パワハラ疑惑で百条委「稲森稔尚」伊賀市長…恩師が“非業の死”を遂げた「差別事件」の過去 市長本人は「未熟だったということ。間違った認識でした」と釈明
三重県伊賀市の稲森稔尚(としなお)市長(42)のパワハラ疑惑に関する百条委員会が大詰めを迎えている。8月25日には被害を訴える市職員と稲森市長の証人尋問が行われ、市長は改めて疑惑を否定したのだった。そうした中、市長に新たな“疑惑”が浮上。その言動が市民からの不信を買う市長は、かつて断じて許容できない発言で“差別事件”を引き起こしていたのである。
【写真を見る】なぜ? 地元出身なのに中学と高校の記載が見当たらない、稲森市長のプロフィール。たしかに奇妙に映る
プロフィールに「中学」「高校」に関する記載がない
稲森市長の公式プロフィールには、他の首長と違った点がある。学歴欄に中学・高校の記載はなく、〈大東文化大学法学部卒業〉に始まり、〈三重大学大学院人文社会科学研究科修了〉で終わるのだ。

謎を解くカギは、部落解放同盟三重県連合会が編集・発行した冊子にあるという。その内容は後述するとして、まずは「多様性の尊重」をポリシーに掲げる稲森市長について、ベテラン伊賀市議がこう話す。
「2009年の市議選に社民党公認で立候補し、全国最年少となる25歳でトップ当選を果たしました。当時も、東京で介護施設職員として働いた経歴などはアピールした一方、地元出身なのに大学より前の話を口にすることはありませんでした」
市議を2期務めた後、15年の県議選に無所属で出馬し当選。そして2年前に行われた市長選で、現職ら5人を制する大金星を挙げるのだが、
「今年6月に津市の女性市議との不倫関係が報じられると、続けてパワハラ疑惑も発覚。現在、市議会が設置した百条委員会で調査が行われ、早ければ今月中にも結論が出る予定です。ただし、市長にはもっと深刻なスキャンダルの存在を指摘する声がくすぶり続けていました」(同)
「人権尊重都市」を宣言
三重県は1990年、全国に先駆けて「人権県宣言」を議会で決議し、97年に人権尊重をうたう条例を施行。県北西部に位置し、俳聖・松尾芭蕉の出身地として知られる伊賀市でも、04年に差別撤廃条例が制定され、翌年には「人権尊重都市」を宣言した。以降、同和問題を最重要施策の一つに位置付けてきたという。
そんな市の一部の図書館には、前述の部落解放同盟の手になる冊子が所蔵されている。稲森市長に関わるのは、00年発行の「三重県のあいつぐ差別事件第五集(1996年〜1999年)」と「三重県のあいつぐ差別事件第六集(1996年〜2003年)」(04年発行)だ。
どちらにも97年5月、市内の学習塾で起きた同一の差別事件が記載されている。内容は、Aという少年が〈「……」はみんな部落や。O地区も部落や〉などと、O地区に住むCに発言したというものだ。
このAが稲森市長だと証言するのは、いがまち人権センター(伊賀市人権生活環境部同和課)関係者である。
「Cは女性で、稲森さんの言葉にひどく傷ついた彼女が部落解放同盟の支部員でもあった父親に話したところ、解放同盟が調査に乗り出すことになった。聞き取り作業は人権センターで行われましたが、親と一緒に現われた稲森さんはセンター入り口で悔しそうに泣きながら座り込んでしまったといいます。その後の聴取で、発言が事実だと確認されたため、正式に差別事件として記録されました」
これを受け、当時、稲森市長が通っていた中学校の教頭は事後処理などに忙殺された末に、非業の死を遂げる。後任となった同中学校の元教頭によれば、
「私が赴任したのは、稲森君が中学3年生に上がった年でした。その前年に起きた彼の差別発言騒動の後、前任の教頭は亡くなりました。年齢は50代半ば。心身の疲労が重なり、自死されたと伺いました」
高校でも“差別発言”
亡くなった教頭の妻にも話を聞いた。
「朝は誰よりも早く学校に行き、夜は本当に遅く帰ってきました。ただ亡くなった、本当の原因は分かりません。いろいろな思いはありますが、私からは何も言えません。思い出したくもないですし、あの時の悔しさを掘り返すなど……」
中学卒業後、稲森市長は市内の県立高校に進むが、驚くことに差別発言を改めることはなかった。高校時代の同級生が語る。
「旧同和地区出身の女子生徒に“部落”などの言葉を投げつけただけでなく、何も知らない同級生に“あの子は部落出身だ”と言いふらしもした。他の女子生徒にも差別的な陰口や軽口をたたき、それを苦にして高校を辞めた子もいたはずです。結局、それらの所業がバレて、彼は退学することになりました」
当時、稲森市長のターゲットにされた女性の一人に連絡を取ったが、「20年以上も前の出来事ですので」と言うのみだ。
高校時代の担任教師に確認したところ、
「彼が退学になったのは事実ですが、自主退学です。(理由は)差別に関係するような言葉を言ってしまったんです」
「他意はありません」
さて、稲森市長はどう答えるか。携帯電話に連絡して話を聞いた。まずは中高時代の差別発言と、出身中学の教頭が亡くなった件について尋ねると、
「知識も学習も不足していて未熟だったということです。間違った認識でした。(教頭の死は)その問題がきっかけになったかどうかは分かりません。たしか“急死”としか知らされなかったと思います」
高校退学と、学歴を大学以降しか開示していない理由についてはこう釈明した。
「退学は(差別発言が原因でなく)学校が合わなかったためです。(高校に)なじめなかったのは複合的な理由からですが、進路変更をして大検を受けました。経歴については、報道機関から“最終学歴を書いて”と言われたから書いただけで、他意はありません」
市長という職責にありながら、自身の過去の言動をどう考えるのかを問うと、
「講演会に参加したり、当事者に会ったりして、人権問題を勉強してきました。人間には誰しも差別意識はあると思いますが、それに向き合い、差別のない社会をつくっていきたい」
不倫スキャンダルにパワハラ疑惑と、市長になってからも相次ぐトラブル――。これも“未熟”だった過去と向き合った結果なのだろうか。
「週刊新潮」2026年8月27日号 掲載
