(※画像はイメージです/PIXTA)

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退職後に社会的な繋がりが希薄になりやすいシニア世代。その矛先が、家族への過度な執着を生むことも。遠方に住む親と都市部で暮らす子ども世代--お互いを思いやる気持ちはあるものの、度重なる訪問や価値観の違いによって、関係性に亀裂が入ってしまっては元も子もないでしょう。事例を紹介します。※個人の特定を防ぐため、事例は一部脚色しています。

退職金が振り込まれた翌週、提出された離婚

<事例>

祖父Yさん(68歳)……元教員

祖母Hさん(63歳)……Yさんの元妻

父Sさん(39歳)……Yさんの長男、会社員

母Kさん(37歳)……Sさんの妻、会社員

孫Mくん(9歳)

Yさん(68歳)は、愛知県の公立中学校で38年間、数学を教えてきました。生徒指導にも熱心で、50代に入ってからは学年主任も務めていました。定年退職の日、同僚から花束を受け取って帰宅し、これからは家でゆっくり過ごすつもりだったといいます。

ところが、退職手当が口座に振り込まれた翌週、妻のHさんから離婚届を差し出されます。妻Hさんはすでに弁護士に相談を済ませており、財産分与と年金分割の案まで用意していました。夫Yさんにとって寝耳に水でしたが、妻Hさんは何年も前から準備を進めていたようです。

退職金は約2,300万円でしたが、婚姻期間中に形成された財産として、およそ半分が妻Hさんに渡りました。それまでに貯めた預貯金3,500万円も折半することに。年金についても、合意分割によって上限である2分の1で妻Hさんに分割されました。分割前はおよそ月21万円の見込みだった年金は、分割後は月15万円ほどに減額。手元に残った蓄えは約1,750万円です。

幸い、住宅ローンが終わった築30年の古いマイホームは夫Yさんのものとなりました。これから水回りのリフォームや、屋根外壁の修繕が必要となる厄介な建物です。妻の「こんな家は誰も欲しくないし売れないでしょ? あなたが住んだら?」と他人事のようにいったのがグサッと来ました。

家でも「先生」だった教師の夫

離婚の話し合いの席で、妻Hさんは夫Yさんにこういいました。

「あなたは家でも先生だったよね。私はずっと出来の悪い生徒のような扱いでした」

Hさんがいうには、夫Yさんは学校での「先生」の立場を家庭にも持ち込んでたそうです。家の中のコミュニケーションはまるで生活指導のよう。起床時間も決められ、妻の料理や家計のやりくりについて「採点」するかのような態度。子どもについてはなおさらです。休みの日は自宅で過ごす時間割まで作って生活指導をしていました。

もちろん悪気はなく、教員として培った正しさを家族にも当てはめていたつもりだったのです。

それが結果的には離婚に繋がるのは当然のことでしょう。一人息子のSさんはその窮屈さから、中学に入ると同時に素行が悪くなり、警察に補導されることもしばしば。父親がいうことのすべて逆をやるという反抗の仕方でした。勉強は一切せず、門限は守らず、父親が嫌がることをわざとやってきました。父親からの愛情を感じられず、生活指導をすべき生徒のように扱えば、反抗するのも当たり前のことかもしれません。

妻Hさんは、夫が退職して一日中家にいるようになれば、指導はさらに濃くなると考えました。家庭が職員室の延長になる生活を、これから20年以上続けることに耐えられなかったのです。だからこそ、退職金が確定するタイミングを待って離婚を切り出したようです。

息子は高校を中退後、母親にだけ相談をして家を出ました。東京都内の工務店に見習いとして勤め、そこの社長の計らいで定時制高校に通うことができ、数年後に無事高卒となりました。その後、その工務店で順調に昇進し、部下から慕われるような上司になっています。

16歳で家を出てから、一度も実家には帰りませんでした。父親との関係が少し修復できたのは、息子のMくん(Yさんの孫)が生まれたのがきっかけです。

妻の代わりに見つけた「新しい生徒」

離婚後、夫Yさんには趣味と呼べるものがありませんでした。教員時代は部活動の顧問と授業準備で休日も埋まっており、地域のコミュニティにも所属していません。友達は一人もいなく、退職後は一週間誰とも口をきかないことも珍しくありません。理容店に行っても、激安のチェーン店で理容師との会話はありません。

そこでYさんの関心が向かったのが、東京に住む小学3年生の孫Mくんでした。

息子Sさん(39歳)とは少し関係が軟化し、会話はないものの父Yさんが自宅に行っても拒否はしなくなりました。息子の妻Kさん(37歳)は明るい性格で、Yさんの訪問に嫌な顔をしません。孫のMくんに「おじいちゃんから勉強を教わりなさい」というのを、Yさんはとても喜びました。そこで月に2回、孫の勉強の指導で東京まで通うことになりました。

名古屋から往復の新幹線代は、月に2回訪ねれば5万円ほどかかりますが、祖父Yさんは「孫のためなら」と蓄えを取り崩すことに。

最初の授業で、祖父Yさんは孫Mくんの算数のノートを見て、途中式を書く順番を厳しめに指摘して直しました。2回目の授業では、孫Mくんが通う学校の宿題について「量が少なすぎる」と担任の先生を批判。その次には、書店で買ってきた中学受験向けの問題集を持参し、孫Mくんに解かせはじめました。

妻Kさんは当初、義父の熱意を好意的に受け止めていましたが、次第に、指導は孫Mくんを超えて、Kさんへの教育方針への指導にまでおよびました。

「タブレットは一日30分までにしなさい」

「習い事はサッカーではなく、そろばんか英会話にしなさい」

「この子の学校は、担任の指導力に問題がある。転校も考えたほうがいい」

「夕食に冷凍食品を並べるのはやめなさい」

妻Kさんは、最初は熱心な指導だと思っていたものの、義父YさんのMくんや妻Kさんへの態度は、いつも苛立ちを伴っていることに気づきはじめました。「この人は、生徒に対してイライラしながら教える教師だったんだな」と妻Kさんは悟ります。指導が熱心なのではなく、「自分より劣る人間に苛立ちながら教えてやる」という姿勢を38年続けてきた人間なのだと。

妻Kさんは夫のSさんに、「お義父さんの態度が少し教育虐待に近いの」と相談したところ、Sさんは露骨に顔色が変わります。自分の幼少期の記憶が蘇ってきたようです。

「あいつは何様なんだ、父親の俺を差し置いて、親気取りをするつもりか」

普段は温厚な夫の豹変に、妻Kさんは夫の生育環境の歪みをまざまざと思い知らされました。「あんな育てられ方をしたら、大人になってもフラッシュバックするだろうな」と。

それからも月2回の祖父Yさんの訪問は続き、どんどん「指導」は過激に。「Mに運動が足りない」といっては近所を走らせてみたり、算数の問題が解けないといっては大声で叱ってみたり。教育虐待そのものに変容していきました。

夫のSさんは我慢ならず「孫を虐待して気持ちよくなっているなら、もう来るなよ」とYさんにいうと、Yさんは「お前らが子育てをちゃんとしないから俺がやるしかないんだろ!」と返す始末。一触即発の状態を妻Kさんがなんとか鎮めました。

運動会での元陸上部顧問としての「指導」

もう義父には家に来ないでほしいと考えていた妻Kさんにとって、我慢の限界が訪れました。それはMくんの運動会でのこと。

祖父Yさんは日程を知らされなかったため、学校のウェブサイトで運動会の日付を調べて上京しました。「ずっと走る練習をしてきたんだ、努力の成果を確認しなきゃな」と、今度は部活の顧問気取りです。

当日、祖父Yさんは孫Mくんを呼び寄せ、腕の振り方を説明しはじめました。出番の直前で緊張している本人にとっては、迷惑でしかありません。友達からもからかわれます。結果は2位。Yさんは満足げです。

Yさんは近くにいた保護者に聞こえる声で「あの先生の指導では速くならない。私が教えたら早くなった。私は陸上部の顧問だったんだ」と話しているのを妻Kさんが目撃しました。

運動会が終わり自宅に戻ると、妻KさんがMくんに「2位になれてよかったね」と褒めると、Mくんは微妙な表情。「全然嬉しくない」そう小さな声でいいました。

その瞬間、妻Kさんは怒りの頂点に達し、気持ちが切れるのがわかったそうです。

「お義父さん、もうここには来ないでください。この子のことは私たちが決めます」

すると祖父Yさんは「お前らの子育ては責任放棄だろ! 頼りないから俺が新幹線代も払って来てやってるんだ!」と激昂。

「これ以上、Mを虐待するなら、警察にも相談します」

虐待、警察という言葉を聞いてYさんの表情が変わりました。「わかった、もう来ない」そういって、その日は名古屋に帰っていきました。

元妻に相談してみると…

Yさんは誰かに相談したい気持ちでしたが、友達も知り合いも誰もいません。勇気を振り絞って離婚した元妻Hさんに連絡してみました。「孫のことで」というと、元妻は息子のSさんから話をすべて聞いていたようです。Hさんの住まいの近所にあるファミレスで、Yさんは激しく叱られました。

「同じ失敗を何度繰り返すの。生活指導を受けなきゃならないのは、あなた自身でしょ。あなたのその卑劣な人格を叩きなおしてもらう生活指導を受けてきなさい。そうだ、刑務所がいいんじゃないの? 刑務官に叩きなおしてもらったら? 自分が息子や孫や昔の生徒たちにしてきたように!」

「刑務所って、俺は犯罪者なのか……」

夫婦だったときには考えられないほどの厳しい言い方でした。「俺は犯罪者じゃない」といいかけましたが、元妻は「虐待は犯罪でしょう。あなたは息子を何度叩きましたか? 生徒に何度平手打ちしましたか? 今度は孫ですか? 孫を虐待する祖父なんて、聞いたことがありません」と、延々1時間も説教を続けます。

「俺の人格まで否定することはないだろう」と反論しても、元妻は「あなたが他人を見下してやってきたことと同じでしょう。あなたを結婚式に招待してくれた元生徒がいましたか? ゼロでしょう。恨まれてるんでしょ」

元妻は二度と孫に関わるな、顔を見せるな、葬式にも絶対に行かせないとまでいい、興奮したまま帰っていきました。元妻が慰めてくれるかと思っていたYさんには、ショックの上塗りに。

数週間悩んだ挙句、YさんはMくんの教育資金として500万円の贈与を息子夫婦に電話で申し出ました。しかし夫婦は明確に拒否。

「Mのためになにかしたいと思うのなら、二度とその顔を見せないでほしい。それが最大の支援だから」と息子Sさんにいわれる始末。「わかったよ……」と力なく、Yさんは電話を切りました。

妻に去られ、息子には拒否され、孫を虐待する最悪の祖父といわれ、教員としての過去も否定され、Yさんはそこから生活の気力もなくなり、自宅も荒れ放題になっていきました。セルフネグレクトの一歩手前の状態です。

1年後、電話を掛けてくれた孫

運動会から1年が経ったころ。知らない電話番号から電話がかかってきました。出てみると、孫のMくんでした。携帯電話を買ってもらったとのことです。

「おじいちゃん、算数のテストで100点だったよ」

その言葉に祖父Yさんは大喜びしましたが、同時に、「これを続けないと実力じゃない」という言葉が出てきそうになるのに気づき、必死に言葉を飲み込みました。「よく頑張ったね、すごいぞ」YさんはそれだけMくんに伝えました。

「おじいちゃん、来週は運動会なんだけど見に来てくれるかな? 走るのも速くなったんだよ」

Yさんは戸惑いました。息子夫婦が許可してくれるかわからなかったからです。幸い、息子の妻Kさんから翌日電話があり、Mくんが望んでいるので見にきてもいいとのこと。ただし、部活の顧問ごっこはやめてくださいと釘を刺されました。

Yさんは喜び、当日の病院の予約を変更し新幹線の切符も買いました。元妻と息子夫婦が話し合った末に、誘ってくれたのだろうと思っています。

「自分は、決して息子や孫を虐待したいわけじゃない、現役時代の生徒に対してもそうだ、みんな子どもたちが可愛いあまりに心配で厳しい言い方になっただけなんだ」。そう思いましたが、そんなことを誰かにいっても誰も理解はしないでしょう。たしかにそれによって不快な思いをさせたなら、それは虐待と呼ぶのかもしれません。

「悔しいけれど、それが現実。気を付けよう」。そう、運動会の前の日の午後の新幹線に乗り込みました。

長岡 理知

長岡FP事務所

代表