《女性皇族「受け継がれる人生と覚悟」》新たな皇室像を作り出す宮家皇族 当主問題があった三笠宮家、彬子さまは積極的にメディアに登場 高円宮妃久子さまはスポーツ分野で活躍
7月24日、長年議論されてきた改正皇室典範が公布された。これにより、女性皇族は結婚後も皇室にとどまれるようになり、旧11宮家の15才以上の男系男子を対象に、養子として皇室に迎えることが容認される。
【写真を見る】ご結婚前、宮中祭祀についてのご進興を受けられる雅子さま
現在、雅子さまを中心に、皇室には11人の女性皇族がいる。あらためてその役割が注目される女性皇族はどのような道を歩み、何を受け継がれてきたのか。第3回では、三笠宮家と高円宮の女性皇族の足跡をたどる。【全4回の第3回。第1回から読む】
新たな皇室像を作り出す宮家の女性皇族方
高度経済成長期を経ると、民間出身の女性皇族は、"当たり前"となった。
「ひげの殿下」として親しまれた三笠宮寛仁親王のお相手となったのが三笠宮妃信子さまだ。麻生セメント会長の三女として生まれ、兄は元内閣総理大臣の麻生太郎氏、祖父は元内閣総理大臣の吉田茂氏という名家の令嬢である。
「麻生家と家族ぐるみのつきあいがあった寛仁親王が信子さまを見初め、1980年に結婚されました。
自由闊達だった寛仁親王は結婚に際し、『いろいろな女性とつきあったが、結婚するならトータルで彼女がいちばん』とまさに寛仁親王らしい本音を語られました。ご結婚前、信子さまは幼稚園の英語講師として働かれており、仕事を持つ女性がタイプと語っていた寛仁親王の理想の女性だったのでしょう」(皇室記者)
1981年に彬子さま、1983年に瑶子さまが生まれるも夫婦仲は徐々に悪化し、信子さまは脳虚血の発作などで療養生活に入った。
2012年に寛仁親王が逝去すると信子さまと彬子さまたちとの確執が表面化。
「今年2月、北海道で開かれた宮さまスキー大会では信子さまがいらっしゃる日に、彬子さまが急遽欠席されました。彬子さまは、取材の現場にも必ず殿下の遺影を持ち込み、出演した『徹子の部屋』や『週刊文春』のインタビュー取材でも遺影と共に写っていて、"父から寵愛されたのは誰か"ということを母や妹と競っているような印象を受けます。西村泰彦前宮内庁長官が何度も間に入りましたが、三笠宮家の当主問題は結局、母娘の折り合いがつきませんでした」(前出・皇室記者)
母との道を分けた彬子さまにとって「敬愛する人生の師」こそ、祖母の百合子さまだった。
「晩年は頻繁にお見舞いに伺い、百合子さまの葬儀の喪主も彬子さまがお務めになりました。"最愛のおばあちゃまであり、敬愛する人生の師"だとお慕いし、皇族としてのあり方やご公務への姿勢など多くを学ばれたといいます」(前出・皇室記者)
2025年に信子さまが三笠宮寛仁親王妃家を新たに創設し、彬子さまが三笠宮家を継承することが発表された。
母と娘が新設の宮家と三笠宮家に分裂した格好だが、それぞれが公務を担い公の場にも出席される。そもそも宮家の女性皇族はどのような公務を行うのだろうか。皇室解説者の山下晋司さんは「宮家皇族の公務には2種類あるといえます」と説明する。
「ひとつは母子愛育会や結核予防会など戦前から皇室との関係が深い団体の総裁や名誉総裁ですが、これらの役職は皇室内でどなたかに引き継がれています。もうひとつは宮家の皇族ご自身が依頼を受けて"活動に協力しよう"と判断され、宮内庁も皇族の公務として好ましいと判断した活動ですが、これらの公務は他の宮家に引き継がれることは基本的にはなく、お子さまなどその宮家内で引き継がれています」
三笠宮家の場合、彬子さまたちが父の仕事を引き継ぎ、信子さまは新たなご公務を開拓するという。
「寛仁親王がライフワークで行っていた福祉関係のご公務を瑶子さま、考古学関係のご公務を彬子さまが引き継がれます。また信子さまは、普段身の回りの警備を担当する皇宮警察の影響から柔道に興味がおありで、今後は柔道関連の新しいご公務にかかわりたいというお心づもりのようです」(前出・皇室記者)
姉妹のうち父親譲りの明朗さに恵まれたのが彬子さま。英国留学時代の体験を綴った著書『赤と青のガウン』を上梓し、テレビにも出演されるなど、積極的にメディアに登場され話題を呼んでいる。長年皇室取材を続けている、放送作家のつげのり子さんが話す。
「開かれた皇室のため奮闘された仁殿下の薫陶を受け、さまざまな新しいことにチャレンジされています。ほかの皇族方と異なるアプローチで皇室と国民をつなげようとされるのは、個性と才覚がおありな彬子さまの独創性によるものでしょう」
さまざまなスポーツ分野で活躍する高円宮妃久子さま
亡き夫の遺志を継ぎ、国際舞台に立たれるのは高円宮妃久子さま。三井物産勤務の父と旧華族の血を引く母を持ち、留学経験があり英語やフランス語が堪能な久子さまは、カナダ大使館で行われたパーティーで高円宮憲仁親王と知り合った。
「ウィル・ユー・マリー・ミー?」
交際わずかでこうプロポーズされた久子さまは「イエス」と即答し、1984年にご結婚。高円宮妃となられた。日本サッカー協会名誉総裁の憲仁親王とともに2002年の日韓ワールドカップの開幕式に出席するなど精力的に活動したが、同年に憲仁親王が急逝し、高円宮家第2代当主に。皇室研究者で静岡福祉大学名誉教授の小田部雄次さんが言う。
「スポーツ好きの憲仁親王のあとを継ぎ、さまざまなスポーツ分野で活躍しています。社交的で国際感覚に秀でており、現在もご公務を多く担って貢献されています」
久子さまの3人の娘のうち2人は結婚して皇籍を離脱。長女の承子さまは早稲田大学卒業後の2013年4月に日本ユニセフ協会に就職し、両親から与えられた天性の社交性を発揮して仕事とご公務を両立されている。
(第4回に続く)
※女性セブン2026年9月10日号
