を逃れたが、咲子のもとには帰らずそのまま失踪する。残された咲子と樹生は、2人が毎月第3金曜日に定期的に会っていたことを知り不倫を疑いはじめる……。

 視聴者の怒りの形は、週ごとに変わっていった。

 第1話のラスト、樹生が咲子に「あなたの夫はうちの妻と不倫していた」と告げる。多くの視聴者もそれを信じた。

 すぐに2人の関係が不倫ではなく「月に一度コインランドリーで雑談していただけかもしれない」ことがほのめかされるが、怒りの矛先は変わらない。

 失踪した充を「悪者」にしながら、咲子と樹生は徐々に距離が近づいていく。しかし第6話で失踪から1年ぶりに充が家へ帰ると、2人の関係性を見守ってきた視聴者の怒りは爆発した。「マジで何しに帰ってきたんだよ」

 充が自分とあずさの関係は不倫ではないと断言し、逆にパートナーの喪失後、助け合ってきた咲子と樹生の関係を詰問したところで、SNSの怒りは頂点に達した。

 後に充の親に愛されなかった苦しい生い立ちと、その中で自分を守るためにリセット癖・失踪癖を身につけてしまったことが明かされる。それでも「不倫よりたち悪い」「不倫より邪悪なのでは?」と、批判は止まらなかった。

「ちょっと不倫まがいのことしときましょうよ」で断罪モードに

 次にターゲットになったのはあずさだった。事故当日、1人で長野へ向かおうとしていた充に「ついていきたいかも」と押しかけて同行したことや、「どうせ理解されないなら、ちょっと不倫まがいのことしときましょうよ」という通常の夫婦の形に収まらない発言をしていたとわかると「不倫じゃなくてもアウト」とSNSは断罪モードに。

 面白いのは、充とあずさの関係が不倫ではないと判明したあとのほうが、むしろ視聴者の怒りが強まっていることだ。視聴者はまず2人の関係を不倫という枠に入れて怒り、夫婦なのに失踪した充に怒った。しかし2人の関係性が「月に一度会って話すだけ」と判明すると、さらに怒りは増した。理解できる悪事よりも、理解できない関係性への拒否反応の方が強いのだ。

 しかし強い怒りを巻き起こしながら、「T乾」は視聴者を巻き込み、視聴率を上げ、話題を拡大してきた。では、どこがうまくいっているのか。ひとつは「フィルター」という仕掛けだ。

 第1話で咲子は、「好きな人フィルターがかかっているから夫のことを正確には話せない」と言い、樹生に「そのフィルターを掃除したほうがいい」と指摘される。効果的なのは、人をありのままに見ることができない問題を咲子個人の問題にしていないところだ。

 周囲が咲子と樹生に向ける目には「可哀想な人フィルター」がかかるし、樹生は失踪した充を殴るべき敵フィルターで見ている。目詰まりすると機能が落ちる洗濯機の部品と、人間に対する偏見が同じ言葉でつながり、視聴者はすんなり理解する。

蒼井優は「さっちゃん」なのに、松山ケンイチは「松山ケンイチ」

 さらにこの仕掛けは、画面の外まで効いている。視聴者は「T乾」に言及するとき、蒼井の演じる咲子を「さっちゃん」と役名の愛称で呼ぶが、松山の演じる充のほうは役名ではなく「松山ケンイチ」と俳優の名前で呼ぶ。共感できる人は愛称で、許せない人のことは中の人の名前で呼ぶ。呼び方そのものが、見る側のフィルターの位置を示している。

 当の松山自身も、ドラマの外側でもその怒りを煽っている。自身のXのアカウント名を話数ごとに変え、失踪すれば「消山ケンイチ」、1年ぶりに帰ってくれば「帰宅山ケンイチ」。他にも「ピッツァ山ケンイチ」「しばかれ山パンイチ」「ト吐露山ケンイチ」「しょぼくれ山ピンイチ」などドラマの中での充の状況とリンクした名前に変化する。しかも本人の思いつきではなく、プロデューサーなど制作チームと候補を出し合っているというから、明らかに意図的だ。

 もうひとつ上手なのは、秘密の配り方だ。「逃避と詮索」と題された第8話、今度は咲子が家を飛び出してしまい、充は狼狽して樹生ら妻を知る人々を喫茶店に集め、自分の知らない妻を教えてほしいと頼む。

 飽き性、新しもの好き、切り替えが早い、あの人は爆弾を抱えている……。出てくる咲子像は1つも重ならない。しかも集まった全員に、すでに咲子から無事を知らせる連絡が入っており、全員が「夫には黙っていてほしい」と頼まれていた。充のメッセージが未読で残る一方で、周囲の人々は「自分だけが打ち明けられた」と思っていた。誰も嘘はついていないが、全員が別のことを知っている気持ち悪い状況だ。

 情報を出す順番の設計も計算されつくしている。「誰が悪いのか」を判断する材料を小出しにすることで、次々に新しい疑惑が生まれてくる。不倫ではないとわかれば第3金曜日の中身が謎になり、充が生きているとわかれば帰らない理由が謎になる。しかも何気ない雑談として聞き流していた会話が、後から伏線として回収される。

 設定の作り方も巧い。人たらしの喫茶店主に失踪癖を持たせ、それを松山ケンイチが演じる。月に一度ひそかに妻ではない女性と会い、事故が起きたあとは1年ものあいだ妻に居場所を知らせず失踪、という行動だけを取り出せば最悪の夫でしかないが、それでも憎みきれないのは、松山のどこか力の抜けた芝居の力が大きい。憎みきれないぶん視聴者は充を切り捨てられず、怒り続けることになる。

「T乾」への好き嫌い明確に分かれている理由

 それでも、本作への好き嫌いは明確に分かれている。まず賛否が分かれているのが、視聴者の感情を怒りと反感で駆動する形そのものだ。不倫疑惑も、あずさの「関係を理解してもらえる自信がない」という日記帳も、「不倫まがいのこと」を楽しむ発言も、「誰かを許せなくなる情報」として機能する。次回への引きも、ほぼ毎回「実はこの人が悪人かも……」というフックで作られている。

「T乾」というドラマには、人を傷つけようとする悪人はひとりも出てこない。好きだけどパートナーと時々離れたい感覚を配偶者以外の人と分かち合う快楽も理解可能だ。夫婦の形も親密さの形もひとつではないし、同じ人でも相手によって顔を変えて生きている。多様性とわかりあえない他者との共存。

 そんな優し気なテーマとは裏腹に、「次の悪役」で話を引っ張る演出手法は悪辣さが際立つ。

 複雑ではあっても、最後は互いを認め合う優しい物語にまとめることもできたはずだが、本作はそうなってはいない。

 孤独も共存も美しいものとしては描かれず、理解できないから不気味で、怖くて、腹が立つ。そこをごまかしなく突きつける。手法もかなり煽情的だ。結果として少なくない視聴者が、深夜帯の不倫略奪ものや復讐ものを観るときと同じ温度で、松山ケンイチと夏帆に本気で腹を立てている。

 樹生役の中島歩は放送前に「T乾」の脚本を読んで「安易な共感や感動を寄せつけない」作品になると予告していたが、まさにそのとおりになった。このテーマの繊細さと煽情的な手法の不釣り合いを吸引力とみるか雑さとみるかは人によるだろうが、ともあれ夏ドラマ1番の話題作であるのは間違いない。

充には共感者が現れたが、あずさはほとんど存在しない

 興味深いのは、多くの人の非難の対象になっている充とあずさの間でも、共感を表明する視聴者の数に差があることだ。

 嫌われたくない妻には本当の自分を言えず、嫌われてもいい他人のあずさにだけは失踪癖のことを打ち明けられた充には、一定の共感者が存在する。親の愛情を受けずに育ち、親族と疎遠だったというストーリーもあり、「理解できても共感はできない」という声もあるが、理解できる筋はきちんと用意されていた。

 しかし現時点で、あずさへの共感者は極めて少ない。かつてなら露骨に悪女として書かれたであろう役どころだが、さばけた口調で距離を詰め、気持ちが決まっているときほど断定を避ける。児童養護施設で育つなど苦しい生い立ちも語られ、変わった距離感や倫理観の原因らしきものも示されてはいる。

 それでも特に女性視聴者の反発は強く、悪女として書かれていないぶんかえって始末が悪い、と受け取られ「こういう女いちばん嫌い」という人さえいる。

 4日に放送される第9話の予告では、咲子のパーソナリティに何らかの問題がありそうなことが強く示唆されており、次は咲子に苛立ちが向けられることになるのだろう。

 個人的にはここまで煽りまくってきた以上、ぬるりとわかりやすい着地にはならないことを願いたい。誰かを悪役にすることで進んできたドラマが誰のことも断罪せずに終われれば、「優しい主題と怒りを煽る悪辣な方法」のズレは埋めることができる。名前のない関係を、名前のないままに置いておく。それができたとき、毎週きっちり怒らされてきたことにも意味が出てくるだろう。

(田幸 和歌子)